1738年、ピエール-ジャケ・ドローがスイスのラ・ショー・ド・フォンに構えた工房をルーツとする。ピエールは、時計のムーブメントに音楽を奏でる機構やオートマタを組み合わせた作品を製造し、オートマタ職人としてヨーロッパの宮廷で成功を収める。59年には息子のアンリ・ルイ、養子のジャン-フレデリック・レショーとともに、ジャケ・ドロー&レショー社を設立。74年にはピエール-ジャケ・ドローの代表作となる3体のオートマタを製作した。同じ年、ロンドンに工房を設立し、中国やインド、日本への輸出を開始する。翌年にはオートマタを携えてヨーロッパ各地とロシアの宮廷を巡り、その名声を世界に広めた。
84年、アンリ・ルイとレショーはジュネーブに小型の時計を主とする時計工房を設立し、複雑機構を搭載した時計の製造を本格化させる。その後、ジャケ・ドロー&レショー社は休止を余儀なくされるが、2000年、スウォッチ グループに買収されブランドとして復活を果たす。02年に発表された「グラン・セコンド」は、18世紀の懐中時計から着想を得た、12時位置に配された時分表示のインダイアルと6時位置に配された秒表示のインダイアルが重なり合う文字盤のデザインを特徴とする。13年には、同社の歴史に基づいて、機械仕掛けで鳥がさえずるシンギングバード機構を腕時計に組み込んだ「チャーミング・バード」を発表した。この時計は、6時位置のガラスドーム内に配置されたミニチュアの鳥が羽ばたき、内蔵されたピストンによってさえずる機構を持つ。現在は創業の地ラ・ショー・ド・フォンのアトリエにて、細密画やエナメル技法、彫金細工、オートマタを取り入れた時計が生み出されている。