森さんが起業したアノドスの製品第4号が、手に持っているデジタルコースター。その背景でグラスを載せているコースターも同じもので、飲んだアルコール飲料の量をLEDのカウンターで積算する仕掛け。体重やアルコール度数を設定しておけば、アルコールが分解されるまでの時間も表示してくれる。加えて、飲んだアルコール飲料の量をサーバーに送信し、管理もできる。F.P.ジュルヌ初のスポーツウォッチ、サンティグラフ・スポーツ。ケースとブレスレットは酸化アルミニウム製。さらに、ムーブメントの地板も酸化アルミニウムとし、総重量わずか55gを実現した。本来、軟らかいアルミニウムを特殊処理で酸化させ、時計の外装や地板として使える強度と耐久性を得た。外装の一部にラバーを使用している。
森さんは、世界屈指のF.P.ジュルヌのコレクターである。手前味噌で申し訳ないが、筆者が構成・解説を務めさせてもらったフランソワ-ポール・ジュルヌの著書『偏屈のすすめ。』(幻冬舎刊)でも、オーナー代表のコメンテーターとして登場していただいた。
大学卒業後、ソフトウエアやネットワーク、オンラインゲームをはじめとするインターネットのコンテンツと、一貫してIT関連の仕事に従事してきた森さんが、その対極にあるような機械式時計に傾倒したのは、オートマタがきっかけだった。優れた企画・開発力の持ち主である森さんは、業界では、その名が知られる存在。しかし仕事の成果は、モニター上でしか見ることができず、実際に手に取ることはできない。
「そうした自分の仕事に行き詰まりを感じ、形あるモノ作りを完結したいと思い始めた頃、オートマタの存在を知ったんです。ロボットの先駆けであり、僕が携わってきたゲームやシステムの原型。それがしっかりとした形あるものになっていることに衝撃を覚えました。それからウェブや書籍、雑誌などで、日本のからくり人形を含め、随分とオートマタについて調べました」
そしてある日、時計に詳しい知人から、「オートマタが好きなら、きっと興味をそそられると思いますよ」と誘われ、出向いたのが、F.P.ジュルヌ東京ブティックの開業1周年記念パーティーだった。
「そこでクロノメーター・スヴランの記念限定モデルを見て、外装や機械の美しさに引かれたんです。ダイアルを見るとラテン語で〝発明し製作した〟と書いてあるのも、心に刺さりました。そして、職人から自らのメゾンを立ち上げ、世界的に評価されていることに憧れを抱き、迷わずその記念モデルの購入を決めたんです」
ジュルヌ・ウォッチのオーナーとなった森さんは、ジュルヌ氏が来日するイベントに招待され、本人と話をする機会を得るようになった。寄木細工をプレゼントするなど親交を深める中で、時計以上にジュルヌ氏に対する興味が高まっていったという。
「どのようにブランドを立ち上げ、育ててきたのか? 会社組織はどんなふうに構築されているのか? スタッフ選び、マネージメント、時計師として新たな機構を創造する着眼点……。とにかく彼のすべてを知りたくなったんです。それは、形あるモノ作りを完結したいと願う自分自身の手本になると感じたから。彼ともっと接点を持ちたい。だったら時計を買えばいいとの結論に達し、次々に購入していきました」
初期の代表作であるクロノメーター・レゾナンス、トゥールビヨン・スヴランを買い、ミニッツリピーター搭載のレペティション・スヴランをオーダーし、さらに新作が出るたびにその第1号機を購入してきた。
「ソヌリ・スヴレンヌを買う時はちょっと躊躇しましたが、マンションなどの不動産を買ってそれに縛られるより動産の時計を買った方がいいと思い、注文しました。組織や不動産に縛られるのが嫌いなんです」
時計を購入することで、ジュルヌ氏との親交はますます深まっていった。ジュネーブのアトリエにも足を運び、そこで働くスタッフと話をするチャンスも得た森さんは、「みんな生き生きと仕事をしていることに、すごく感銘を受けた」と語る。
「スタッフ全員にジュルヌ氏の美学が行き渡っている。それは彼の時計に対する想いが明確だからなのでしょう。そしてその想いは、ちゃんと形になっている。彼自身が優れた時計師で、その下で働く時計師も彼の仕事を見て腕が上がり、製品がより高品質になる。とても良いサイクルが出来上がっているんですよね。そうした仕事を僕自身も手本にしたいと、強く思いました」