ティソ「PR516 クロノグラフ」の機械式モデルを実機レビューする。本作は、2024年新作の手巻き式クロノグラフだ。1970年代のレーシングクロノグラフをベースとしたデザインと新型ムーブメントによって、レトロ感と操作する楽しさを備えながらも実用性に長けたモデルに仕上がっている。
Text and Photographs by Tsubasa Nojima
[2024年3月26日公開記事]
新作手巻き式クロノグラフ、ティソ「PR516 クロノグラフ」
手巻き式クロノグラフ。何と魅力的な響きだろう。恐らく、多くの時計愛好家がこの言葉から連想するのは、優美な曲線を持つレバーやブリッジが折り重なった、雲上ブランドのハイエンドモデルや、1940年代あたりのヴィンテージモデルではないだろうか。今やそれほどまでに、手頃な価格の手巻き式クロノグラフは少ない。それもスイス製となれば、なおのことである。
そんな中、2024年の新作として登場したのが、ティソの「PR516 クロノグラフ」だ。1970年代のレーシングクロノグラフを復刻した本作は、その特徴的なデザインのみならず、駆動方式、すなわち手巻き式クロノグラフであることまで再現している。そればかりか、価格は税込みで30万円を下回り、モデル名に含まれた“PR(Particularly Robust =特に頑丈や、Precision and Resistance =精度と耐久性)”の通り、優れた実用性を備えているのだから、刺さる人は多かったはずだ。
手の届く実用的な手巻き式クロノグラフとして、時計愛好家が待ち望んでいたパッケージをそのまま形にしたかのようなPR516 クロノグラフ。今回は、そんな注目作の実機レビューをお届けしたい。なお、PR516 クロノグラフは、同時にクォーツモデルも発表されているが、今回の対象は機械式モデルであることを補足しておく。
「PR516」は、1965年に誕生したスポーツウォッチだ。70年には、本作のベースとなるクロノグラフモデルがデビューした。新作の「PR516 クロノグラフ」では、オリジナルのデザインを忠実に再現している。手巻き(Cal.A05.291)。25石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約68時間。SSケース(直径41mm、厚さ13.7mm)。10気圧防水。27万3900円(税込み)。
レトロなカラーリングのダイアル
まずはダイアルから見ていこう。ベースのブラックは、表面を細かく荒らしたマットな質感に仕上げられている。ホワイトのプリントによるインダイアルの数字や12時位置のロゴには、いずれも目立つ欠けやにじみは認められない。良好な仕上がりだ。
インダイアルは、3時位置が30分積算計、6時位置が12時間積算計、9時位置がスモールセコンドとして機能する。シルバーカラーの縁取りにはレコード状の刻みが施されており、立体感を高めるとともに光の反射を防いでいる。30分積算計のみ、一部に青を取り入れているが、これは自動車やヨットのレースにおいて、号砲が鳴るまでの5分間のラリー時間を計るための目印だ。
バータイプのインデックスとPR516を象徴するバトン型の時分針には、蓄光塗料が塗布されている。暗所での視認性を高めることはもちろん、明るい場所であっても、ブラックダイアルとのコントラストが優れた視認性を発揮する。クロノグラフに使用する3本の針は、全てオレンジに彩られ、スポーティな印象を与えるとともに、時刻表示用の針との混同を防いでくれる。ダイアルを覆うのは、ボックス型のサファイアクリスタルだ。わずかな盛り上がりが、レトロなデザインに調和している。
ステンレススティールにブラックPVDを施したベゼルは、ブラックとホワイトのツートンで構成されている。ホワイトの部分にパルスメーター、ブラックの部分にタキメーターが配されている。ホワイトは蓄光塗料によるものであり、暗所で光を放つ。ベゼル上面はミネラルガラスに覆われ、艶のある質感に仕上がっている。
ボリューミーなクッション型ケース
ケースの形状は、70年代らしいテイストのクッション型。中央からラグの先端までケースの厚みがほぼ一定であることもあり、ずんぐりとした塊感がある。ケースの上面や側面はサテン仕上げで統一されているが、ポリッシュの面取りが加えられており、メリハリが付けられている。
一般的なクロノグラフと同じく、2時位置と4時位置にはプッシュボタンが配されている。どちらもシンプルな形状であり、余計な装飾がないため、衣服への引っ掛かりも発生しにくい。リュウズは直径7mmと、手巻き時計らしい必要十分なサイズを持つ。リュウズトップにはブランドの頭文字である“T”が浮き彫りにされている。
ブレスレットは、半円型のコマを組み合わせた3連タイプだ。両サイドのコマはエッジが落とされ、肌触りも良い。調整用のコマは割ピンで連結されている。耐久性を考えるとネジ式である方が好ましいが、価格帯を考えれば仕方のないところだろう。
クラスプは、スポーツウォッチらしいダブルロック式だ。フリップを跳ね上げ、プッシュボタンを押下することで開放することができる。高級感のある操作感ではないが、シンプルで使いやすい。微調整は、クラスプの横穴からバネ棒を突いて行う。
インターチェンジャブルシステムが採用されており、簡単なレバー操作だけでブレスレットをケースから脱着することが可能だ。現在はラインナップしていないが、もしこれからパンチングレザーストラップなどが用意されたとしたら、ストラップ交換の楽しみの幅も広がることだろう。
趣味性と実用性を両立させる新型ムーブメント
本作を語るにあたって外せないのが、新型ムーブメントのCal. A05.291だ。これは、ETA社の自動巻き式クロノグラフムーブメントのCal.7753をベースとした、手巻き式クロノグラフムーブメントだ。ちなみにCal.7753は、よりポピュラーなCal.7750の縦三つ目のレイアウトを横三つ目に変更したものだ。
Cal. A05.291は、単に自動巻き機構を取り払っただけではない。主ゼンマイの巻き止まりが追加され、フルに巻き上げたことが分かるようになっている。巻き上げの感触も手巻き時計らしいカリカリとしたものに変更されており、確かな巻き応えを味わうことが可能だ。リュウズを回転させると、受けの隙間から退却式のコハゼがぴょこぴょこと上下する様子を確認することができる。
スペックも現代的に改められている。ヒゲゼンマイの素材にニヴァクロン™を採用し、耐磁性、温度耐性、耐衝撃性を向上させ、さらに約68時間のロングパワーリザーブを実現している。また、巻き上げ量が低下した状態であっても安定した精度を発揮し続けるよう、レーザーを用いた精密調整も施されている。着用時に巻き上げられ続ける自動巻き式とは異なり、手巻き式は時間の経過に伴って巻き上げ量が低下していってしまう。この調整は、そんな手巻き式のウィークポイントを補うものだ。
スポーツウォッチらしいしっかりとした着用感
ボリュームのあるケースデザインによって、ずっしりとした重みを感じられる一方、自動巻きローターがないことで厚みが抑えられているためか、着用感は良好だ。機械式クロノグラフであることを考慮すると、デイリーユースにもふさわしい。ベースとなった自動巻きのCal.7750系は、片方向巻き上げローターを採用しているため、着用時にはしばしば、ローターが空転するグルングルンという衝撃が伝わってくる。手巻き式である本作では、もちろんそのようなことはない。ローターの空転を疎ましく思う人にとっては、好ましく感じるはずだ。
ブレスレットのコマのひとつひとつが短いことも、装着感の良さに寄与している。コマのエッジは落とされ、手首を曲げても肌に刺激を感じるようなことはない。
ブラック、シルバー、ホワイト、ブルー、オレンジと、ダイアルは賑やかに彩られているが、判読性は非常に高い。これは例えば、クロノグラフ用の針にオレンジを使うなど、機能と色を対比させているためだろう。ツートンのベゼルも単なるデザインではなく、メーターの種別と合わせている。艶を抑えたブラックにホワイトの蓄光塗料を塗布したインデックスと針は、言わずもがな、抜群の視認性を発揮する。
クロノグラフの操作は、2時位置のプッシュボタンでスタートとストップ、4時位置のプッシュボタンでリセットを行う。感触は少し重めだが、バツッという明確なキレがあり、狙ったタイミングでの操作が可能だ。手首から外してクロノグラフの操作を行う際は、クッション型のケース形状も手伝って握りやすい。スタートとストップをしつこく繰り返しても針飛びはなく、安定性も高い。
待ち望まれた、手の届く手巻き式クロノグラフ
1970年代を象徴する名作レーシングクロノグラフを復刻したPR516 クロノグラフは、オリジナルに対する高い再現度に加え、現行機らしい実用性を備えたモデルであった。しかし、本作の魅力はそれだけではない。手頃な価格のスイス製手巻き式クロノグラフという絶滅危惧種とも言えるジャンルに、復活の兆しを見せてくれるものでもあった。現在の機械式時計の主流は、圧倒的に自動巻きだ。それに加え、価格帯を問わず高精度化、ロングパワーリザーブ化が進んでいる。これ自体は喜ばしいことだが、その進化は、自ずとリュウズを触る機会を減らすという結果をもたらした。
この流れとは反対に機械との対話を楽しむことができるのが、手巻き式だ。毎朝ジーコジーコと手間をかけてやることで、時計を操作する喜びを得ることができる。特定の人以外には理解しがたい完全に趣味の領域であるが、コアな愛好家からは、手巻き式を望む声は大きい。ちなみに本作は約68時間のパワーリザーブを備えているため、2日程度であれば、巻き上げを忘れても問題ない。高い趣味性は実用性を損ねることも珍しくないが、本作ではうまくバランスしているという訳だ。
クロノグラフも、操作感を楽しめる機構のひとつだ。時計は時間の流れを可視化するツールであり、時間の流れを人間の力で操ることはできない。従って時計の針は、ただ整然と動くのみである。ここからユーザーが主体となって任意の時間を切り取ることができるのが、クロノグラフだ。時間を計る、あるいはメーターを使って心拍数や速度を測ることで、時計を操作する喜びを感じられるはずだ。
すっかり繊細で高級なイメージが付いてしまった感のある手巻き式クロノグラフ。ジャンルとしてはニッチだが、そこには、時計に対してユーザーが主体的にアクションできるという、ほかでは得難い魅力があふれている。正直、素人の考えからすると、ある程度の数が売れることを前提としたミドルレンジに対してニッチな要素を入れるのは、ビジネスとしてリスクが大きいように感じる。しかしそれでも、広く手の届く範囲で本作を世に送り出してくれたティソには、ひとりの時計愛好家としても感謝の念に堪えないのである。
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