2023年3月1日、スウォッチは登場から40周年を迎えた。「スウォッチはスイス時計業界を救った」と言われるが、この見方はほぼ正しい。ヨーロッパスターのアーカイブ記事を見ると、この“手の届きやすいスイス製腕時計”に対する当時の反応がよくわかる。スウォッチは当時から技術的にもマーケティング的にも画期的なモデルとして認識されていたのだ。
シンプルな構造、手頃な価格、特徴あるデザインで唯一無二の地位を確立したスウォッチ
スウォッチは逆境から生まれた。スイス経済はそれまでにないスイスフラン高に見舞われ、スイス国内は大量生産品で占められていた。また、ETAが1979年にヨーロッパ初の量産型クォーツムーブメントを発表するなど、クォーツウォッチが定着しつつあった。しかし、スウォッチの先駆けとなったのは、この年に発表された別の製品だった。超薄型の「デリリウム」だ。この時計が搭載するムーブメントはケースバックに一体化されていることが特徴だった。エボーシュSAの責任者であるエルンスト・トムケは、デリリウムの先進的なデザインが、量産体制にも適していることを認識していた。
エンジニアのエルマー・モックは電子機器用のプラスチック絶縁体を研究していたところ、同じ射出成形技術で時計のケースにも転用できることに気がついた。ジャック・ミュラーら同僚とともに、モックはのちにスウォッチとなるデッサンを製作。このデザインはまさにトムケが求めていたものであり、すぐに小さなグループがデザインを起こして、先進的な新しい時計のための量産体制を整えた。
ごく初期にスウォッチについて言及したのは、1982年7月発売の『Trade Bulletin』955号であった。新規登録のブランド名のリストには、グレンヘンのETAが登録したスウォッチが含まれている。この時点までに、エボーシュSAは秋にテキサスにおいて、求めやすい価格のプラスチック製腕時計をテスト発売する準備をしていた。従来の時計小売店のほとんどに拒否されたものの、スウォッチにはエボーシュSAが量販店の流通網で発売できるくらいの価格競争性があった。これが既存のスイスブランドの名前を使ってではなく、新しいブランド名で発表された理由のひとつである。
より詳しいレポートが掲載されたのは欧州とアジア向けのヨーロッパスター、そして『Trade Bulletin』においてであった。時計の技術的詳細を取り上げ、デリリウムの一体型ムーブメントの近似性を取り上げ、時計の組み立てに使用された新技術について述べている。また、スウォッチのオリジナルスタイルを紹介するモノクロの写真も掲載されている。
テストマーケティングの広告では、スウォッチの幅広いスタイルと頑丈さが強調されている。しかしエボーシュSAは、早い時期からスウォッチを愛用していた人々が、色違いの2本目、そして3本目を購入している事実を好意的に受け止めていた。マーケティングの第一人者であるフランズ・スプレッチャーはこの機会を捉え、定期的に新しい色やスタイルを投入し、スウォッチコレクターの後押しをした。これが40年後にも、スウォッチのマーケティングの基盤となり続けているのだ。
スウォッチは、1983年3月1日の記者会見でエルンスト・トムケによって正式に発表された。彼はスプレッチャーの「2本目の時計」というアイデアを強調し、ヨーロッパから日本にわたる競合を対象とした広告に焦点を当てていた。モンディーンの「Mウォッチ」や、フォルティスの「IDウォッチ」は、ミグロやインターディスカウントといった大手小売店の顧客に手頃な価格の新しい選択肢を提供した。そして危惧されていたとおり、アジア製の類似品がすぐに市場にあふれた。
しかし、スウォッチは常に新しいスタイルと現代的なデザインを発表し続けることで、競争に勝ち残った。『Trade Bulletin』によれば、発売から半年で約40万本が売れたという。スイス、イギリス、アメリカでしか販売されていなかったことを考えれば、これは驚くべき成功だった。スウォッチはトレンドセッターたちによって流行し、カラフルな時計はファッションアクセサリーのマストアイテムになった。
スウォッチは、1984年のアメリカ『フォーチュン』誌による「プロダクト・オブ・ザ・イヤー」の12点のうちのひとつとして、アメリカンエクスプレスのプラチナカードやアップルのマッキントッシュとともに選ばれた。大々的な広告宣伝と顧客の熱心な支持のおかげで、営業成績は国際的にも急伸した。マーケティング活動で特に目立ったもののひとつが、ギネスブックにも登録された、フランクフルトで展開された高さ158mのスウォッチの広告だ。1984年には350万本以上が世界で販売されていた。
Europa Starのアーカイブを紐解きつつ、私は専門家のひとりに1980年代の「スウォッチ・マニア」について思い出してもらった。私の妻は、当時の多くのアメリカのティーンエイジャーと同じように、自分の手首や広告で見た初めてのスウォッチをはっきりと覚えている。手に入れやすい価格だが、クールさを保持した特別感のあるスウォッチは、ファッションアクセサリーとして欠かせない存在だった。そして新しい商品ライン、デザイン、新色が継続的に投入され、需要は増え続けた。彼女は現在でもスウォッチを好み、毎年発表されるスウォッチのスペシャルエディションや、世界各地での限定モデルを好意的に見ている。
スウォッチはスイス時計産業に潤沢な資金をもたらしたが、それ以上に重要なことがあった。模倣品や競合を一笑に付し、消費者が本物を求めていることを証明して見せたのだ。このように、スウォッチはロレックスの「サブマリーナー」やオーデマ ピゲの「ロイヤル オーク」のように模倣品も多く出回ったが、つねに一定の需要を維持し、また消費者の多くに、時計収集という趣味をもたらした。私たちの中に1本のスウォッチも持っていないという人はいるだろうか?
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