高級ファッションブランドとして知られるシャネルは、時計部門に多額の投資を行っている。高品質で特別なデザインの時計とムーブメントを作り上げるために、シャネルはラ・ショー・ド・フォンにある自社工場の機能を万全に整えてきた。今回はこの自社工場の見学レポートとともに、1987年から現在までのシャネルの時計製造の経緯をたどりたい。
高級腕時計ブランドとして地位を確立したシャネル
一般的にはファッションブランドとして名高いシャネルだが、時計ジャーナリストである私はシャネルに魅了されてきた。それは「J12」の登場以来、いや、もっと正確に言えば、2000年にJ12を初めて手にして以来だ。まず、その素材が私を興奮させた。磨き上げられたセラミックスの、ガラスのような硬さと滑らかさは、手首に着けるとすぐに温かみを帯び、硬さは薄れていく。
次に、時計の形である。世界的なファッションブランドのものとして想定されるようなレディスウォッチではなく、いつでもどこでも、そして男性でも、着用できる腕時計なのである。セラミックスの視覚的、触覚的な魅力が存分に発揮されているのは、リンクブレスレットに由来するだろう。シャネルが本格的に時計業界へ参入したのは、J12をもってしてだと私は考える。そして現在、シャネル抜きの時計業界を想像することは難しい。
1987年から続く、シャネルの時計製造の歴史
J12は私を魅了したが、シャネル唯一のモデルではない。シャネルが時計というテーマに真摯に取り組んできた姿には、常に感銘を受けてきた。1987年に最初の腕時計である、八角形の「プルミエール」が発表されたわずか6年後の1993年に、シャネルはラ・ショー・ド・フォンにあった時計製造工場のG&Fシャトランを買収した。1947年創業のG&Fシャトランは、ゴールドパーツの研磨と仕上げ、メタルブレスレットの製作、宝石のセッティングなどを専門としており、すでにシャネルのためにプルミエールを製作していた。
ラ・ショー・ド・フォンの周辺には、針の製造会社ユニヴェルソやブライトリングのムーブメント工房があった。現在はシャネルの自社マニュファクチュールとして生産を行うこれらの工房では、以前と変わらず、他のブランドにもプロダクトが供給されている。このエリアには2棟目のビルが2012年に建てられ、現在はシャネルのジュエリーの製造の多くを担っている。私はずっとシャネルの工房見学をしたいと思っていたが、それはJ12のセラミックスケースとブレスレットのためだけではなく、普段は目にすることができないようなもののためであった。そして、とうとうその機会がやって来た。
ラ・ショー・ド・フォンのシャネル自社工場を見学
まず伝えておきたいのは、シャネルの工房は想像していたよりずっと大規模なものだったということだ。垂直一体化構造を持った、完全装備の時計工場だったのである。1万4000平方メートルの敷地には約500人の従業員が働いており、その多くが10年以上勤務している。ただ、生産の100%がここで行われているということではない。よく知られているように、シャネルは2019年、チューダーが過半数の株を所有するムーブメント工場ケニッシの株式を取得した。J12の多くに搭載されているCal.12.1とCal.12.2はケニッシで組み立てられている。
だが、シャネルは自社製ムーブメント搭載モデルの開発・組み立ては自社工場で行っている。J12のセラミックスケースやブレスレットも、この自社工場で生産されているのだ。ダイヤモンドのセッティングは非常に重要な役割を担っており、品質検査も常に実施されている。今回の見学ツアーは、アトリエ・フォー・ホモロゲーション(認定工房の意)と呼ばれる部屋からのスタートとなった。
シャネルの時計デザインを担当するアルノー・シャスタン
しかしその前に、私たちの思考はラ・ショー・ド・フォンの工房から遠ざかる。シャネルは世界有数のファッションブランドのひとつであり、時計の技術が非常に重要であるが、最も重要なことではない。何よりもデザインの美しさを重視しているのだ。シャネルは基本的に白と黒のカラーリングで構成され、他にも赤やベージュをブランドカラーとして使用している。
また、創業者のガブリエル・シャネルの星座である獅子座やコメット、カメリア(椿)の花など、いくつかの時計にも使われているモチーフがある。現在のシャネルの創造性と一貫性を担っているのは、パリのヴァンドーム広場にオフィスを構えているシャネル ウォッチメイキング クリエイション スタジオ ディレクターのディレクター、アルノー・シャスタンだ。シャネルの時計はすべて、シャスタンのアイデアから生まれるのである。シャスタンはアイデアをラ・ショー・ド・フォンの技術者と共有し、そこで具体的な技術的ソリューションに落とし込むのである。
デザインをもとに時計を実現させる研究開発部門
アルノーが率いるパリのクリエイション スタジオがデザインするシャネルの時計は、研究開発部門の技術者らの手により実現される。「J12 サイバネティック」を例に取ると、デザインスタジオと研究開発部門の連携がどう機能しているかが分かるだろう。
アルノー・シャスタンがデザインのアイデアを伝えると、まずプロジェクトチームが立ち上がる。ホワイトとブラックのハードな分け目によって個性が際立つJ12 サイバネティックに取り掛かっている時、技術者たちは計画とは異なる方法でケースを製作する必要があることに気がついた。このケースは2色のセラミックスパーツを組み合わせて作るが、防水試験をはじめすべてのテストに合格するために、それぞれの縁をつなげる必要があったのだ。研究開発部門ではケース内部の核を形成する金属リングを用いることで、必要な防水性能を確保する解決策を見いだした。彼らはケースの完成形を正確に描き出し、ワックス模型を作り上げ、シャスタンの承認を得る。その後、プロトタイプが製作されるのである。
あらゆる条件で時計をテストする検査部門
それでは工房見学の話に戻ろう。我々はアトリエ・フォー・ホモロゲーションの検査部門に到着した。ここがシャネルの誇りであることがよく分かる。あらゆる種類の検査が行われる場所なのだ。時計はさまざまな衝撃やあらゆる気候条件、極端な温度変化にも耐えなければならない。検査では、ストラップは最大限に引き伸ばされ、ねじられ、擦られ、人工汗も加えられる。紫外線に当てられ、香水や日焼け止めクリーム、蚊よけスプレーなども付着する。防水性や磁場への耐性も検査されるのだ。品質検査として、シャネルが漏らしている項目はないだろう。
ビーチに置かれたり、マグネット付きのハンドバッグの中に入れられたりすることも想定されている。前者の場合、時計が砂に埋めて揺らされる。砂から取り出された後、洗浄し、ベゼルがまだ回せるか、砂粒が機械の妨げになっていないかチェックされるのだ。一方で、摂氏40度、湿度90%に14日間耐え、その後腐食の兆候が見られないことが要求される「トロピカルテスト」も行われる。J12は合計で約3000種類の検査を受け、所要時間は2万4000時間または1000日間に相当する。
射出成形で作られるセラミックスケース
2000年にJ12が発表された際、なによりもその素材が業界に驚きを与えた。磨き上げられた光沢のあるセラミックスが採用されたのである。セラミックスは硬くて傷がつきにくく、しかも低刺激性だ。シャネルは金属を使わずにセラミックスを採用したことで、黒と白のブランドカラーをそのまま腕時計に取り入れることができた。現在、スイスで時計のセラミックスケースを製造しているのは、スウォッチ グループに属し、ラドーなどの部品を製造しているコマデュール、自社でセラミックスベゼルを製造しているロレックス、そしてシャネルの3社のみである。
シャネルのセラミックス製造部門の責任者であるオリヴィエによると、製造工程はいくつかの明確なステップに分かれている。シャネルが使用するセラミックスは、魅力的な光沢を持ち、硬く耐久性に優れた酸化ジルコニウムである。「J12はすぐに割れる陶器と異なり、落下させても簡単には破損しない」とオリヴィエは語る。さらに、酸化ジルコニウムは機械的に加工しやすいという特徴も持っている。
また、セラミックスの色味も重要である。アルノー・シャスタンは、白について明確な考えを持っている。明るすぎず、“真っ白”ではなくわずかに黄色がかった温かみのあるきらめきがあり、一定の透明感があるのが理想の白だという。正確な色は顔料を混ぜて作られるが、その工程は企業秘密である。ケース、ベゼル、ストラップリンクの原型は、射出成形によって作られる。そのためには、まず粉末を加工しなければならない。シャネルは、セラミックスパウダーを樹脂製のつなぎや添加剤と混ぜ合わせ、射出成形に必要な顆粒状にすることを専門とするドイツのサプライヤーと提携している。
射出成形後、つなぎの樹脂は水によって洗い出され、蒸気で除去される。これは1300℃から1400℃の高温焼結炉で焼く作業で、個々の粒子に圧力をかけてつなぎを除去した後に、多孔性のあるものとする役割を果たす。焼結後、パーツは約25%収縮して硬くなり、また色味も変化して最終的なものとなる。ケースとブレスレットリンクはほぼ仕上がった状態になるが、まだ最終仕上げが残っている。ここからさらに2段階の入念な作業があるのだ。
まず、冷却されたセラミックスは複数の機械によるやすりがけを経ることにより、表面がなめらかになる。焼結後はステンレススティールの7倍の硬さに達するため、やすりがけには特別な工具が必要だ。最後に、研磨ナゲットで満たされた振動容器の中で研磨が行われる。この工程も非常に重要で、硬さと温かみに加え、表面にセラミックス特有のなめらかさと輝きを与えるのである。
19名の職人によって手作業で行われる石留め作業
ダイヤモンドは、シャネルの時計において大きな役割を果たしている。これは、ダイヤモンドがインデックスとして機能するJ12のレディスウォッチに始まり、限定20本の、ダイヤモンドがフルセッティングされたJ12の限定モデルにまで及ぶ。最高の品質を保証するため、シャネルではすべてのダイヤモンドが手作業でセッティングされている。
19名からなる部門の責任者であるヴィクトールは、生産における3つの品質基準について説明してくれた。「機械による石留め」では、後から石をセットするためのくぼみが機械によって作られる。一方、伝統的なセッティングでは、男女比およそ半々の職人たちが、異なる圧力を手作業で与えながらくぼみを作る。シャネルの最高品質とされるいわゆる「ハンマーストーン・セッティング」では、まずそれぞれの石がその形状に完璧に沿うように、セッティング部分に合わせて特別にカットされる。最後に、ダイヤモンドやルビーを固定するために、周囲の素材(ステンレススティールやゴールドなど)のエッジを曲げる。これが伝統的な方法を凌駕しているのである。
ケース部品の70%が製造される部品製造スタジオ
シャネルの部品製造スタジオでは、ムーブメント、ケース、ブレスレットのさまざまな部品が製造されている。CNCマシン、穴あけ機、旋盤、放電加工機などが、ステンレススティールや真鍮、ゴールド、チタンなどの素材をベゼルやブレスレットのリンク、その他の時計部品に加工する。研磨やサンドブラストなどの表面処理も、このプロセスの一環だ。リュウズ、針、文字盤、ネジ、PVDコーティングや金メッキは外注しているが、シャネルの時計ケースの70%はここで製造され、ブレスレットの割合はもっと高い。
ブレスレット、ケース、時計の3つの組み立て部門
シャネルにはブレスレット、ケース、そして時計の組み立てという3つの異なる組み立てエリアがある。時計職人が自分でブレスレットを組み立てるのは例外的なことで、目にすることはほとんどない。ここでもまた、シャネルのブレスレットリンクは約90点のパーツで構成されるという興味深い事実を知った。時計の組み立てが行われるクリーンルームへは、埃やその他の粒子を外から持ち込まないという理由から、中に入ることは叶わなかった。モデルによって、5つもしくは6つの工程が時計のヘッドの完成まで必要となり、その後ストラップが装着され、最終点検へと送られる。
複雑時計のためのオート オルロジュリー部門
シャネルは複雑時計のために、2011年に独自のオート オルロジュリー部門を設けている。少量生産されるこれらの時計は、最初から最後まで同じ時計職人によって組み立てられる。それぞれのムーブメントの開発もまた、アルノー・シャスタンのアイデアによって形作られる。その工程を良く表す例を挙げよう。
シャスタンは中央のダイヤモンドが1秒ごとに回転し、その周りを26個の小さなダイヤモンドがリング状に取り囲む、フライング・トゥールビヨン搭載のCal.5を構想することになった。彼はラ・ショー・ド・フォンの研究開発部門からの提案を2度却下した。いずれも彼にとって中央のダイヤモンドの大きさが不十分だったという理由からである。そして直径4.5mmのものが提案されたとき、初めて許可を出した。
だがこの大きさは技術者たちに新たな問題を生み出した。というのも、このように大きなダイヤモンドはムーブメントに使用するには厚すぎるからである。そこで工房では、より薄い新しい形状が開発された。「ムッシュー ドゥ シャネル トゥールビヨン メテオライト」に搭載された、Cal.5の派生版であるCal.5.1では、シャネルのエンブレムであるライオンがダイヤモンドの代わりに配されている。
過去7年間で、オート オルロジュリー部門は複雑時計のために合計5つのムーブメントを開発した。手巻き、ジャンピングアワー、レトログラードミニッツを備えたCal.1では、2016年の発表に際してローマン・ゴティエ社との協業と同社の少数株式取得を公表したが、実際の製作はシャネルで行われた。2017年には、ガブリエル・シャネルが愛したカメリアの花をブリッジに用いた、スケルトン仕様のCal.2を搭載した「プルミエール」が発表された。2018年には、同じくスケルトナイズされた、円形ブリッジが縦に連なるCal.3を搭載した「ボーイフレンド」が発表された。
シャネルのデザインコードは、オート オルロジュリーモデルにおいても重要な役割を果たしている。どのモデルにも、ライオンのエンブレムや円の中の円が必ずどこかに見られる。また、シャネルは仕上げも重要視している。鏡面仕上げが施された平らなネジや歯車、ダイヤモンド、プレシャスストーンはきらめきを放ち、対照的に円形のサテン仕上げの表面や黒いADLCコーティングは光を吸収する。一方、スケルトンブリッジは、ムーブメント内部の精巧さをできる限りケースバックから見ることができるようになっている。
工房見学に際し、私は20ページ以上ものメモを取っていた。セラミックスケースとストラップの製造工程を主に見るつもりで来たのだが、それ以上のものを見てしまったのだ。シャネルの時計部門は、将来の展開も期待できるだろう。
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