チェコの天文時計を巡る旅、オロモウツ編

2019.01.05
チェコ共和国は、ボヘミアとモラヴィアのふたつの地域に大きく分けることができます。東半分にあたるモラヴィア地方において、かつて中世の時代に随一の町として栄えたのがオロモウツ(Olomouc)です。この町の文化財保有数はプラハに次いでチェコ第2位とされています。
重要な都市であったことと地理的な理由から、戦争に頻繁に巻き込まれたオロモウツの都は、1618年から起こった30年戦争の際にスウェーデン軍の攻撃において荒廃し、近隣にあるブルノへ移されました。町の復興は18世紀より開始され、現在はチェコで5番目の大きさの都市となっています。
オロモウツでは、そんな歴史の波のなかで変化を遂げてきた天文時計に出会いました。
取材協力、写真提供:City of Olomouc
文:高井智世

世界遺産に登録された聖三位一体柱。これはペスト終焉を記念して1754年に建てられた高さ32mのバロック様式のモニュメントで、礼拝堂を備える。背後に建つのが市庁舎で、天文時計は75mの高さのある時計塔の、地上14mの高さにかけてアーチ状に抜けた壁面の内側にある。

オロモウツの天文時計

 オロモウツの天文時計は、15世紀に市庁舎の一角に創建されました。オロモウツ市の資料によると、1420年にアントニン(Antonin Pohl)という時計師によって作られたと記録されています。また伝説によれば、アントニンの時計作りの能力が他の町で使われることが無いよう、彼は時の権力者によって時計の完成後に失明させられたそうです。事実かは分かりませんし、実は似たような話をプラハでも耳にしましたが、この話からは当時の時計作りがいかに政治的に重要視されていたかということが分かります。

現在の時計の姿。正午になるとチャイムに合わせてオルゴールが鳴り、カラクリ人形が回る。ふりこ式の時計機構およびオルゴール機構は非公開だが、市庁舎内のオロモウツ天文時計に関するアーカイブスペースで写真を見ることができる。

 オロモウツ市に情報提供を依頼したところ、シムコヴァ氏(Anežka Šimková)という女性を紹介され、彼女から話を聞くことができました。

Anežka Šimková氏

 市内の国立博物館で20年、その後に市立美術館で25年以上というベテラン学芸員としてのキャリアを持つシムコヴァ氏。彼女は、市内にあるシュテルンベルク(Sternberk)時計博物館が第2次世界大戦前の時計の姿を再現するプロジェクトを行った際に第一線で活躍した人で、オロモウツ市より「この町で誰よりも時計の歴史を知る人物」として紹介されたのでした。1970年、当時20代の若さでこのプロジェクトの責任者を任された彼女は、天文時計に関するあらゆる文献に目を通し、時計職人や天文学者、数学者らから話を聞き出しながら、約4年をかけて往時の姿を蘇らせました。今も市立美術館で働きながら、オロモウツ天文時計に関する史料編纂に携わっているようです。

プロジェクトを終えた1975年当時のシムコヴァ氏。壁にかけられた歯車はアーカイブスペースに保管されている。

 彼女に最も記憶に残っていることを尋ねたら、「それはもちろん、バラバラに保管されていた戦前の天文時計のパーツを探し出して、推測のもと組み直し、それが再び動き始めた瞬間」だと、満面の笑顔で答えてくれました。しかし一方で彼女は、過去の姿をよく知るからこそ、現在の時計の姿を好きになれないとも答えました。

現在の天文時計

 現在のオロモウツの天文時計は、第2次世界大戦中に受けたダメージにより、1947年から1955年にかけて再建されたものです。共産主義の支配下にあったチェコスロバキア時代を背景に、周りのモザイク壁画を含めて、それまで聖人や天使たちだったカラクリ人形は、科学者やスポーツ選手、労働者の味気ないモチーフに置き換えられました。かつてキリスト教の教えを描いていた厳かな世界観が失われたことをシムコヴァ氏は嘆いていたのでした。

中央の金色の雄鶏の左右にはからくり人形。その真下にある大きな時計は獣帯の十二宮を示し、右(画像では左側)の上に60分、下に12時間の時計、左(画像では右側)に24時間と星座を示す時計が並んでいる。下の段の時計は月、日付そして曜日を示す時計。

下の段の時計は12時位置に月齢、3時位置に日付、6時位置に月、そして9時位置に曜日を示している。

ちなみに下の段の文字盤外周に書かれているのは「霊名の祝日」。これは名の日とも呼ばれ、チェコの姓名が365つ書かれている。チェコでは自分の姓名にあてはまる日を第2の誕生日として大切にし、家族でささやかに祝うのだとか。

背景のモザイク画は画家のカレル・スヴォリンスキー(Karel Svolinský)が400万枚のガラスの立方体を使って描いたもの。オロモウツの伝統的なハナー民族と、地域の主要産業に従事する労働者が描かれている。

かつて天使や使徒らが回っていたカラクリ人形は、社会主義のプロパガンダ的なものに変わってしまった。からくり人形製作を依頼されたのは、カレルの妻で彫刻家のマリー(Marie Svolinský)。



 1989年のビロード革命で民主化が実現した後に、最初の図柄に戻すかという議論がされたものの、予算的なこともありそのまま現在に至るのだそうです。

過去の姿

 くり返す戦争や革命のなかで、オロモウツの天文時計は姿を変えてきました。下に4つの過去の姿を紹介しますが、これ以外にも何度か異なる姿を経てきたようです。
 シムコヴァ氏は、短期間での改修を余儀なくされてきた要因として財政面も挙げました。石材や鉄をふんだんに使用できたプラハの天文時計と比較し、オロモウツの天文時計は耐久性の劣る木材を多用せざるを得なかった背景もあると話しました。

 

市庁舎に展示される天文時計の外観が分かる資料のうち、最も古い1661年の姿を描いたもの。30年戦争による破損の修復を終えた年で、この際に1661年から1762年までの100年間対応する新しいカレンダーが取り付けられた。

1746年に描かれたもの。強化工事と色の塗り直しが行われたと記録されている。

1898年のフレスコ画修復の際に撮られた写真。なおこの年にドイツのEduard Korfhage&Söhne社の機械が導入された。

第2次世界大戦前の1926年に撮られたカラー写真。この頃まではムーンフェイズ表示があったことが分かる。

歴史をつなぐ

 戦後より天文時計はドイツ系チェコ人のシュスター一族によって管理され、今も毎日正午になると町にオルゴールと鐘の音が響きます。人々の悲しい記憶も刻んだこの時計が、次に姿を変えることがあればそれはどのような時なのでしょうか。
 オロモウツで出会ったのは、町とともにさまざまな歴史を乗り越えてきた天文時計でした。

 

戦後から時計の管理を行っているのはシュスター一族。1955年の写真に写るのは初代のコンラッド・シュスター氏(Konrad Schuster/2008年に亡くなっている)。なお現在は3代目が担当しているが、シムコヴァ氏いわく、なかなか気難しい性格の人で、地元メディアだけでなく関係者も寄せ付けないため、彼の詳細はほとんど知られていないのだとか。

市庁舎の2階に設けられた天文時計に関するアーカイブスペース。昔の天文時計の部品やシムコヴァ氏が行った調査記録などが展示されている。


カラクリ仕掛けを見ようと天文時計前に集まった人々。なお正午に流れるオルゴールは3曲が設定されており、日ごとに異なるハナ地方の民謡のメロディが流れる。