小学校へ入学し、1年生のうちに『ファーブル昆虫記』の全シリーズを読破。それを喜んだ祖母から与えられた、ラテン語名称の専門図鑑も丸暗記。そんな少年は、大人になるや自分の人生を支えるため、溢れる才能のすべてをビジネスへ注いでいく。ありのままの自分を映す鏡のようにSさんの時計コレクションは変化してきた。成功を収めた今、その蒐集愛は、自身の原点へと戻り始めている。
1966年生まれ。母親が自営業だったこともあり、幼い頃から経済や経営に対する知見を自然と養う。22歳で起業し、実業家を経て、現在は投資家として才能を発揮。これまでに延べ8社の取締役や専門学校の学校長などを歴任。自身の成功をもとに、その着眼点をまとめた著書も上梓し、現在は講演活動にも忙しい。
Photographs by Takafumi Okuda
髙井智世:取材・文
Text by Tomoyo Takai
[クロノス日本版 2021年3月号掲載記事]
「機械式時計の精密で規則的な動きや脆さ。時計蒐集は、昆虫採集に近い感覚かもしれません」
時計好きの知人の紹介で、何年か前に兵庫県某市でSさんとお会いした。これからSさんの運転でドライブに出るのだと、知人を迎えに来たところで、確かスポーツカーに乗っていた。道に車を停めていたため、交わした会話はほんのわずか。ただ、口調から感じる控えめな人柄とは対照的に、時計コレクターとしての一面が強烈に印象付けられた。数万円のクォーツウォッチから、何千万円級のダイヤモンドウォッチまで、愛好品として淡々と、同じトーンで語る人。そういう第一印象だった。
このたびの取材で再会へと至る。Sさんが暮らす、ヨットマリーナのある穏やかな人工島へとやってきた。そのすぐ北には、六甲山系の山並みがそびえる。「この辺りは都会で暮らしたい妻と、田舎が好きな私のどちらもの理想を程よく備えています。その中でもこの場所は、地面の平たいところが良くて選びました。山手だと手持ちの車が腹を擦ってしまうんですよね」。Sさんは合理的な人だ。合理性の追求によって、22歳から現在まで30年にわたり、赤字とは無縁の連続起業家として成功を収めてきた。
「時系列で話しましょうか」。オーデマ ピゲの「ロイヤル オーク オフショア・クロノグラフ」、世界で50本のみが販売されたプラチナモデルを腕に語り始めたSさん。自身の時計遍歴の起点としてまず挙げたブランドは、タグ・ホイヤーだった。
「学生時代にマウンテンバイクとスポーツ用品の店を立ち上げました。その時に知ったのがタグ・ホイヤーです。経営が安定してきた26歳の頃、初めて自分用の1本を買おうと、当時2万円あれば買えた『フォーミュラ1』を目当てに時計店へ行きました。でもそこで、半額の5万4000円で売られていた『2000シリーズ』に目が留まり、そちらへ切り替えました。心臓の鼓動が聞こえるほど興奮しました。腕時計なんかに何万円も使っていいのか? という恐怖が同時にあったからです。でもそれを買った直後に、兄からより高額なホイヤー時代のフルチタンモデルを自慢されて、(ブレスレットの)コマ調整だけで3万円することを聞かされます。その時に僕の中のリミッターが壊れてしまいました」
かくして腕時計の深遠なる世界へと足を踏み入れる若き日のSさん。次いで手に入れたのがコルム「アドミラル」だった。子供の頃、和歌山の叔父の船によく乗っていたという、船に馴染み深い思い出のあるSさんの心を、そのデザインが奪った。「最初は(予算的に)ステンレス。その頃から会社の規模が大きくなり始め、間もなくダイヤモンドベゼルの金無垢モデルも買うことができました。これが人生で一番はめた腕時計で、5〜6年くらい毎日着けていましたね」。ヘビーユースの末に壊れたその時計を、Sさんは今もペンダントトップにして大切にしている。
もう1本、コルムの金無垢モデル「ロムルス」を手に入れた頃から、Sさんは実業家としての階段を一気に駆け上がっていく。〝アメリカで流行ったものは、後に必ず日本でも流行する〞という当時の持論を基にインテリアアートに注目して、30代前半で事業を飛躍させた。Sさんはこの頃からの約10年間を「スーツ時代」と呼ぶ。多忙な日々の中、着るものはスーツだけになった。それに合わせて、ショパール「ハッピーダイヤモンド」やヴァン クリーフ&アーペルといった装飾性の高いドレスウォッチが増えていった。この時代の腕時計の多くは、従業員に贈られてほぼ残っていない。今あるのは、妻と初めてペアで購入した思い出のモデルをはじめ数本だけだ。
スーツに合わせて薄型のドレスウォッチを選んできたSさん。「妻と初めてデートしたのが16年前です。いつもスーツで現れる私を彼女は笑っていましたね。私服を一緒に買いに行こうと誘われ、その頃からカジュアル時計に目覚めました」。スーツには合わないと敬遠してきたロレックスにもこの頃から触手が伸び始めた。仕事一筋の思考、そして腕時計の選択肢も解放したのは妻だった。インターネットの普及を先読みして始めた新事業も当たり、余裕が生まれ、Sさんの多忙な日々は終わりを迎えた。
その頃の変化を大きく象徴するのが、いかにも重そうなカルティエの「パシャ シータイマー クロノグラフ」、そして「サントス100」だ。Sさんは今も基本的には「重さ100gちょっとくらいが好き」だという。取材中、いたずらな表情でパシャをはかりに載せ、約280gの表示を見せながら「今ではこれぐらい重たい時計も、着けている実感があって好きになった」と笑う。実はこういった時計は、資金繰りを急ぐ経営者仲間から買い取ったものが多いそうだ。そして、これらを手にしたSさんもまた、多忙な日々の心労を募らせた時期にあった。人助けになりつつ大損する可能性もないゴールドの時計は、持っていて気持ちを軽くするものでもあったのだろう。
40歳を過ぎた頃に数々の会社を売却し、現在は投資家としての才を発揮しながら、家族との時間を第一に過ごすSさん。その充足感は近年の時計の選び方にも表れている。コレクションの中には、マニュファクチュール・ロワイヤルやメートル・デュ・タン、RJやHYTといった小規模ブランドの製品ながら、ギミックが秀逸な腕時計が並ぶ。機械的な面白さに目を向けるきっかけになったのは、フランク ミュラーとの出合いからだ。「イギリスのTVRという扱いの難しいライトウェイトスポーツカーを買う時に、それに合った腕時計を用意しておこうと思って手に入れたのが『クレイジーアワーズ』でした」。
余談だが、Sさんは世界30以上のメーカーの自動車を所有した経験から、何度か車雑誌の取材も受けたことがある。車に合わせて腕時計を選ぶこと然り、ファッションの観点にも光る自己哲学があった。今回の写真の多くは、Sさんの持つエルメスやアレキサンダー・ワンなどの、質感や発色の美しいジャケットを背景に撮らせてもらっている。
興味を持ったことをとことん突き詰める性格のSさん。自身の時計遍歴を振り返りつつ、幼少期のこんな話もしてくれた。「僕は母子家庭3人兄弟の末っ子で、経済的に厳しい環境からおもちゃを持てませんでした。だから子供の時の楽しみといえば昆虫採集。近くの公園や神社にいる虫を捕まえては観察していました。微細なパーツと複雑な動き。不思議な進化や擬態。イモムシがチョウに変わる不思議。大人になりだんだん虫が苦手になりましたが、時計の動きやギミックが好きなのは、そういった原体験の影響だと思います」。Sさんの時計コレクションには限定品のほか、色や素材違いなど細かな仕様違いが多い。昆虫採集に例えられると、なるほど納得だ。
自分の周囲にある資源を最大に活用する合理性を、Sさんは幼少期から養っていた。そうして生活を守り、成功を収めてきた。若き日に最初に憧れたタグ・ホイヤーのコレクションが、この何年かでぐっと増えたのは、ようやく羽を休められる時間を勝ち得た今、長年の緊張感から解き放たれ、素の自分に立ち返れているからなのかもしれない。その時代ごとに自然な流れで集まってきた腕時計たちは、Sさんの半生をそのまま映している。
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