ブレゲの時計は、すべてスイス・ジュウ渓谷のロリアンにあるファクトリーで製作されている。いわばブレゲそのものと言えるこのファクトリーが、撮影はもちろん訪問さえ難しいのは当然だった。しかし2023年、ブレゲはロリアンのファクトリーを公開した。多くのブレゲ愛好家、そして時計愛好家にとってはおそらく初となる、ブレゲのファクトリー内部取材。その充実ぶりを、とくとご覧あれ。
Photographs & Text by Masayuki Hirota (Chronos Japan Edition)
[2023年8月9日公開記事]
名門旧ヌーヴェル・レマニアこそ、現ブレゲ・マニュファクチュール
スイス・ジュネーブから車で約1時間半。ジュウ渓谷に下り、ル・ブラッシュから東に向かうと、フランス語で「東」を意味するロリアンに至る。その中心部にそびえるひときわ大きな建物が、旧ヌーヴェル・レマニア、現ブレゲのファクトリーだ。
延べ床面積は約2万1000㎡、従業員数は750名ほどというから、大工場が並ぶジュウ渓谷でも屈指の規模である。建屋はふたつ。19世紀に建てられた旧棟では複雑時計の組み立てや修復などが手掛けられ、2008年に落成し、13年に拡張された新棟では、設計や部品の製造、装飾から組み立てまでが行われる。
レマニア時代から受け継がれる工作機械という“宝”
まず見せてもらったのは、新棟にある部品の製造工程だ。最新の工作機械が並ぶのは他社に同じ。しかし一角では、スイスではかなり珍しい、プレス機がフルに稼働していた。
ロリアンのファクトリーは、かつてクロノグラフムーブメントメーカーとして名を馳せた、ヌーヴェル・レマニアの本社屋だ。今でこそ、クロノグラフの部品は切削で作られる。しかし、2000年代以前はプレスが当たり前であり、レマニアはその技術に長けていた。
レマニアの伝統を受け継いで、今のブレゲも部品の製造にプレスを多用している。担当者曰く「地板と受け以外、多くの部品はプレスで製造する」というから、その時計作りはかなりクラシカルだ。普通、ブレゲのような少量多品種メーカーは、大量生産向けのプレスよりも、少量生産に向いたCNCマシンによる切削を好む。
しかしブレゲは、質を安定させるため、あえてプレスを多用している。その好例が穴の加工だ。ブレゲでは、切削で開けた穴を再度プレスで打ち抜くことで、穴の公差を最大5ミクロン以内に収めている。同社の時計が、優れた精度を持つ隠れた理由だ。
手作業による仕上げと彫金、ギヨシェ彫りはブレゲの象徴
新棟の2階にあるのは、ブレゲそのものと言える、仕上げと彫金部門だ。仕上げのすべてが手作業によるのは当たり前だが、意外なことに、仕上げ用のツールはまったく指定されていない。
あるエングレーバー曰く「美しい仕上げが施せるならば、木でもプラスティックでも、道具は何でも許されている」とのこと。他社では考えられない自由さだ。
また、普通はCNCマシンで大まかに面取りを施すが、ブレゲの一部モデルでは、その工程もまったく行っていない。つまり、職人が完全に手作業で面取りを行うのだ。
ギヨシェ彫りの工程でも、目立つのはやはり手仕事だ。かつてブレゲはギヨシェ彫りをジュウ渓谷のさまざまな工房で行っていた。しかし2015年に、すべての設備と職人をロリアンに集約した。また、それに合わせてギヨシェの機械も内製するようになった。ギヨシェ彫りの作業自体は2世紀前とまったく同じだ。円盤の模様をなぞり、それを手の力だけで18Kゴールドの板に転写していく。しかし新しい機械は、作業台に手を置けるようになったほか、カムを支える軸にもベアリングが埋め込まれた。そのため、加工時の振動が手に伝わらなくなったとのこと。
優れた音量と音質を持つブレゲのミニッツリピーターの秘密
仕上げられた部品は、組み立て部門に回される。案内されたのは、複雑時計の極みである、ミニッツリピーターとトゥールビヨンの組み立て工房だ。
現在、ブレゲのミニッツリピーターは、ムーブメントの設計は基本的に変わらないのに、優れた音量と音質を持つようになった。責任者にその理由を尋ねたところ、「今のミニッツリピーターは、ケースとゴングをゴールドで作り、ゴングをケースに取り付けた」とのこと。その結果、「ゴングの振動をケースに共鳴させて響かせる際、邪魔しなくなった」と言う。
数年前に音響の理論が分かる人間が入社して以降、ブレゲのリピーターは音が劇的に変わったと責任者は語る。その証拠に、「ブレゲがかつて作ったミニッツリピーターも、工房で再調整すると音は明らかに改善される」とのこと。昔のリピーターはケースではなくムーブメントにゴングが付いているため、理論上は音を改善しにくい。しかし、くだんの責任者は「私たちはリピーターを調整するノウハウを蓄積した」と説明する。
ブレゲの代名詞、トゥールビヨンの精度を高める職人のノウハウ
圧巻なのはトゥールビヨンの組み立て部門だ。現在、ブレゲが製作するトゥールビヨンは17リファレンス。モデルによって、構成も重さもまったく異なるキャリッジを職人たちが組み立てていた。
興味深いのは、片重り取りのプロセスだ。トゥールビヨンを正しく「回す」には、キャリッジの重量バランスを完全に正す必要がある。しかし、手作業で仕上げた部品を組み上げると、どうしても片重りが生じて、バランスは崩れてしまう。
見せてくれたのは、Cal.581DRのキャリッジだ。外周にネジで固定された複数の錘をずらして、片重りを取っていくとのこと。キャリッジを専用の工具に載せ、回転させては片重りをチェックし、スムーズに回らなければ、錘の位置を変えて調整していく。トゥールビヨンの高い精度をもたらすのは、あくまで地味な作業なのだ。
ブレゲの伝統継承の証し、圧巻の修復部門
続いて訪れたのが、修復部門だ。2名の時計師が「シンパティック・クロック」(!)と1808年製のリピーターを修復していた。
机の上に広げられたのは、バラバラにされた「シンパティック・クロック」である。現在は、再メッキされた外装部品を組み立てていると説明を受けた。手作業で部品を組み付け、その都度、ガタを丁寧に修正していく。
1808年製のリピーターは部品の製造中。「昔の時計はネジのピッチがバラバラだ。そのため、場合によってはその時代のネジを一から作り直している」と担当の時計師は語る。
ひとりの時計師が手招きをして巨大な箱を見せてくれた。蓋を開けると、なんと「マリー・アントワネット No.1160」が鎮座しているではないか。「マリー・アントワット No.160」の完全な復刻版を作るという壮大なプロジェクトは、故ハイエック・シニアの肝いりで進められたものだ。生産ラインを止めてまで完成を急がせたというから、これはいわばブレゲの象徴である。
ジャーナリストでさえも間近で見られなかった本作を、工房訪問の最後に見せてくれたのは、ブレゲの粋な計らいであり、伝統を今なお受け継いでいるという宣言だろう。
大規模な設備と、職人技を融合させたブレゲのロリアン ファクトリー。確かに今のブレゲは、普段使いにも向く時計に進化した。しかし、ブレゲらしさをもたらす手作業は、昔から何ひとつ変わっていないのである。
なるほど、ブレゲが、時計好きだけでなく、時計業界関係者からも敬意を払われるのも当然だろう。
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