チェコの天文時計を巡る旅、ブルノ編

2019.01.06
チェコ第2の都市であり、モラヴィア地方の中心であるブルノ。この町の大聖堂にはかつて画家アルフォンス・ミュシャが聖歌隊として通い、西外れの修道院では遺伝学者のメンデルが、司祭としての生活の傍らでエンドウマメの交配実験を行っていました。
多くの文化遺産をのこすブルノには、7校の大学をはじめとする教育機関や美術館、博物館などが集まるほか、モトGP開催地のサーキット場、国際見本市の大会場もあり、新旧のさまざまな要素が交差しています。ここブルノでは、多様なエネルギーがぶつかり合う町を象徴するような不思議な天文時計に出会いました。

取材協力、写真提供:Oldřich Rujbr, City of Brno
文:高井智世

©️Aleš Motejl
高台にそびえるゴシック様式の聖ペテロ聖パウロ大聖堂へは、かつてアールヌーボー画家のアルフォンス・ミュシャが聖歌隊の少年合唱のメンバーとして通っていた。彼は市内のギムナジウム中等学校で学ぶために大聖堂より奨学金を受けていた。世界的な画家が通ったこの大聖堂は、天文時計制作のストーリーにも登場する。

天文時計……?

 ブルノ駅から歩いて5分と少し。オメガ通りを自由広場に抜けたところに現れる、高さ約6mの黒いオベリスク。路面電車と人々が行き交う景色にぬるりと溶け込んでいる様が不思議なこの花崗岩の塊が、ブルノでオルロイ(Orloj=チェコ語で天文時計の意味)と呼ばれているものです。

背の低いブルーの建物は選挙の仮設事務所。選挙ビラを配る地元の人に混ざって、黒い物体も立っている。

天文時計の高さは約6m、最大直径は170cm、重さは約25トン。



 これがなぜオルロイと呼ばれるのでしょうか。ブルノでは、制作者のオルドジフ氏(Oldřich Rujbr)から話を聞くことができました。

Oldřich Rujbr氏

 この天文時計を制作したのは、1948年にブルノで生まれた彫刻家で建築家のオルドジフ氏(写真左)。地元の大学で建築を学んだ彼は、建築と芸術を教える大学教師の道へ。右隣に写るのは共同製作者のPeter Kameník氏で、彼はオルドジフ氏に教わる学生でした。
 天文時計制作のきっかけは、2007年にブルノ市が公募した「30年戦争の記念碑となる町のシンボル制作」に関するコンペに、ふたりの提案が選ばれたことから。ふたりは3年の制作期間のうちに、花崗岩の巨大な塊をアフリカから取り寄せて、削り出し、別注したステンレス製の内部機械と組み合わせて、2010年に完成させました。

Photograph by Radek Mica、MAFRA
ブルノの天文時計を制作したオルドジフ氏と、共同製作者のPeter氏。オルドジフ氏との話のなかで印象的だったことをひとつ。行ったことはないが日本が好きだというオルドジフ氏に、日本の何が好きかを尋ねると「Mino!」と即答した。過去にセラミックスを使った作品を岐阜県美濃地方(おそらく美濃焼で有名な多治見市)で展示した縁があり、その時に日本に好印象を持ったのだという。

インタラクティブな現代アートとして作られたオルロイ

 時間表示はあるものの、なぜこのオベリスクが天文時計を意味する“オルロイ”と名付けられたのでしょうか? 
 その問いに対しオルドジフ氏は、プラハやオロモウツのような古くから町の中心地にある天文時計を“オルロイ”と呼ぶチェコの文化的な背景を指し、この作品も同様に町の中心にあるのだから、新しい種類の“オルロイ”にあたるのだと答えました。

 オルドジフ氏によるとこのオルロイは、30年戦争で使われた弾丸をモチーフにしたものだそうです。
 胴体をよく見ると横線6本の節が付いており、上2本分はデジタルの分表示をともなって1分間で1周水平に回っています。
 他の節にはブルノ軍師とスウェーデン軍師の名を刻んだ銀色のバー、他にもブルノの地名を刻んで聖ペテロ聖パウロ大聖堂の方角を指すバーが節ごとに突き出していました。実は、30年戦争においてこの大聖堂が重要な役割を果たしたストーリーが、オルロイ制作に活かされています。

スウェーデン軍師トルステンソン(Torstenson)の名が刻まれた銀色のバーは、スウェーデンの方角を指している。またブルノ軍師デ・スシェ(De Souches)の名が刻まれた別のバーは、彼がフランス生まれだったことからフランスを指している。

最上部にあるガラスのディスプレイには分がデジタル表示され、水平方向に1分間で360°回転する。つまり秒はディスプレイの位置から推測して知る。なおこの写真は制作途中で撮ったものをオルドジフ氏からもらったもので、実際には、下から見上げた状態ではっきり表示を見ることは難しい。



 スウェーデン戦争の勝利の瞬間は、ブルノ軍師の妙案により午前11時にもたらされました。この時に戦いの終わりを告げる鐘を鳴らしたのが聖ペテロ聖パウロ大聖堂でした。普段は12時になる鐘が11時に鳴らされたことがこの伝説のクライマックスです。

 このストーリーにちなんで、毎日午前11時のタイミングで、このオルロイ内部の上から「ガラス玉」が落とされる仕組みになっています。このガラス玉を誰でも得るチャンスがあることが、オルロイの大きな魅力のひとつです。

オルロイから落ちてくるガラス玉。チェコの国旗をイメージした赤と白の色が使われている。

 毎日午前11時前、オルロイの周りにはガラス玉を得ようと大勢の人が集まります。
 オルロイには、人の目の高さにコブシが入る大きさののぞき窓が3カ所に空いており、11時ちょうどになると機械が作動してチャイムが鳴り、ひとつのガラスボールが上部からレーンをグルングルンと転がり落ちて3カ所のどこかに届くようになっているのです。のぞき窓1カ所を確保できたとしても、ガラス玉が自分の元に届く確率は3分の1。幸運にもガラス玉を手に入れた人はそれを持ち帰ることができます。
 オルロイは、毎日11時が近づくと、地元の人も観光客も、老若男女を問わずそこを囲むすべての人を童心にかえす力を持つ、インタラクティブな現代アートなのでした。

オルロイを管理するシステム。

花崗岩に覆われる前に撮られた、内部構造の写真。11時になると上部から落ちるガラス玉はワイヤー2本のレーンをぐるぐると伝って、3つののぞき窓のどこかに届く。

ガラス玉をつくる工房、Jaroslav Svoboda AGSへ

 ガラス玉を製造するJaroslav Svoboda AGSは、カルロフ(Karlov)という町の自然豊かな森の中にあります。オルドジフ氏と友人であるスヴォボダ氏が率いるこの工房が、2010年のオルロイ創立時からガラス玉の製造を手掛けてきました。
 工房では、特別バージョンのガラス玉も見せてもらいました。これはブルノに縁のある偉人、メンデルをテーマにグリーンピースの色で作られたガラス玉です。オルロイのガラス玉は、時にこうして祝日などのテーマに応じたものが年に何度か用意されるそう。種類違いのガラス玉をコレクションしたくなる人も多いことでしょう。
 毎日ひとつずつ誰かに届くガラス玉は、ここの職人たちがチェコの伝統的な製法で、手作業で大切につくり上げているものなのです。

 

Jaroslav Svoboda AGSの玄関に立つスヴォボダ氏。なお工場では事前予約制で吹きガラスの体験などもできる。ブルノからは車で約1時間、もしくは電車とバスで2時間ぐらいかかる距離で、ブルノからはエクスカーションとして出掛けるのに向く。

建物は、廃校となった小学校をガラス工房に作り替えたもの。優しい笑顔のガラス職人が仕上げ作業を行っていた。

2003年ごろまでには126人もの従業員がいたが、時代の流れもあり、今では7人のみが働く静かな工房となっている。

アーカイブルームには大きさもテイストも幅広いガラス作品が並ぶ。なおこの作品のほとんどのデザインをスヴォボダ氏が行っている。

メンデルをイメージさせるグリーンピース色で作られた、特別な日のためのガラス玉。

市民の寛容性を感じる町

 2018年の市のPR資料を読むと、「生活の質の良さ部門」において世界第22位と上位に輝いたブルノ。観光客や海外企業の誘致にも積極的で、そのエネルギッシュな発信力により私も今回この町に引き寄せられました。オルロイの制作は、文化の深さと、新しさを受容する人々の魅力を印象付ける、ブルノならではの面白い挑戦だったのだと思います。
 残念なことに、オルロイのガラス玉については過去に入手者がネットオークションで高値で販売するという問題が起こり、市ではガラス玉を止める検討がなされているそうです。
 世にも不思議な天文時計を実現させたブルノならではの柔軟さで課題を突破し、これからもオルロイが人々から愛され続けることを願っています。

 

旧市庁舎の入り口にある石細工の真ん中の小塔がぐにゃりと曲がっているのは、16世紀の建設当時に、建築家がこの建設費を充分に支払わない依頼主へのうっぷん晴らしのためにしたという逸話がある。

ブルノを歩くと、古い町並みに溶け込む現代アートにしばしば出会う。この町で芸術を学ぶ若者も多い。写真の人々の頭上にある傘を使った作品は2017年と2018年の夏から秋にかけて設置されたもの。

ブルノ市内には小さな青空本棚がいくつかある。これは本をシェアするためのもので、誰でも自分が読み終えた本をここに置き、また自分の好きな本を持ち帰ることもできる。読書好きの市民性と治安の良さゆえに成り立つ取り組み。

このコーヒースタンドは、写真の中央に写る若い実業家の男性が始めた非営利のプロジェクト。スタンドで配られるフォーチュンクッキーに書いてある指示(善行)に従うと約束すれば、ここでコーヒーを無料でもらうことができる。


オルロイののぞき窓を使ってはしゃぐ地元の若いカップル。ブルノの人たちの日常にオルロイは溶け込んでいる。