今回の特集に登場する時計愛好家の中で最年少のN.C.さんだが、彼女が時計を集める基準は、ブランド力でも、世間の評価でもない。幼いころから“かわいいもの”を嗜好してきた彼女は、時計選びにおいても、一貫して“かわいい時計”を追い求めるのだ。そして、気に入ったモデルなら、メンズかレディスかは問わない。その思いを強くできたのは、あるブティックのスタッフのおかげだという。自らの感性を信じ、好きなものをとことん貫く姿勢が、数々の名品を引き寄せ、彼女の生活に潤いをもたらしている。
28歳。10代の頃からオフ会やイベントに参加してきた社交的な性格で、現在は家族が経営する企業で役員を務める。趣味はジャンルを問わない“かわいいもの集め”で、ロリィタ服やアニメのフィギュアも好む。この日、彼女が着ていたのはロリィタ服のブランド「BABY, THE STARS SHINEBRIGHT」のワンピースだ。
Photographs by Yu Mitamura
山内貴範:取材・文
Text by Takanori Yamauchi
[クロノス日本版 2021年3月号掲載記事]
「周りの意見に流されず、自分の審美眼を信じたおかげで、珠玉の時計に巡り合えました」
リボンやフリルが付いたロリィタ服をまとって登場したN.C.さんは、「とにかく〝かわいいもの〞が大好き!」と笑顔で話す。その姿勢は時計選びでも一貫している。雑誌やネットの情報に惑わされず、直感的に〝かわいい〞と感じたモデルを選ぶのが鉄則という。Nさんの自宅は建築雑誌にも掲載された著名建築家の設計であり、祖父や母親も百貨店の担当者を通じてスイス製の時計を買い求めるほど、幼い頃から審美眼を養う環境が身近にあった。Nさんのかわいいもの好きのルーツは、母親の影響が大きいそうだ。
「母は女の子らしい服が好きで、ロリィタの愛好家も好むシャーリーテンプルの子供服を着せてくれていました。かわいいものが好きになるのは自然な流れでしたね」
そんなNさんが、自身の時計を初めて手にしたのは14歳の時である。母が15年ほど愛用していたエベルを譲り受けたことがきっかけだった。
「学校で人間関係に悩んだ時期にクラスメートと連絡を取りたくなくて、携帯電話を持ち歩かない生活を始めました。ところが、携帯を時計代わりにしていたので、時間が分からなくなったのです。『それでは困る!』と思って親に時計をおねだりしたら、なんと、お下がりをくれたんですよ」
ファーストウォッチは、思春期特有の悩みが発端となって手にしたものだった。しかも、その時計はかわいいだけではなく、Nさんの好奇心をも満たしたという。
「文字盤が貝で出来ている時計があるとは思わなかったので、子供心にびっくりした記憶があります。当時は光の当たり具合で文字盤の色が変わったり、キラキラ輝く様子を眺めたりしては悦に入っていましたね」
その後、学生時代を通して、エベルを7年ほど愛用したNさん。「一生これでいいくらい」と思うほどお気に入りだったそうだが、たまたま読んだ時計雑誌で見たフレデリック・コンスタントのハートビートに引き込まれてしまう。これが、Nさんを時計愛好家の道に導いた運命の出合いだった。
「純粋な一目惚れでした。でも、当時は機械式とクォーツ式の違いも分かりませんでしたね。ショップスタッフが扱い方を説明してくれましたが、ゼンマイって何だろう、後で調べたらいいや、という軽い気持ちでした。でも、家でムーブメントの歯車の動きを見た瞬間、ときめきを感じたのです。私は機械が一定のリズムで動く様子が好きなので、今もシースルーバックの時計を選びますが、原点はこのハートビートですね」
そして、Nさんが想い入れの深いブランドがブレゲである。50ページの写真のマリーンは24歳で入手した1本だが、手にするまでには紆余曲折があった。はじめは、2017年のジュネーブ・サロンで発表されたあるブランドの時計を検討。実物を見るため、ひとりで銀座のブティックへ向かったNさんだったが、ここで思わぬ対応を受ける。
「私が若いうえにガーリーファッションで入店したためなのかもしれませんが、こちらから話しかけても店員さんに相手にしてもらえず、『ショーケースの時計はお出しできません』と言われてしまいました。あまりの塩対応に悲しくなりましたね」
少なからぬショックを受けたNさんは、この時計を諦め、ほかのブランドのモデルを物色する中でマリーンが気になった。とはいえ、それはメンズモデル。今までの時計とは異なり、ひと回り大きく、厚みもある。ためらいはなかったのだろうか。
「波や渦を思わせる文字盤のギヨシェは、マリーンという名前そのもの。ムーブメントやローターの繊細な模様にも引き込まれました。メンズモデルということは知っていましたが、こんなに素敵な時計があるんだという感動の方が勝っていましたね」
早速、Nさんは日本橋三越本店のブレゲのブティックへ足を運ぶ。ここで、スタッフのUさんから、前出のブランドのブティックとは正反対の見事な接客を受ける。丁寧な説明とともに、店頭のすべての時計を見せてもらえたのだ。Nさんは、マリーンをUさんから購入したいと思ったものの、これまでの時計とは比較にならないほど高額である。念のため、他の時計店でも相談したという。すると、他店のスタッフは猛反対。「メンズモデルだから」「着けている女性がいないから」という理由だった。
「確かにサイズの問題はあると思いますが、なぜ女性がメンズモデルを着けてはいけないのかが理解できませんでした。レディスウォッチはダイヤモンドを載せた小ぶりのものが相応しいと考える人は多いかもしれません。しかし、マリーンのギヨシェのような工芸的な美しさを好む人もいると思うのです。結局、賛成してくれたのはUさんだけ。Uさんの後押しが、マリーンを選ぶ勇気を与えてくれましたね」
その後、Nさんがマリーンを身に着けると、周囲からは大好評。拍子抜けするほどだったという。そして、改めてブレゲの歴史を調べたところ、今までの趣味との意外な共通点を見いだすことになった。
「実はロリィタ服は、マリー・アントワネットの時代の服がモチーフなのです。ブレゲはアントワネットの時計を製作した宮廷時計師ですから、ぐっとブランドとの距離が縮まったように感じました」
ブレゲに心酔したNさんは、翌年にはトラディションを購入。Uさんを通じてブレゲのイベントにも招かれるようになり、いにしえの貴婦人たちが所有していた懐中時計を目にする機会に恵まれた。こうした体験を経てNさんが選んだ最新の時計は、クラシック 7137である。
「Uさんから、1787年にブレゲが製作した歴史的な懐中時計№5のイメージを継承したモデルとうかがいました。アントワネットが生きていた時代のデザインの時計を手元に置けて、大満足ですね」
Nさんは時計を服に応じて使い分けるが、ロリィタ服にはブレゲを合わせることが多い。周囲からは、ロリィタ服にハイブランドの時計を合わせるのは邪道という意見もあるそうだが、歴史をひもとけばこれほど相応しい組み合わせはないと確信する。
「私は『アイドルタイム プリ♡パラ』というアニメの、夢川ゆいちゃんというキャラクターが大好き。彼女は周りに止められても自分の好きなことに夢中で、信じた道を貫き通すんですよ。私も反対意見に流されなかったおかげで、最高の時計に巡り合えたのだと思います」
数々の経験を経て、自分の目を信じる大切さを学んだNさん。彼女の生き方を見ると、好きなものを好きと言える人生は、かくも楽しいものだと実感できる。
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