重要な都市であったことと地理的な理由から、戦争に頻繁に巻き込まれたオロモウツの都は、1618年から起こった30年戦争の際にスウェーデン軍の攻撃において荒廃し、近隣にあるブルノへ移されました。町の復興は18世紀より開始され、現在はチェコで5番目の大きさの都市となっています。
オロモウツでは、そんな歴史の波のなかで変化を遂げてきた天文時計に出会いました。
文:高井智世
オロモウツの天文時計
オロモウツの天文時計は、15世紀に市庁舎の一角に創建されました。オロモウツ市の資料によると、1420年にアントニン(Antonin Pohl)という時計師によって作られたと記録されています。また伝説によれば、アントニンの時計作りの能力が他の町で使われることが無いよう、彼は時の権力者によって時計の完成後に失明させられたそうです。事実かは分かりませんし、実は似たような話をプラハでも耳にしましたが、この話からは当時の時計作りがいかに政治的に重要視されていたかということが分かります。
オロモウツ市に情報提供を依頼したところ、シムコヴァ氏(Anežka Šimková)という女性を紹介され、彼女から話を聞くことができました。
Anežka Šimková氏
市内の国立博物館で20年、その後に市立美術館で25年以上というベテラン学芸員としてのキャリアを持つシムコヴァ氏。彼女は、市内にあるシュテルンベルク(Sternberk)時計博物館が第2次世界大戦前の時計の姿を再現するプロジェクトを行った際に第一線で活躍した人で、オロモウツ市より「この町で誰よりも時計の歴史を知る人物」として紹介されたのでした。1970年、当時20代の若さでこのプロジェクトの責任者を任された彼女は、天文時計に関するあらゆる文献に目を通し、時計職人や天文学者、数学者らから話を聞き出しながら、約4年をかけて往時の姿を蘇らせました。今も市立美術館で働きながら、オロモウツ天文時計に関する史料編纂に携わっているようです。
彼女に最も記憶に残っていることを尋ねたら、「それはもちろん、バラバラに保管されていた戦前の天文時計のパーツを探し出して、推測のもと組み直し、それが再び動き始めた瞬間」だと、満面の笑顔で答えてくれました。しかし一方で彼女は、過去の姿をよく知るからこそ、現在の時計の姿を好きになれないとも答えました。
現在の天文時計
現在のオロモウツの天文時計は、第2次世界大戦中に受けたダメージにより、1947年から1955年にかけて再建されたものです。共産主義の支配下にあったチェコスロバキア時代を背景に、周りのモザイク壁画を含めて、それまで聖人や天使たちだったカラクリ人形は、科学者やスポーツ選手、労働者の味気ないモチーフに置き換えられました。かつてキリスト教の教えを描いていた厳かな世界観が失われたことをシムコヴァ氏は嘆いていたのでした。
1989年のビロード革命で民主化が実現した後に、最初の図柄に戻すかという議論がされたものの、予算的なこともありそのまま現在に至るのだそうです。
過去の姿
くり返す戦争や革命のなかで、オロモウツの天文時計は姿を変えてきました。下に4つの過去の姿を紹介しますが、これ以外にも何度か異なる姿を経てきたようです。
シムコヴァ氏は、短期間での改修を余儀なくされてきた要因として財政面も挙げました。石材や鉄をふんだんに使用できたプラハの天文時計と比較し、オロモウツの天文時計は耐久性の劣る木材を多用せざるを得なかった背景もあると話しました。
歴史をつなぐ
戦後より天文時計はドイツ系チェコ人のシュスター一族によって管理され、今も毎日正午になると町にオルゴールと鐘の音が響きます。人々の悲しい記憶も刻んだこの時計が、次に姿を変えることがあればそれはどのような時なのでしょうか。
オロモウツで出会ったのは、町とともにさまざまな歴史を乗り越えてきた天文時計でした。