今回の愛好家特集には、特別番外編としてひとりの著名人に出演いただいた。新日本プロレスの、というよりも日本のプロレス界を牽引する棚橋弘至その人だ。ちなみに彼の所有する時計はわずか5本。金額もそう張るものではない。しかし〝時〟に真剣に向き合ってきた彼の時計哲学は途方もなく深い。
1976年生まれ。立命館大学在学中にプロレス同好会に参加。98年2月に新日本プロレスの入門テストに合格し、卒業後の99年に入門。以降、トップレスラーのひとりとして、IWGPヘビー級王座を8度戴冠。レスラーらしからぬスタイルを貫く彼は、2000年以降、新たな層をプロレスに呼び込む立役者のひとりとなった。
Photographs by Yu Mitamura
広田雅将(本誌):取材・文
Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2021年3月号掲載記事]
「僕にとって時計はチャンピオンベルト。王者に返り咲き、特別なG-SHOCKを巻きたい」
プロレスファンでなくても、棚橋弘至という名前は聞いたことがあるはずだ。2000年以降に新日本プロレスを牽引してきた彼は、プロレス人気を復活させた立役者のひとりだ。プロレスに疎い筆者でさえ、棚橋やオカダ・カズチカ、中邑真輔といった存在が、再びプロレスに注目を集めさせたことは知っている。彼が今までに戴冠してきた王座は22。中でも史上最多となる8度のIWGPヘビー級王座戴冠という記録は類を見ない。
筆者が彼に興味を持ったのは、彼がある男性誌で、ブライトリングの「スーパーオーシャン」を腕に巻いていたのを見たからだ。棚橋弘至といえば、リング上ではさておき、レスラーらしからぬことが売りだったはずだ。立命館大学を卒業し、新聞記者志望で、高級車や高級品とは無縁の彼は、結果として、プロレスの世界に、新しいファン(とりわけ女性ファン)をもたらしてきた。しかし、そんな棚橋が、いわゆる高級時計を、しかも男性誌で見せたのである。仮に彼が時計愛好家でなくても、何らかの理由はあるに違いない。
私たちの前に現れた棚橋弘至は、いきなり謎めいた言葉を漏らした。
「時計を見ると安心するんですよ。特にアナログ時計は落ち着く」
時計を見て安心するとは初耳だ。
「僕はチャンピオンにもなったし、怪我もした。レスラーとして波はありますね。でも腕に巻くアナログ時計の針はいつも変わらず進んでいる」。彼の言う通り。2019年、棚橋は8度目のIWGPヘビー級王座戴冠を果たしたが、1カ月後に陥落。以降、同王座の争いからは遠ざかっている。
「痛めた膝の調子もイマイチなんですよ。でもアナログの針を見るたび、今も止まっていないよと教えてくれる。そして、アナログ時計の針は、決して昔に戻らない」
生半な時計好き以上に〝時〞というものに向き合ってきた棚橋。そこまで想い入れがあるのに、なぜ時を告げる道具、時計に無頓着だったのか?
「時計を買うならいいものを手にしたいじゃないですか。でも時計は高いから、服やスニーカーを買ったほうがいい。それに僕は結婚が早かったんですよ。だから時計は憧れたけど買えなかった」
そんな棚橋は、3年前に6万円のフルメタルG-SHOCKを購入して、彼が言う「時計沼」に足を踏み入れることになった。ではなぜ、G-SHOCKを選んだのか?
「もともとG-SHOCKは使っていたし、好きだったんです。これを買ってから時計のことを調べましたが、上を見たらキリがない。であれば、次は『G-SHOCKの学校』で一番のモデルを手にしようと思った」
続いて彼が手にしたのが、G-SHOCKのハイエンドコレクションである「MRG」だった。棚橋はこのモデルで、アナログ針に魅せられるようになる。意外なのは、ストイックに見える棚橋に、人並み以上の物欲があることだった。
「僕は欲深いと思いますよ。名声欲もあるし、今は安定したけど、物欲にも燃えていました。遠征に出掛けたら服やスニーカーを買っていましたよ。今もスニーカーは55足持ってます」。腕や指に着けているクロムハーツのアクセサリーも、欲の証しだ。
「2009年ぐらいから、クロムハーツを買うようになったんです。モチベーションを高めるためですね。マックスに盛り上がった2011年は、王座の防衛戦に勝つたびに買っていました。防衛戦が多すぎて毎月増えましたけど(笑)」。だが、彼の物欲は高級時計や高級車には至らなかった。理由として、彼はライバルである「レインメーカー」オカダ・カズチカの存在を挙げる。
「物欲に行けなかったのは、オカダ・カズチカがいるからでしょうね。彼がいい車や時計を見せてくれるから」。自身を計算高いと評する棚橋は、自分の立ち位置を冷静に見ている。曰く「役割分担ですよ」。
自身の歩みを〝戻らない針〞になぞらえた彼は、だから今が最高と言いきる。しかし、2020年は本来の調子とはほど遠かった。彼はそのギャップにどう折り合いを付けているのか。
「スタイルは変えたくないんですよ。だから半分意地ですけど、リング上では飛び続けたい。飛べなくなったら引退するし、だから一生飛び続けますよ。200歳まで生きるつもりだから(笑)」。彼は話を続ける。
「時って残酷な存在でしょう? でも僕は年を取ることが怖くないんです。その年その年の棚橋が最高だし、時は進むからむしろ楽しい。未来は早く来いと思っている」。普通の人が言うならさておき、彼はIWGPヘビー級王座最多戴冠記録を打ち立てたスーパースターだ。心底そうなのだろう。しかし、と彼は言う。
「20年リングに立って、若手も育ったなと感じたんです。であれば、半分彼らに食わせてもらって、半分は楽しめればいいと少し思っていた。でもコロナ禍で状況は大きく変わった」。そんな棚橋はMR-Gの後、ブライトリングの「スーパーオーシャン ヘリテージ B01 クロノグラフ44」を手にした。彼の持っている時計の中では最高額。この時計を腕に巻き、彼は男性誌の誌面を飾ったが、それは守りの表れではなかったのである。
「人生ってトントンだと思っています。だから悪い時もあれば良い時もある。今年は反撃の年。若いファンの中には棚橋を老兵扱いする人もいるんですよ。でもね、僕には反骨心がある。棚橋は止まらない時計だ、なめるなと。今年はもう一回攻めて、もう一回プロレスの世界を立て直したい。そう大見得を切って復活して、もう一度チヤホヤされるまでが僕のワンセットです(笑)」
そんな棚橋の〝チヤホヤ〞は、名誉欲と、それと同じぐらい新しい「時計欲」と結び付いている。
「時計とチャンピオンベルトは相性がいいと思いませんか?」と彼は語る。確かに、G-SHOCKの形は、チャンピオンベルトにそっくりだ。だったらIWGPヘビー級王座を奪還して、記念にG-SHOCKも買えばいいじゃないですか。棚橋の目が炯炯とした光を帯び始めた。
「もう一度チャンピオンになりたいと思った。やる気が100になりました。そして王座に返り咲いたら、IWGP限定のGSHOCKを作りたい」。彼は話を続ける。
「悔しいな、もう一度、東京ドームでお客さんを沸かせたいな。膝が割れてもいい、ドームが盛り上がってくれればいい。チャンピオンベルトを獲って、G-SHOCKを作ってもらいましょう。時計の針を進めるのは俺しかいないんだから」
アナログ時計の針に自身の姿を投影する棚橋弘至。彼は多くの時計を持っていないが、生半な愛好家以上に時計と時に向き合っている。そんな彼が最後に吐いた一言は、痛烈にカッコいい。「僕にとって、時計とはチャンピオンベルト」。もちろん彼は、再び「ベルト」を巻くに違いない。
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