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(一般に公開)

万年時計のゼンマイはなぜ真鍮なのか(2)   ――弓曳童子2015年02月20日15:13
田中久重は江戸時代後期から明治にかけて、最初はからくり師、のちには近代的エンジニアとして活躍しました。万年時計の完成は1851年(嘉永4)。場所は京都。久重は当時、京都四条通烏丸東入ル長刀鉾町に機巧堂という店を経営して、自らの発明品を販売していました。

ちなみに久重は京都に住む前、1835年(天保5)に故郷の九州久留米から大坂へ移住。天保8年の大塩平八郎の乱で焼け出され、伏見へ逃れた後、長刀鉾町に店を開いています。(『田中近江大掾』「田中近江翁年譜」P4~5)

久重は今や東芝の創始者として有名ですが、彼がこうして広く知られるようになったのは、彼が作った弓曳童子というからくり人形の公開がきっかけでした。弓曳童子はそれまで、彼が残した「考案図」(『田中近江大掾』の冒頭に添付)の中に、他のさまざまなからくりと並べて簡単な外観が示されているだけで、実物の存在は一般には知られていませんでした。

弓曳童子は、1989年秋から翌90年春にかけて、江戸からくり復元師の峰崎十五氏の手で修理・調整され、世に出ました。この間の経緯については、上掲写真の峰崎十五著『弓曳童子の再生』(1998年・私家版)に詳しく書かれています。この本には、弓曳童子の構造がよくわかる製作途中のレプリカの写真が豊富に掲載されており、弓曳童子の仕組みを理解したい人にはお勧めです。また峰崎氏は、いわゆる「失敗矢」についても触れています。いつのまにか世の人々の間に、失敗矢を根拠にして「久重は失敗をも演出した」という認識が広まってしまったわけですが、それは誤りであり、峰崎氏が修理の過程で全部の矢を新調した際、たまたまできてしまった「失敗の矢」であることが説明されています。対象をながめる際の“思い込み”が誤った結論を導くことを常に肝に銘じねば、と自戒を込めて思います。

峰崎氏は、本年元日に再放送された放送大学テレビ特別講義「江戸時代のからくり文化」に出演され、失敗矢のことも説明されていましたから、ご覧になった方は、ああ、あの人かと思い出していただけると思います。

久重作とされる弓曳童子は2体現存し、1体はトヨタコレクションとなり、もう1体は久留米市教育委員会が所蔵しています。2体とも動力のゼンマイは真鍮です。
  • 時計仕掛けの文化

コメント

1番~11番を表示

2015年
02月20日
20:04

失敗矢は本当に失敗だったんですね。
弓曳童子は以前大人の科学版を組み立てましたが
また遊びたくなりました。

2015年
02月20日
21:25

2: teacup

トキオさんは学研の弓曳童子を持っているのですか。
弓に矢をつがえ、的を実際に射てみせるというのは、からくりとしては本当に魅力的ですよね。

ちなみに弓曳童子がやってみせているのは、「楊弓」という室内の的当てゲームです。弓曳童子が狙っている的がとても優雅なデザインになっているのはそのためで、楊弓の的はこの様式が定番だったようです。そのことがわかるのは、竹田からくりを描いた「からくり御前楊弓」という図が残っており、弓曳童子と同じデザインの的を、台の上に立て膝をして弓を持った若侍のからくり人形が、見事に射てみせているからです。

楊弓のパフォーマンスをするからくり人形は、久重のオリジナルなアイデアではなく、江戸時代のからくりの最高のブランドであった「竹田からくり」が先鞭をつけていたわけです。それを久重なりの工夫で座敷からくり化してみせたことになります。

2015年
02月20日
22:25

なるほど、久重にも先人が居たんですね。

2015年
02月20日
22:59

万年時計を実際に修理した方によると、真鍮のゼンマイだからいいそうです。

2015年
02月20日
23:28

5: teacup

buchinさん、初めまして。
「真鍮のゼンマイだからいい」というお話、興味があります。
真鍮ゼンマイのどの部分を「いい」と評価されたのでしょうね。

2015年
02月20日
23:57

その方曰く、特性がいいと言うことです。きれいに巻くのは難しいですが。その方は和時計の凄い人でまだ健在です。

2015年
02月21日
02:14

teacupさん はじめまして。

峰崎十五さんとともに弓曳き童子や文字書きなどのからくり人形を修復・製作されていた東野進氏は天保年間ぐらいはヨーロッパと違って、日本では鉄のゼンマイが作れなかったと言われていました。

峰崎十五さんのこの本、私も持ってます!

2015年
02月21日
08:14

9: teacup

buchinさん、私はこれまで、バネとしての真鍮の特性はあまりよくない、と思っていました。
この点は、第6回「真鍮の国産化」で語ろうと思っていますので、できればそのとき、じっくりその和時計の分野のすごい方のご意見を説明していただけるとありがたいです。

今回の私の話は、このあと第3回「複製プロジェクト」、第4回「洋時計の利用」、第5回「サラブレッドと道産子馬」と続け、万年時計の機構についての私の疑問がどこにあるのかをお話しするつもりです。それらの中にも、和時計の専門家の方なら、私の疑問に答えていただけるお話もあると思います。

実際に万年時計の修理にたずさわった方のお話を聞けるのは、非常に貴重です。第6回の「真鍮の国産化」はちょうど私の話の折り返し点で、そこでbuchinさんからじっくりお話を聞かせていただけると、今回のテーマがすごく厚みを持ってくると思います。

buchinさん、どうぞよろしくお願い申し上げます。

2015年
02月21日
08:26

10: teacup

レショーさん初めまして。

峰崎さんの本をお持ちですか。本のなかに、東野さんが峰崎さんに弓曳童子の修理を依頼したことが書かれていましたね。

鋼のゼンマイが日本でいつ国産化されるようになったのか。これが私のとても知りたいところです。私はからくりの迷宮にはまっていますので、どうはまっているかこれからお話しします。いろいろとご教示いただけると、とてもありがたいです。どうぞよろしくお願い申し上げます。

2015年
02月21日
11:14

teacupさん こちらこそどうぞよろしくお願い致します。

私は技術的なことは何もわかりません(笑)が、オートマタやからくり人形は大好きです。

東野さんのからくり一座では、今、2体目の弓射り甲冑が完成まじかです。東京でお披露目されるはずなのでその時は私も東京に観に行く予定です。

buchinさんと一緒に、サントクロアのフランソワ・ジュノーさんのところに行ったことがあります。

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