時計業界に革命を起こしたスウォッチ。高価で精密な機械式時計がスタンダードだった時代に、スイス製の高品質な時計をリーズナブルな価格で提供する、というアイデアは時計業界の在り方を大きく変えた。成功を収めた一因は、プラスティックで外装を作り、シチュエーションによって時計を替えるという概念を広げたことにあった。しかし、大量生産を可能にした斬新な生産設備とまったく新しい設計は、それ以上に重要だった。つまりスウォッチとは、スイス時計産業における革新を体現する存在だったのである。
そう考えると、スウォッチの歴代モデルで最新の技術を載せてきたのは当然と言える。2019年、スウォッチは、革新的なヒゲゼンマイを搭載した自動巻きモデルの「フライマジック」をリリースした。ムーブメントのベースとなったのは、自動巻きのシステム51。だが、新しいNivachron™製ヒゲゼンマイはひょっとして、機械式時計の在り方を大きく変えるかもしれない。それこそ、初代のスウォッチのように、だ。
機械式時計の心臓部を構成するヒゲゼンマイ。重要なのは、生産性と耐磁性能、対温度性能を、どう並立させるかにある。耐磁性能を上げれば温度変化に弱くなり、生産性を上げると全体的な性能は落ちてしまう。では、いかにしてこれらを実現させるか。その現時点における最良の解はNivachron™かもしれない。これは非常に高い耐磁性能と、温度変化に極めて強い特性を持った合金である。
Nivachron™以前も、同素材を生産するニヴァロックス・ファー社は非磁性のヒゲゼンマイを試作していた。しかしそれらはシリコンを除いて、すべて鉄を含有していた。最近、特許を申請した非磁性のヒゲゼンマイも、やはり鉄、マンガン、ニッケル、クロム、ベリリウムを含有する素材から作られていた。
鉄を含むと、ヒゲゼンマイに必要なバネ性は得られる。しかし温度変化に弱く、磁気にも弱くなる。対してニヴァロックス・ファー社などのヒゲゼンマイメーカーは、クロムやベリリウム、あるいはニオブなどの副資材を混ぜて、ヒゲゼンマイの性質を改善してきた。ヒゲゼンマイ発展の歴史とは、鉄の問題をどうクリアするかであった、と言えるだろう。
対してNivachron™は、これまでのヒゲゼンマイに用いられていた合金とは異なり、鉄を極めて微量しか含まない素材である。具体的には、ニオブとチタンからなる通称「NbTi47」型合金。Nivachron™の特許資料に従うと、このヒゲゼンマイは、46.5~47.5%のチタンと、残りの大半はニオブで構成されている。ほかに酸素、タンタル、炭素、鉄、窒素、ケイ素、水素、ニッケル、延性材料(銅)、アルミニウムなどを含んでいるが、これらの割合はすべて合わせても0.3%に満たない。
ニヴァロックス・ファー社の説明によると、この合金は「エリンバーと同様の効果を持ち、時計の通常の動作範囲内では実質的にゼロの熱弾性係数を持つ」とある。つまり、常識的な行動範囲においては温度が高くなっても低くなっても、ヒゲゼンマイの変形は起こらないわけだ。また、ほぼ非鉄素材のため磁気にも極めて強い上、鉄系のヒゲゼンマイの弱点である経年変化による性能劣化も基本的に起こらない。
フライマジックの鍵となるのが、Nivachron™を採用した新しいヒゲゼンマイである。鉄を主体とした今までのヒゲゼンマイとは異なり、ニオブとチタンの合金がベースとなっている。耐磁性能が高く、温度変化に強い上、経年変化による性能の劣化がほとんどない。このヒゲゼンマイの性能を生かすべく、高級機よろしく、緩急針のないフリースプラングテンプを採用する。そのため、耐衝撃性能も高いはずだ。
文字盤側には、中央部がトランスパレント化されたペリフェラル"風"ローターが施される。
ムーブメントの構造を見せるため、パワーリザーブ約90時間を有する大型香箱もスケルトン化された。
すでにニヴァロックス・ファー社は、シリコンを使ったヒゲゼンマイを開発し、さまざまな時計に採用している。しかし、シリコンは長期的な安定供給が未知数だ。そこで同社はオーデマ ピゲと共同で、シリコンではないヒゲゼンマイ素材、Nivachron™を開発したのである。本来、この新素材はブレゲやブランパン、あるいはオーデマ ピゲといったハイブランドが採用すべきだろう。しかし、スウォッチ グループはこの新しい合金を用いたヒゲゼンマイを、まずはスウォッチに与えたのである。スウォッチがスイス時計産業の革新性を象徴するブランドと考えれば、当然だろう。
その性能は驚異的だ。ヒゲゼンマイの耐磁性能は従来のニヴァロックスを使用したものから10〜20倍の向上を見た。加えて、前述のように温度変化に極めて強い上、チタン合金のためメンテナンスで取り外しても壊れることがない。スウォッチはこのNivachron™製ヒゲゼンマイを、システム51ベースの新型ムーブメントに加えたのである。これまでの約90時間という長いパワーリザーブに加えて、今回のヒゲゼンマイの改良により、日差は±7秒以内と、従来の±10秒以内から向上している。
2ピースで構成された大胆な造形のケース。直径は45mmもあるが、ラグとケースバックを一体化させ、さらにラグを湾曲させることで優れた装着感を得ている。また、シンプルな構成ながら、ケースのデザインは独創的だ。
また、この時計の革新性を強調するため、スウォッチはテンプを露出させただけでなく、巻き上げ用のローターを文字盤側に持ってきた。一見、ペリフェラルローター風だが、センターで支えるセンターローター自動巻きだ。ローター自体を透明な素材で成形することで、文字盤を見せている。これもまた、非常に野心的な構成と言えるだろう。
この革新的なムーブメントを載せるべく、スウォッチはケースも新造した。構成は2ピース。ミドルケースとベゼルを一体成型し、それをラグと裏蓋が一体化したベースに載せている。この時計は直径45mm、厚さ15.8mmもあるが、ラグを湾曲させたことで、装着感は実に優れている。また、ケースの作りも大変に良い。高級機のように切削を多用しているわけではないが、きちんとエッジが立っており、部品の噛み合わせも良く、またブラスト仕上げも均一に入っている。実用性を重視したスウォッチにあって、このサイズは例外と言えるが、使い勝手を重視した作りはいかにも、スウォッチだ。
さて結論である。今後、Nivachron™製ヒゲゼンマイは、機械式時計の在り方を大きく変えるだろう。高い耐磁性能に加えて、温度変化に強く、破損もしないという特性は、スウォッチ グループの機械式時計の性能を向上させるはずで、やがては他社もこの流れに追随するに違いない。その革新的なヒゲゼンマイを搭載したスウォッチのフライマジックは、ひょっとして、歴史に残る時計になるかもしれない。
システム51の上位機種らしく、フライマジックの風防にはサファイアクリスタルが採用された。同素材がスウォッチの時計で用いられたのは、2001年と08年に発売された「ダイアフェーン・ワン」と本作のみ。無反射コーティングが施されているため、視認性は極めて優れている。
フライマジックには3つのモデルが用意されている。ムーブメントとケースは同じだが、赤いストラップとローター、地板の仕上げを持つRef.YHS101Sと、ブルーのRef.YHS100S。そしてSS+ゴールドPVDのケースを持つRef.YHG100Sだ。いずれも500本の世界限定で、日本にはそれぞれ15本ずつ入荷する。なお、スペシャルモデルにふさわしく、重厚なケースが付属する。良心的なのは、きちんと限定番号が表記される点。ローターの軸に「*/500」というナンバーが記される。
赤いラバーストラップを持つYHS101S。付属のボックスは、閉じた状態でも文字盤が見られるように加工されている。自動巻き。19石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約90時間。SS(直径45mm、厚さ15.8mm)。30m防水。世界限定500本。18万円(税別)。
ゴールドPVDが施されたSSケースにブラックラバーストラップモデル。全モデルに色違いのカーフストラップふたつとバネ棒外しが付随する。自動巻き。19石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約90時間。SS+PVD(直径45mm、厚さ15.8mm)。30m防水。世界限定500本。18万円(税別)。
青いラバーストラップを持つYHS100S。なお、12時位置に配される三脚巴のスモールセコンドは反時計回りに回転する。自動巻き。19石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約90時間。SS(直径45mm、厚さ15.8mm)。30m防水。世界限定500本。18万円(税別)。
Contact info : スウォッチ コール 0570-004-007
場所:代官山 T-SITE GARDEN GALLERY
東京都渋谷区猿楽町16-15
開催期間:2019年6月11日(火)~16日(日)
営業時間:11:00〜20:00(但し、11日のみ17:00まで)
https://www.swatch.com/ja_jp/flymagic/