チェコの天文時計を巡る旅、プラハ編

2019.01.04
時について考えるときに、切っても切れない間柄にあるのが天文です。
時計好きが高じて天文時計にも憧れるようになった私がもっとも惹きつけられてきたのが「プラハの天文時計」でした。2018年の夏の終わり、“大改修を終えた「プラハの天文時計」がお披露目へ”というニュースを見たことを機に、ようやく念願のプラハへ。
プラハを基点に動く中で、チェコでは他にもふたつの印象的な天文時計に出会いました。全3編に分け、チェコの天文時計を巡る旅をレポートします。
取材協力、写真提供:City of Prague
文:高井智世

©Prague City Tourism
スメタナの交響詩で有名なモルダウ川から、プラハ城をのぞむ。

プラハの天文時計

 中央ヨーロッパ、そのほぼ真ん中に位置するチェコの首都プラハ。プラハが最大の繁栄を見せたのは、神聖ローマ帝国およびボヘミア王国の首都として栄えた14世紀から、“魔術王”の異名をもつルドルフ2世が治めていた16世紀までの時代だといわれます。ルドルフ2世においては、国を治めるために天文学や占星術を重んじていました。長い歴史の中で周辺国の侵略を幾度となく受けながらも、町がほとんど破壊されることなく往時の姿を残しているのは、幸運の星に守られてきたからとも言い伝えられています。

©Prague City Tourism
プラハの中心地である旧市街広場。中央に高くそびえるのが天文時計を備える旧市庁舎の時計塔。天文時計は、時計塔の1~3階くらいの高さにかけて作られている。広場を隔てたところに建つ2本の塔が特徴的なティーン教会と、どちらもゴシック様式の美しい建物だ。

 そのような時代を背景に誕生したのが、プラハの天文時計(チェコ語でオルロイ/Orloj)です。14世紀のヴァーツラフ4世の治世に、プラハの旧市街広場に24時間文字盤と針1本を備える塔時計を建立したのがそのはじまりでした。15世紀には天文学者でありヴァーツラフ4世の個人医者でもあったヤン・シンデルと、時計職人ミクラーシュが、カレンダー表示とカラクリ人形を加えて時計を発展させます。16世紀に入ると能筆家兼時計師のヤン・ターボルスキーがカレンダー日送り装置を自動化し、絵具で文字盤に昼、夜、黎明と薄明の部分を描き加え、また月の位相を示す回転式の月の球を針に加えました。
 以降も修復が重ねられアップデートした部分もありますが、概ねの現在の姿まで出来上がったのは、このように16世紀くらいまでのことだったと言われています。

オルロイの上部にある天文の文字盤は、作られた当時の宇宙観(天動説)に基づいた天体の動きと時間を表している。獅子座のマークを通って11時を指す太陽の飾りは、天文時計に表示される時間の中で歴史上最古といわれるバビロニア時間を指す。手の飾りは中世時代チェコ時間22時と、ドイツ時間Ⅴ時を指す。丸い球は月の位相を金色と黒色で表す。


21世紀の修復作業へ

 ProVasという地元企業が発行する資料によると、オルロイは14世紀の建立から概ね1世紀ごとに大掛かりな修復作業を行ってきました。おそらく21世紀の修復として歴史に刻まれるであろう今回の作業の内容は、時計機構のすべての分解洗浄と、彫刻やカラクリ人形、文字盤のダメージ修復、そして塔全体の壁面の掃除までを行うというもの。2018年1月8日、オルロイの動きは停止され、塔全体がシートで覆われました。

修復責任者、ペトル・スカーラ氏

 この重要な修復作業の責任者として選ばれたのは、1946年に南モラヴィアで生まれたペトル・スカーラ氏(Petr Skala)。彼は19世紀からオルロイの修復を請け負ってきた地元企業のハインツ社(l. Hainz)に所属するベテラン時計修理師であり、オルロイ修復に必要な文化省の資格を所有する人物です。
 彼の指揮のもと、約半年にわたり修復作業が行われました。

歯車機構を確認するスカーラ氏。
時計の心臓部分、すなわち太陽、月、獣帯の飾りのついた針を動かすのは、それぞれ366、379、365の歯を要する歯車。これらは中世のオリジナルがそのまま残されており、現在も機能している。
調速については、初期の時計には棒てんぷが用いられていたが、19世紀にふりこへ代わり、第2次世界大戦後には電動装置も加えられた。

修復にあたりカレンダー式文字盤を外す。

月の飾りの修復を行うスカーラ氏。

カレンダー式文字盤の色落ちを補修する様子。なお内側の小さな円に描かれるのは獣帯の星座、外側の大きな円に描かれるのは毎月ごとの寓意詩画。

9~21時の毎正時ごとに現れる十二使徒を模った木製人形も、今回一体ずつすべてが取り外され、修復された。

修復完了、お披露目へ

 2018年9月28日の夕刻前。21世紀の修復作業を終えた最初の姿を見ようと、広場には世界中から大勢の人が集まります。緊張した面持ちのスカーラ氏も何度も時計確認に姿を見せ、余念のない様子でした。

 

落ち着かない様子のスカーラ氏。なお左の男性は、ペイントなどの美術部門においてスカーラ氏をサポートした男性。

時計の再駆動の瞬間に居合わせようと、市庁舎前の広場を覆いつくすように集まった人々。

 そして午後6時、いよいよその時がきました。関係者による挨拶の後、旧市庁舎の窓にずらりと並んだラッパ演奏者たちが祝福の音色を奏でます。人々の興奮が高まる熱気の中、シートが上から下へとゆっくり降ろされ、色鮮やかに蘇ったオルロイが姿を現しました。
 からくり人形たちが艶々と輝く姿を披露し、最後の鐘の音が鳴り終えたあとも、広場にはしばらくの間、歓声と拍手が鳴り響いていました。

 

幕開けとともに、雄鶏、十二使徒がのぞくふたつの窓、天文の文字盤、そしてカレンダー式文字盤という順で姿が現れた。

お披露目同日の夜8時から10時にかけては、プロジェクションマッピングの特別な投影も行われた。



往時の面影をそのままに、色鮮やかに蘇ったオルロイ。


©Prague City Tourism

 古きよきヨーロッパの空気がただよう町、プラハ。ここには今も、中世から続く歴史と文化が息づいています。