腕時計を収集しようと思ったとき、ブランド名に基づいてコレクションを始めてしまうかもしれない。だが、腕時計を評価する価値基準は決してそれだけではない。技術的な観点など、さまざまな基準が存在する。自分の好みでコレクションの対象を決めるのも面白いだろう。今回は、老舗オークションハウス「ボナムズ香港」時計部門のディレクターを務めるシャロン・チャンが、腕時計製造技術においてエポックメイキングな存在であった、ユリス・ナルダンの「フリーク」を取り上げ、技術的な価値基準の例を紹介する。
Text by Sharon Chan(Bonhams Hong Kong)
[2024年5月20日掲載記事]
シリコンを採用しパラダイムシフトを引き起こした「フリーク」の稀少な限定モデル
腕時計収集という趣味で、まず思い浮かべるブランドといえば、ロレックスやパテック フィリップを挙げる人が多いだろう。しかしながら、この趣味の真価はブランド名にあるのではない。コレクターのセンスと鑑賞眼にあるのだ。限られたモデルに人気は集まりがちではある。だが、それではウォッチメイキングの本質を見失ってしまうだろう。
ボナムズ香港が2024年3月25日から4月5日まで開催したネットオークションには、ユリス・ナルダン「フリーク ウィング アルテミス レーシング エディション」が出品された。この腕時計は隠れた名作だ。
この腕時計はボナムズ香港のネットオークション「香港 ジュエルズ アンド ジェダイト オンライン」に、3月25日から4月5日まで出品された。落札価格281万600香港ドル(約562万6240円、1香港ドル=19.98円、2024年5月17日現在、バイヤーズプレミアム含む)。手巻き(Cal.UN-210)。Ti×カーボンファイバーケース(直径45mm)。30m防水。
ユリス・ナルダンは、高級腕時計分野において他に先駆けてシリコンを導入し、01年に発表された初代「フリーク」の脱進機にシリコンは採用された。このフリーク ウィングは初代フリークの流れをくみ発展したモデルであり、シリコン製の脱進機やヒゲゼンマイといった部品を搭載している。それだけではなく、独自に開発した耐衝撃装置、ユリショックが備えられている。
加えて、デュアル・ユリス・エスケープメントと名付けられた脱進機を採用した。2枚のシリコン製ガンギ車がアンクルを経由せずに、香箱から動力が直接テンプに伝達されるため、より正確に時を刻むことができる。
シリコンを素材に採用した独創的な脱進機、ムーブメントを文字盤上で鑑賞できるデザインが特徴。シリコン素材をムーブメントパーツに採用した腕時計のパイオニアと呼べる存在がこの初代「フリーク」だ。18KWGケース(直径45mm)。
より注目すべきは、驚くような腕時計製造技術の結晶であるムーブメントが、ケース内には収められてはおらず、風防越しに鑑賞できる点だ。ムーブメントの輪列を文字盤より上に配置し、ムーブメント自体を回転させて分針とする。そのため、ムーブメントの各パーツの動作を、文字盤上でじっくり楽しむことが可能となった。さらには、1時間かけて1周するムーブメントの回転は、トゥールビヨンのように姿勢差の影響を軽減させる効果もある。
ヨットレースのチームであるアルテミス・レーシングチームの雰囲気に合わせて、輪列の受けはマスト状に形作られている。このパーツはスケルトン仕様のため、近未来的な印象を覚えるだろう。
「フリーク ラボ」は4時位置に付いた日付表示が特徴的な「フリーク」コレクションの腕時計だ。「フリーク ウィング アルテミス レーシング エディション」は、アルテミス・レーシングチームとのパートナーシップを記念し製作された、フリーク ラボの派生モデルである。
時計愛好家ならば、このモデルにリュウズが付いていないと気づくはずだ。ベゼルによる時刻合わせは「フリーク」コレクションの大きな特徴のひとつだ。この腕時計には、6時位置にロックが存在する。このロックを解除した後に、ベゼルを時計回りに動かすと時刻を合わせられる。反時計回りに動かせば日付を変更可能だ。裏蓋を回転させると主ゼンマイが巻き上げられ、パワーリザーブは約8日間持続する。
フリーク ウィング アルテミス レーシング エディションは、鑑賞はもちろんのこと、手に取って楽しめる独特の趣のある腕時計だ。生産本数はわずか35本と極めて少なく、市場に流通した記録もほとんどない。シリコンという新素材をブランドが率先して導入し、現代の腕時計製造の歴史に、新たな幕を開けたこの腕時計の収集価値を低くは見積もれない。
なお、この腕時計はボナムズのネットオークションでは281万600香港ドル(約562万6240円、1香港ドル=19.98円、2024年5月17日現在、バイヤーズプレミアム含む)で落札された。時流に乗らずに、多くの経験豊富なコレクターは自身の審美眼に基づき、琴線に触れる腕時計を楽しみながら選んでいる。
著者「シャロン・チャン」プロフィール
シャロン・チャンは、アジアにおけるボナムズ時計部門のディレクターである。香港を拠点に、アジア太平洋地域の事務所と密接に連携し、同部門が年に10回開催するオークションの監督を務めている。
シャロン・チャンは、ボナムズに入社し、オークションビジネスに復帰する前の、2017年から18年の間に、個人でウォッチディーラーとクライアントコンサルタントを行い、専門家としてのキャリアを築いた。その豊富な経験から、世界中のコレクターとの間に強力なコネクションを持ち、アジアにおける腕時計市場拡大において重要な役割を担っている。
これまで多くの国際的なオークションハウスでのジュエリーと時計のオークションビジネスにおいて、17年以上の経験を積み、2011年から16年にかけては、香港で時計オークションを指揮。売り上げを年々拡大し、13年にはアジアでの時計販売で最高額を達成した。また、世界最大級のプライベートウォッチコレクションの監督責任者を務め、15年のオークションで600万USドルという新記録を打ち立てた。
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