愛好家の彼ら、彼女らが時計を集める理由はさまざまだが、共通する条件がひとつだけある。知識や資金の多寡はさておき、時計に対して非凡な情熱を傾けていることだ。時計が好きな人は少なくないが、彼らの熱量はなおいっそう高いのである。本特集では、その情熱で〝趣味の地平〟を超えてしまった人々を紹介する。

奥田高文、奥山栄一、三田村優:写真
Photographs by Takafumi Okuda
Eiichi Okuyama, Yu Mitamura
菅原茂、髙木教雄、広田雅将(本誌):取材・文
Text by Shigeru Sugawara, Norio Takagi, Masayuki Hirota (Chronos-Japan)

時計愛好家 File 01

H.H.さん
実業家。大学を卒業後、さまざまなビジネスで成功を収めるが、それらにとどまらず、世界的な慈善家としても活動を続けている。物の収集とは一切無縁だったHさんだが、2016年の6月10日以降、時計を集めるようになった。いわく「時計は人生を豊かに幸せにしてくれるもの」。 

Hさんのコレクションのごく一部。掌上にあるのは、ハリー・ウィンストンのオーパス14。最近のHさんのお気に入りだ。手前に見える時計も、A.ランゲ&ゾーネのバゲットダイヤモンド入りダトグラフ、バシュロン・コンスタンタンのスケルトントゥールビヨン、リシャール・ミルのエアロダインなど、すべてありきたりではない。「どの時計が好きかと聞かれますが、良し悪しを判断するのは西洋の価値観。私が好むのは、日本の情緒的な価値観。だから、どの時計も好きなんです」。

「正直、どんな時計が好きなのかはまだ分かりません。しかし買っていくうちにその限界が見えるのではないでしょうか」
ーーH.H.さん

初めて会った時、まだ日本にはこういうコレクターがいるのか、と驚かされた。都内在住のHさんである。実業家として高名な彼が、時計に開眼したのは2016年6月10日、すなわち「時の記念日」のこと。以降、彼はわずか半年の間に10億円を超える金額を時計に費やしてきた。しかも本人いわく、まだまだ買い足りないという。噂には聞いていたが、実際は想像以上であった。だが、いっそう注目すべきは、費やした金額よりも、その徹底した買い方である。

シグネチャー1

Hさんらしい選択が、グルーベル フォルセイのシグネチャー1。日本でも本格的な展開を始めた同社だが、まだ売れているとは言い難い。その話をリテーラーから聞いたHさんは、シグネチャー1とル・ガルド・タンを即注文した。いずれも、気鋭の時計師とのコラボレーションモデルだ。世界各地でさまざまなチャリティーを行うHさんは、「時計の世界でも天才を応援していきたい」と述べる。

 Hさんは、ビジネスパーソンであり、慈善家でもある。筆者も彼の名前は知っていたが、まさか時計のコレクターとは予想もしなかった。「昔は時計に興味はなかったですね。普段は、父からもらったロレックスを使っていました。しかし、2016年6月10日の『時の記念日』から、高級時計を買うようになりました。最初に買ったのは、オーデマ ピゲのロイヤル オークです」。以降、Hさんがこれまで時計に費やした金額は10億円以上。それだけ時計に投じた人はさぞ風変わりか、さもなくば狷介だろうと想像していたが、実のところ、彼ほど懐の深いコレクター、そして興味深い人物は初めてであった。「高級時計の面白さとは、はかなさ、もろさ、そして危うさですね。普通に使っても、すぐ壊れるかもしれないというのが、面白いじゃないですか」。

 まず彼が見せてくれたのは、ハリー・ウィンストンのオーパス 14であった。ボタンを押すと、3枚のディスクがスライドして、第2時間帯などを表示する時計だ。「本当は『オーパス 2』が欲しかったけれど、もう作っていない。ですから、このモデルを注文しました。このような時計を考えて作り、値段を付けて売ろうと思ったハリー・ウィンストンは貴いですね」。彼はゼンマイを巻き、ボタンを押しては何度もディスクを動かしている。見ている筆者がひやひやするが、Hさんは実に楽しそうだ。

 ちなみに、その数カ月前に買ったゼニスのアカデミー クリストファー・コロンブスは買って一月半で、鎖引きが止まってしまったという。しかしHさんは、怒るどころかむしろ楽しげに、壊れた話を語っている。

 そんなHさんのコレクションの根幹をなすのが、30本もあるトゥールビヨンだ。店が持ってくる時計がトゥールビヨンばかりだったから、とHさんは苦笑するが、いずれもただのトゥールビヨンではない。Hさんが愛してやまない「もろくてはかない」、つまり複雑なものばかりだ。