「ジェラルド・ジェンタ」「ダニエル・ロート」のルイ・ヴィトン移籍と正式“復活”。加速するLVMHグループの時計事業への本気度!

2024年、モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン(LVMH)グループは、毎年1月に開催する新作時計見本市「LVMHウォッチウィーク」において、「ジェラルド・ジェンタ」と「ダニエル・ロート」というふたつのブランドを正式に復活させることを発表し、その新作を公開した。この件について、1990年代からの取材経験を交えて、その理由や意義について語らせていただきたい。

©Yasuhito Shibuya 2024
2002年春、SIHHの期間中に、ジュネーブ市内の特設会場で行われた「ブルガリ」の新作展示会。「ダニエル・ロート」と「ジェラルド・ジェンタ」の新作もここで披露された。
渋谷ヤスヒト:取材・文 Text by Yasuhito Shibuya
[2024年4月6日公開記事]


万全の体制での本格復活!

「ブルガリ」ブランド傘下から「ルイ・ヴィトン」ブランド傘下での「ジェラルド・ジェンタ」と「ダニエル・ロート」の復活(復興?)。筆者にとってこのニュースは、願ったりかなったり、まだ4月になったばかりだが、2024年でいちばんうれしいことのひとつだ。

 webChronosや『クロノス日本版』本誌をお読みの方には“釈迦に説法”になるかもしれないが、改めて言っておこう。1980年代後半から現在まで、実に30年以上も続いて拡大を続ける「機械式高級時計ブーム」は、このふたつの偉大な時計デザイナー、時計師ブランドが存在しなければ、1990年代から2000年にかけてあれほど盛り上がることはなかっただろうし、ここまで発展することはなかっただろう。

 ジェラルド・ジェンタの偉大さについては、どうしても数々の名門ウォッチブランドに提供したデザインばかり語られることが多い。だがスイス、ジュウ渓谷のル・サンティエに、ブランドが買収される2000年まで存在していた、ピエール・ミッシェル・ゴレイ氏らが率いていた複雑時計工房(アトリエ)から生まれた超複雑時計機構もデザイン同様に素晴らしいものだったことを本当に理解している人は少ない。

©Yasuhito Shibuya 2024
2001年4月、クリスチャンネームを使った「ジェラルド・チャールズ」を発表したお茶目なジェラルド・ジェンタ氏。自らの作品の撮影に興味津々だった。

 筆者は幸運にも1990年代後半にこのアトリエを取材したことがある。そのとき、時計開発の責任者だったピエール・ミッシェル・ゴレイ氏の、自信たっぷりの言葉を今も覚えている。

「モナコのジェンタ氏からFAXで送られてくるデザインスケッチから私たちの仕事は始まる。そのスケッチに描かれた機能をどうすれば実現できるかを考える。さほど難しいことではないよ」

 今回の「ジェラルド・ジェンタとダニエル・ロートの“復活”」で、いちばん重要なポイントは、この復活劇が2000年からこのふたつのブランドを傘下にしてきた「ブルガリ」ではなく、「ルイ・ヴィトン」ブランドの下で行われていることだ。具体的には、1980年代後半から90年代半ばまで、ジェラルド・ジェンタのアトリエに在籍して活躍していたふたりの偉大な時計師、ミシェル・ナバス氏とエンリコ・バルバシーニ氏が現在率いるルイ・ヴィトン傘下の「ラ・ファブリク・ドゥ・タン ルイ・ヴィトン」が、このふたつの時計ブランドの新作時計の開発・製造を担当するという点である。

©Yasuhito Shibuya 2024
現在、「ラ・ファブリク・ドゥ・タン ルイ・ヴィトン」を率いる時計師ミシェル・ナバス氏。2022年4月に筆者のインタビューにおいて。

 これは、自身がかつて中心となっていた「ジェラルド・ジェンタのDNA」を誰よりも知っている、これ以上はないほど素晴らしい時計師チームが、その時計作りを担当することを意味している。

 そして、これはあくまで筆者の勝手な推測だと断っておくが、「ラ・ファブリク・ドゥ・タン ルイ・ヴィトン」の時計師チームは、「ダニエル・ロート」とも浅からぬ因縁があるに違いない。なぜなら、ブルガリが「ジェラルド・ジェンタ」と「ダニエル・ロート」を傘下に収めてから、それぞれのアトリエは2000年以降にブルガリが統合して運営を行ってきたからだ。スイスの優秀な時計師たちのキャリアプランを考えると、ふたつのアトリエと「ラ・ファブリク・ドゥ・タン」の時計師たちは、少なくとも同社がルイ・ヴィトン傘下になって以降、人的な交流があっただろうと考えるのが自然だ。


最強の理解者がディレクター!

「ラ・ファブリク・ドゥ・タン ルイ・ヴィトン」による開発製造体制には、LVMHグループでおそらく最も複雑時計を、そして時計文化を理解し、敬愛している若きリーダーがいる。そう、ルイ・ヴィトン時計部門のマーケティング&製品開発ディレクターで、LVMHグループ会長兼CEOのベルナール・アルノー氏の4男ジャン・アルノー氏だ。彼は英インペリアル・カレッジ・ロンドン(Imperial College London)の大学院で機械工学を学び、さらに米マサチューセッツ工科大学(Massachusetts Institute of Technology)で数理ファイナンスの修士号を取得している一族きっての機械工学および理数系の知識の持ち主だ。

 ジャン・アルノー氏は、筆者が2022年に日本で行ったインタビューで、時計に興味を持ったきっかけを「父と一緒にパリのブティックで見た、ブルガリが作ったダニエル・ロートのオートマタ腕時計」だと答えているほど、幼少期から複雑時計に興味を持っていた人物であり、このプロジェクトの総責任者だ。ジュネーブ・ウォッチメイキング・グランプリ(GPHG)を獲得した超複雑オートマタウォッチや「タンブール」のラグジュアリースポーツモデルなど、時計業界の重鎮を唸らせる数々の成果を上げている。

 そして2024年1月15日のこのコラム「時計業界の未来はアルノー兄弟が担うこと間違いナシ! 今後が楽しみなLVMH時計部門の新人事」で書いたように、ジャン・アルノー氏のさらに上には「タグ・ホイヤー」のCEOからLVMHの時計部門のトップに就任した、兄のフレデリック・アルノー氏がいる。つまり、LVMHグループの時計部門は、今後最も成長の可能性がある、グループの中核になることが期待されている分野であり、さらなる投資が行われることは確実だ。

 そして「ジェラルド・ジェンタ」と「ダニエル・ロート」が、1980年代に始まる現代の機械式時計文化、そしてLVMHグループの時計部門の頂点に位置付けられることは間違いないだろう。

(左)LVMHウォッチウィーク2024で発表された「ジェラルド・ジェンタ」の「ジェラルド・ジェンタ ミニッツリピーター ジャンピングアワー レトログラードミニッツ - オンリーウォッチ 2023 エディション」。1980年代の「ミッキーマウス」ウォッチと、1994年の時計史に残るジェラルド・ジェンタの名作「グラン・ソヌリ」を融合させた作品と言える。ユニークピース。
(右)「ダニエル・ロート」の「トゥールビヨン スースクリプション」DR0011YG-01。「ダニエル・ロート」ブランドの1989年のファーストモデルの復刻とも言える作品だ。世界限定20本。参考価格14万スイスフラン。


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