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teacupさんのブログ

(一般に公開)

万年時計のゼンマイはなぜ真鍮なのか(8)   ――リボン鋼2015年02月23日18:52
上掲写真は、村上和夫編訳『完訳からくり図彙』(2014年・並木書房)です。

上記の書名に「からくり図彙」とあるのは、細川半蔵頼直著『機巧図彙(からくりずい)』(寛政8年(1796)・須原屋市兵衛版)のことです。
機巧図彙は、世界的にも高く評価されている技術啓蒙書で、首巻・上巻・下巻の3巻からなり、首巻に掛時計、櫓時計、尺時計の3種の和時計、上巻と下巻に茶運び人形をはじめとした座敷からくり9点が、構造、部品の説明も含めて、それぞれどのように作ればよいか、詳細に解説されています。

機巧図彙のなかで細川半蔵は、バネに関して興味深い説明をしています。
下巻に揺盃(いようはい)というからくりの作り方が解説されているのですが、そのなかで「はじき金は、きたひ金にて紙のうすさに作るべし」(『完訳からくり図彙』P212)と述べているのです。

真鍮を「紙の薄さ」のバネに鍛造するのは至難の業だと思いますから、この記述は「鉄を紙の薄さに鍛えて、バネにしなさい」の意味にとれます。
18世紀末の日本人は紙の薄さのバネ鋼を作れた、と解釈してよいでしょう。但し、ゼンマイに用いられるようなリボン鋼を当時の日本人が作れたかどうかは、この文章では判断できません。
日本人はいつ、ゼンマイ時計に使用できる性能を持ったリボン鋼を作れるようになったのでしょうか。

なお、上掲写真の『完訳からくり図彙』は、まず右ページに機巧図彙の影印(オリジナルのページそのものを複写し製版したもの)を1ページずつ掲載し、影印のすべての文章・語句に赤の引き出し線とアルファベットを付けてあります。そして対する左ページには、アルファベットごとに原文の翻刻と現代語訳を載せ、最後に注解を加える形で、機巧図彙の全ページを見開き2ページずつで完訳しています。
また前書きとして、日本のからくり文化について40ページ余りにわたり、ヨーロッパのオートマタとの文化比較も含めて、概論を述べています。
この本については、当SNS会員の宗一郎さんが、読んだ感想を書く旨、以下のmr.hmvさんのブログで表明されています。
http://www.webchronos.net/sns/?m=pc&a=page_fh_diary&targe...

なのでこれ幸いと、厚かましくも宗一郎さんに、この本の感想をここに書いていただきたく、お願いする次第です(汗)。
宗一郎さ~ん、簡単で結構ですので、完訳からくり図彙を読んだ感想を書き込んでいただけると、当ブログの話に厚みが出て(汗)、とてもありがたいです。どうぞよろしくお願い申し上げます。
  • 時計仕掛けの文化

コメント

1番~6番を表示

2015年
02月23日
19:19

teacupさん

お声がけいただきありがとうございます。
以前、感想を書くと言いながら、すっかり失念しておりました。

未だ、「はじめに」の章以降を読み進めていないのですが(恥・・・)、
この章が読み応えがあると言うよりも、以降の章が機巧図彙の図とその
訳・解説ですので、読み物としてはこれで完結しているとも言えます。
和時計や日本のからくりの歴史を、分かりやすく適度なページ数で
読めるものとして、最適な書籍だと思います。
各項に付けられたタイトルだけを読んでも、著者のからくりに対する
熱意が伝わります。

2015年
02月23日
19:32

2: teacup

宗一郎さん
『完訳からくり図彙』の感想を書いていただき、誠にありがとうございます。

完訳からくり図彙の場合、自分の関心のある部分だけ、気の向いた時に読んでみる、的な読み方をする人も多いような気がします。小説とは違うので。

2015年
02月23日
19:48

3: mr.hmv

>「はじき金は、きたひ金にて紙のうすさに作るべし」

この部分、興味がわきます。(笑)

薄板帯鋼板をいきなり作るのは至難の業に思います。
今だったら、引抜丸棒をローラーではさみながら段階的に圧延し次第に薄くして行く工程が妥当だと思います。
でも鍛造が刀鍛冶の命ですから、そこにこだわり手叩きで作るのはいささか無理を感じます。
棒材は当時でも不均一な太さではあっても作ることはできたでしょうから、両端をやっとこでつかみながら叩いて叩いて伸ばして、を繰り返して作ったと想像できます。
この辺の単品製造工程に関してはbuchinさんが御専門ですから解説をいただければ幸甚です。

真鍮であっても鋼材であってもぜんまい製造工程はそれほど大きな違いはなかったと思われます。帯の両小面がどのような仕上がりになっているかを見れば製造法が推測できるような気がします。

2015年
02月23日
20:55

4: teacup

mr.hmv さんに質問です。
あるいは、buchinさんがご専門で、お答えいただけるなら有難いのですが。

江戸時代には針金は作られていますよね。
針金で、弾力性のあるもの、つまりスプリングができたから、丸テンプが誕生し、枕時計や尺時計に採用されたということではないのでしょうか。違うのでしょうか。

弾力のある針金と、紙の薄さの鍛鉄って、作る過程が親戚関係、というわけではないのでしょうか。素人なので、うまく疑問の中身をお伝えできていないかもしれませんが、いかがでしょう。

2015年
02月23日
21:30

5: mr.hmv

>江戸時代には針金は作られていますよね。

スミマセン
前述のようにありそうだと思いますが、実際のところ存じ上げません。
刀鍛冶は炭素含有率のコントロールなどは朝飯前だったと思いますので、優れた鋼材を作ることができたでしょう。ただ、日本人はあまりに器用だったので、工作機械や工具が発達せずそれが故に定型の成型加工技術が進化しなかったのではないかと思うのです。「規格」の概念が発生しなかったのが江戸時代だったと思えませんか?

「規格」に関しては以前ブログに書きました。
http://www.webchronos.net/sns/?m=pc&a=page_fh_diary&targe...
http://www.webchronos.net/sns/?m=pc&a=page_fh_diary&targe...

毎度脱線スミマセン

2015年
02月23日
22:26

6: teacup

mr.hmv さん
ここでの規格は「部品の互換性」という意味だという前提で話を進めます。

1種類の製品を大量生産し、かつその工程を分業化している分野が存在すれば、そこには「規格」の概念が多少なりとも存在したのではないでしょうか。

たとえば火縄銃は量産され、かつ行程の分業が実行されていたので、規格の概念はあったのではないでしょうか。

和時計の場合は、基本的に一つひとつが受注生産の「作品」であったようです。
その製作工程は、1人の時計師の指揮のもと、複数の弟子あるいは下職人が働く形であったことは、受注時の見積書が残っており、工程数や使用する材料、道具を知ることはできるのですが、具体的な工作技術を開陳した記録を、私は知りません。

秘伝書みたいなのが見つかっていないでしょうかねえ。

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