時計愛好家としておよそ半世紀。高校3年で購入したロレックスに始まり、最近ではジャガー・ルクルトを中心に据えながらコレクションを充実させてきたK.H.さん。蒐集だけでなく、独自にメンテナンス表を作成して家族の時計も含め、すべてを管理しているという几帳面な愛好家だ。その時計愛と凝りようには並々ならぬものが感じられるが、一方の時計には、人をそう駆り立てる何かが宿っているようだ。単なる物ではなく、家族のような存在なのだ。
1953年生まれ。大手証券会社や弁護士事務所での不動産ビジネスを経て、現在の不動産管理に従事する。本人の時計蒐集趣味は、夫人や子供たちにも影響を及ぼし、一家そろっての時計好きというところがまたユニーク。家族全員で約100本にもなるという時計の管理を一手に引き受けている頼もしい「お父さん」でもある。
菅原茂:取材・文 Text by Shigeru Sugawara
[クロノス日本版 2020年3月号掲載記事]
「時計は私の子供と同じように可愛い。決して手放すことはありません」
現在、60代半ばを過ぎたK.H.さんが自前でロレックスの時計を購入したのは、今をさかのぼること50年も昔の1971年。まだ高校3年生だったKさんが銀座の老舗時計店の日新堂で手に入れたのは「オイスター デイト」だった。友人が持っていたものに憧れ、自分でも欲しくなり、4回の割賦で買ったのだと、そのときの思い出を楽しげに語るKさん。入学祝いなどで親から贈られた国産の手頃な時計を持つのが普通だった当時の一般的な高校生とは、かなり懸け離れていたと言えるだろう。子供の頃から時計好きの傾向は確かにあったそうだが、自分で買い始めたのはこのロレックスが最初であった。
73年、Kさんは20歳の時に初めての海外旅行でスイスのチューリヒを訪れた。現地に着くとさっそく時計を見てまわり、IWCの自動巻きモデルを購入したという。機械式時計なんてもう古いと人々が背を向けはじめた頃にあって、相当なマニアだったと推察する。そして30代も終わりに近い91年には、オーバル型ケースのパテック フィリップや、ヴァシュロン・コンスタンタンのドレッシーなシンプルウォッチも手に入れた。
Kさんにとって、これらの時計は愛好家へのプロローグのようなものだろうが、今もそのひとつひとつの時計について詳しく語ることができるのは、いつどこで何を買ったかを当時からまめに記録してきたからだ。買った時計はすべて大切に扱っていて今なお手元にある。ひとつも売ったことはない。
「時計は私の子供と同じように可愛いですからね。決して手放すことはありません」と熱く語る姿が実に印象的だ。
世間の蒐集家がコレクション内容を記録するのは取り立てて珍しいことではないだろう。しかしKさんが異色なのは、自身の所有する時計のみならず、夫人やお子さんたちのものも含めた、ありとあらゆる時計のリストを作成し、メンテナンス時期が5年周期で一目瞭然となる特別な表をパソコンで管理しているからだ。その時計愛は、可愛い時計たちの、いわば〝健康管理〞にまで及んでいるのである。
「時計の状態は音を聞くと分かります。良い状態ならカチカチと、メンテナンスの時期が近付くとカンカンと聞こえます」
時計の〝健康管理〞にも感心するが、このように時計の〝鼓動〞を聞いて、その状態を判断することに楽しみを見いだす人には初めて会った。筆者の周囲の時計好きにもこれほど徹底している人は見たことがなく、時計愛好家を自任する筆者自身もそこまで凝ったことは一度もない。
現在、Kさんのコレクションには、すでに取り上げたロレックスやIWC、パテック フィリップ、ヴァシュロン・コンスタンタンなどに加え、ブレゲやブランパン、F.P. ジュルヌ、ティファニーの限定モデル、さらにスピーク・マリンなどがあるが、その主要部分を占めるのがジャガー・ルクルトだ。コレクションの総数は自身のもので約30本、家族のものを含めると50本にもなるというから驚かされる。整然とコレクションボックスに収められた高級時計の数々は、どれも使っているとはいえ、新品かと見まごうほど良好な状態を保っている。
「70年代の頃、普段はロレックスを着けていたのですが、『世界の一流品大図鑑』や時計の専門誌などを見ているうちにジャガー・ルクルトに興味が湧いてきました。ジャガー・ルクルトはブランドにストーリーがありますよね。その魅力は、まずエレガントであり、さらにほかとは違うジャガー・ルクルトだとすぐに分かる個性があること、それと自社ムーブメントです。クルマの場合もそうでしょう。エンジンが魅力的なフェラーリのように」
テーブルの上に所狭しと置かれたジャガー・ルクルトのコレクションボックスには、代表的な「マスター」や「レベルソ」をはじめとして、「ジオグラフィーク」に「メモボックス」、高級車のアストンマーティンとのコラボレーションによる「AMVOX」、独創的な複雑ムーブメントを搭載する「デュオメトル」、そして各種パーペチュアルカレンダーがずらりと並び、その眺めたるや実に壮観である。特にパーペチュアルカレンダーは止まらないように気を配っているそうだが、「4年に一度の閏年に合わせて常にカレンダーが正しく機能するようにしておきたい」というのがその理由だ。パーペチュアルカレンダーだけが持つ4年に一度の大イベント。閏年の3月1日であっても決してカレンダーがズレることのない醍醐味を味わうために、4年もの間粛粛と永久カレンダーを巻き続ける姿に、Kさんの人となりを見るようだ。
ジャガー・ルクルトの複雑時計については、パーペチュアルカレンダーのほかにトゥールビヨンも何本か所有している。トゥールビヨンを手に入れた時は、さすがにこれで自分も時計蒐集を卒業してしまうのではないかと思ったそうだが、「このモデルはトゥールビヨンであっても普段使いができる控えめなデザインが素晴らしい。トゥールビヨンを持つことの誇りや満足感が得られるところもいいですね」と話す。
複雑時計の蒐集は、普通ならパーペチュアルカレンダーからトゥールビヨンと来て、次は機械式の最高峰ミニッツリピーターに関心が移るところだが、それはまだだという。時計の機械音を聞くのも楽しみとするKさんにとって、ミニッツリピーターはうってつけだと思うのだが、今度こそ本当の卒業になるかもしれないので、先の楽しみに取っておくのが良さそうだと今のところ慎重に構える。
とはいえ、音好きを自任するKさんらしく、取材当日に着けていたのは、アラームウォッチの名作「メモボックス」である。70年代の人気ヴィンテージモデルだが、メンテナンスが完璧に行き届き、今も美しい音色を響かせる。時計以外の趣味は、ミュージカル鑑賞だそうだが、国内外で年40〜50回も公演を見るというから熱の入れようは相当なもの。Kさんにおいては、ミュージカルも音を楽しむ点では時計と一緒なのかもしれない。
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