パテック フィリップとオーデマ ピゲはどちらもスイスの名門時計ブランドで、同じ年代に同じデザイナーがデザインした時計をアイコンウォッチとしている。しかし、その販売戦略や展開するモデルの方向性は大きく異なっている。今回はコンプリケーションウォッチや複雑機構の開発、ドレスウォッチ分野の展開について、ふたつのブランドを比べてみてみよう。
コンプリケーションウォッチへの挑戦
パテック フィリップとオーデマ ピゲの両ブランドにとって、複数の複雑機構を搭載したコンプリケーションウォッチの製作は伝統の一部である。特に19世紀後半から20世紀前半にかけて、この分野における記録が次から次へと生まれた。
1892年、オーデマ ピゲは腕時計史上初のミニッツリピーターを発表し、1921年に最小のミニッツリピーターを完成させた。パテック フィリップは、1889年に懐中時計用永久カレンダー機構の技術特許を取得し、1902年にはダブル・クロノグラフ(スプリット秒針クロノグラフ)機構の技術特許を取得している。
彼らにとって特に大きな挑戦だったのは、複数のコンプリケーションを組み合わせたものである。こうした機構は、ムーブメントの中に空間を確保した上で設計する必要がある。ひとつの複雑機構が追加されるごとに、組み立てと調整も難しくなっていく。
克服すべき困難や達成すべき記録があるときには、その任務を成し遂げようとする誰かの存在がある。アメリカ人実業家のジェイムズ・ワード・パッカードとヘンリー・グレーブスは、世界で最も複雑な時計を生み出そうと互いに競っていた。両者はパテック フィリップにコンプリケーションウォッチの製作を複数回依頼しており、特にパッカードは1900年から1927年の間に13個も発注している。
その中で、最後に納品された時計が最も多くの機構を有していた。搭載されていたのは、3つのゴングを持つカリヨンを備えたミニッツリピーター、ムーンフェイズ搭載のパーペチュアルカレンダー、日の出と日没時刻表示、均時差表示、星座表示である。
それからわずか5年後の1932年、パテック フィリップはグレーブスの注文でさらに複雑なスーパーコンプリケーションを完成させた。この懐中時計には、ミニッツリピーター、ウェストミンスターチャイム、ムーンフェイズを備えたパーペチュアルカレンダー、スプリットセコンド・クロノグラフ、アラームクロック、恒星時、日の出と日没時刻、均時差、星座表示などが搭載されていた。2014年に行われたサザビーズのオークションで、このスーパーコンプリケーションは2323万7000スイスフラン(約28億円)で落札され、時計の最高落札価格を更新した。
グレーブスの注文した懐中時計を超えるコンプリケーションウォッチが誕生したのは、1989年のことだ。パテック フィリップは創業150周年を記念して、33もの複雑機構を搭載した懐中時計「キャリバー89」を発表したのだ。
この時計は、両面の文字盤に8つの表示ディスクを備え、1728個のパーツで構成されたムーブメントを搭載している。前面には、4桁の西暦表示、ムーンフェイズ、月齢を表示する永久カレンダー、スプリットセコンド・クロノグラフ、第2時間帯表示が備えられている。背面には恒星時、均時差、日の出・日没時刻、春夏秋冬、春分・秋分・夏至・冬至、星座、回転式星座早見盤などの天文表示がある。鳴り物機能では、グランドソヌリとプチソヌリ、4本のゴングを備えたミニッツリピーター、5本目のゴングを備えたアラームを搭載している。
キャリバー89に搭載されている機構は、いくつか特許を取得している。教会暦によって4週間のずれが生じるイースターの日付表示や、400年の周期をベースとして28世紀まで日付の修正が不要な永久カレンダーの表示などだ。グレーブスやパッカードの時計がユニークピースであったのに対し、パテック フィリップはキャリバー89を4点製作している。
パテック フィリップは2000年に、永久カレンダー、日の出・日没時刻、均時差、星座など21の表示機能を備えた「スターキャリバー2000」を発表し、複雑な懐中時計の製作を続けている。翌年には、両面に文字盤を配した超複雑腕時計「スカイムーン・トゥールビヨン」を発表した。これは永久カレンダー、ミニッツリピーター、トゥールビヨン、恒星時、星座、ムーンフェイズの表示機能を搭載している。
パテック フィリップにより製作された最も複雑な腕時計は、2014年に発表された「グランドマスター・チャイム」だ。2枚の文字盤を備えたこのモデルは20もの機能を搭載し、ムーブメントは1366点のパーツで構成されている。打刻機能だけでグランドソヌリとプチソヌリ、ミニッツリピーター、特許を取得した新しいデイトリピーター、そして時報付きアラームの5つの種類がある。さらに、ムーンフェイズ付き永久カレンダーと第2時間帯表示も備えている。
オーデマ ピゲはパテック フィリップほどコンプリケーションウォッチに力を注いでいるわけではないが、前述のように1892年に腕時計初のミニッツリピーターを製作し、今日に至るまでミニッツリピーター、永久カレンダー、クロノグラフの組み合わせを忠実に守り続けている。クラシックなパテック フィリップのモデルとは対照的に、オーデマ ピゲはグランドコンプリケーションをスポーティーな「ロイヤル オーク」や、さらに個性的な「ロイヤル オーク オフショア」でも展開している。チタンやセラミックスなど、現代的な素材が使用されることもあり、よりモダンなモデルが多い印象だ。
複雑機構の開発
オーデマ ピゲは、革新的で斬新な複雑機構を数多く開発している。そうした機構の多くは、オーデマ ピゲに所属し、リシャール・ミルの驚異的なムーブメントの設計と製作でも知られるルノー・エ・パピの工房で生み出される。例えば、オーデマ ピゲの一部のムーブメントに採用されている、小さな針でリュウズのポジションを表示する機能や、ストップミニッツのリニア表示などだ。
2015年、オーデマ ピゲはスプリットセコンドクロノグラフのまったく新しい停止機構を、「ロイヤル オーク コンセプト ラップタイマー ミハエル シューマッハ」で発表した。これは、2本のセンタークロノグラフ針をふたつのプッシャーで別々に制御するというものである。追加されたプッシャーは9時位置にあり、2本の針のうち1本を停止させ、ゼロリセット・リスタートさせる。モータースポーツのラップタイムの計測時には、途中の時間を記録している間に、次のラップの計測が開始できるようになっている。普通のクロノグラフでもスプリットタイムは計測できるが、スプリットセコンドを示す針のためにプッシャーを押すと、2本のうち1本は停止し、もう1本はそのまま稼働し続け、それ以降の新しいラップタイムを計測するためにゼロ位置に針が戻らないのである。
時計師にとって最も難しい複雑機構は、ミニッツリピーターだと言われている。時間を読み取り、打刻するという複雑なシステムに加え、聞き取りやすいピュアな音を生み出す必要があるからである。オーデマ ピゲは2016年発表の「ロイヤル オーク コンセプト・スーパーソヌリ」で、よりよい音質と音量を実現した。この革新的なチャイミングウォッチは、ゴングが取り付けられている音響板と、音を増幅させる空洞を備えている。ゴングによって音響板が振動し、増幅装置が音を外部に放出、腕で反射させる構造だ。これにより、着用時の音量がさらに大きくなったのである。
リピーターのもうひとつの課題は、雑音を起こしやすい、打刻速度を調整するアンカー機構であった。そこで、複雑な形状をした弾力性のあるバネに力を蓄えるアンカーが、振動からくる軸のブレを回避し、すべての雑音を解消する機構が新たに開発された。オーデマ ピゲはまた、リピーターを搭載した時計の他の弱点にも注目した。通常は、打刻時に時計の時刻調整を行うと機構にダメージが生じる。そのためスーパーソヌリの場合は、打刻中はリュウズが引き出せないようにするレバーが作動する。ゴングの新しい加工も、ピュアなサウンドを生み出すことに貢献している。また、多くのリピーター搭載時計が防水性をうまく確保できていないのに対し、ロイヤル オーク コンセプト・スーパーソヌリは30mの防水性を実現した。これらに加え、オーデマ ピゲはトゥールビヨンとクロノグラフをスーパーソヌリに組み込んでいる。
開発努力と組み立てにおける経験値も、薄さを重要視したコンプリケーションでは必要とされるものだ。オーデマ ピゲは2018年の「ロイヤル オーク RD#2」でも、ブランドの実力を見せつけた。自動巻きムーブメントを搭載しながらケースの厚さは6.3mmに抑えられ、世界で最も薄い自動巻きパーペチュアルカレンダーウォッチとなったのだ。このコンセプトウォッチで特に挑戦的だったのは、パーペチュアルカレンダーに必要なパーツをすべて1層に組み込んだことであった。自社製キャリバー5133において、オーデマ ピゲは自動巻きムーブメントの全パーツ256点を、厚さわずか2.89mmに組み込むことに成功したのである。
パテック フィリップも、革新的な複雑機構を開発している。1996年、パテック フィリップは年次カレンダーを発明した。また、2017年に発表された「アドバンストリサーチ・トラベルタイム・アクアノート5650G」では、タイムゾーン機能を改良している。ふたつのプッシュボタンでローカルタイムを設定するこのシステムでは、複雑な形状の金属部品が複数のバネとレバーに代わり、摩擦、摩耗、誤作動、そして消費パワーを軽減している。さらに、この機構は大幅に薄型化された。
エレガントなドレスウォッチの展開
エレガントなドレスウォッチの分野において、パテック フィリップとオーデマ ピゲはまったく異なる戦略を取っている。パテック フィリップがクラシックな「カラトラバ」に注力し、多くのバリエーションを提供しているのに対し、オーデマ ピゲは2019年発表の「CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ」をロイヤル オークのラインに加えて展開しているだけである。CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲはロイヤル オークよりエレガントだが、オープンワークの施されたラグや特別な書体によって、1930年代~50年代にルーツを持つパテック フィリップのカラトラバに比べるとずっとモダンな印象だ。また一部が省かれた文字盤や、正面から見えるムーブメントのスケルトン加工など、オーデマ ピゲはこのコレクションにおいてもトレンドを取り入れている。
両社ともに、クロノグラフなどの機能を備えたよりエレガントなモデルも展開している。パテック フィリップは使いやすい第2時間帯表示、ワールドタイム表示、年次カレンダーで知られている。オーデマ ピゲは視覚的に斬新なトゥールビヨン、永久カレンダー、ミニッツリピーターで知られており、3つのサテライトと4つのデジタル式時刻表示、時刻をレトログラード式にミニッツスケールの90度の角度で見せる「CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ スター ホイール」も復活させた。
しかし、全体的に見れば、エレガントな範疇におけるデザインや複雑機構の選択肢はパテック フィリップの方がはるかに多く、これは同社社長のティエリー・スターンが望んだことでもある。時が経つにつれて、両ブランドは互いに方向性を模索し、異なる位置付けに至った。オーデマ ピゲはポップカルチャーを取り入れ、象徴的なロイヤル オークに焦点を当てることで、より現代的なモデルを多数展開した。パテック フィリップは、よりクラシックなデザインや多くの複雑機構を維持し、アイコニックな「ノーチラス」への熱狂的な人気の抑制を試みている。
しかし、パテック フィリップとオーデマ ピゲに共通しているのは、それぞれの戦略のもとに事業として非常に成功しているということだ。
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