現代クロノグラフの伝達方式は「垂直クラッチ」と「水平クラッチ」に大別できる。本記事ではこのうちの「水平クラッチ」について、その美点や弱点を紹介するとともに、近年の“革新”について触れたい。
正統派の水平クラッチであるキャリングアームを採用。ただし、薄型化のために時積算計を省き、代わりに単独運針できるためGMT針としても活用できる実用的な24時間表示針を3時位置に搭載。テンプに被せて配されたキャリングアームは薄いプレート状に成形され、コラムホイールと噛み合う先端部に段差を設け、積算輪列受けの下を通すなど、薄型化のための知恵と工夫が随所に見られる。
広田雅将(本誌):取材・文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2020年9月号掲載記事]
クロノグラフの「水平クラッチ」がもたらす“革新”
長らく機械式クロノグラフの標準的な装備であり続けたのが、水平方向に動く水平クラッチだ。横方向にスペースを取り、針飛びも起きやすいこの機構は、やがて垂直クラッチに置き換えられた。コンパクトで効率の良い垂直クラッチと、やはり小さな自動巻きの組み合わせは、1980年代後半のフレデリック・ピゲCal.1185以降、機械式クロノグラフの設計を大きく進化させた。しかし現在、いくつかのメーカーが、水平クラッチのメリットを生かした新しいクロノグラフをリリースするようになった。縦に薄く、横に広いという水平クラッチは、どんな革新をもたらしたのか?
水平クラッチとは?
1分間に1回転する4番車に、クラッチを当てて、中心にあるクロノグラフ車を回す。縦方向に移動するのが垂直クラッチ、横方向に移動するのが水平クラッチだ。前者は縦にスペースを取るものの、横にはコンパクトになる。今の機械式クロノグラフは、垂直クラッチを採用することで、さまざまな機能を詰め込むことに成功した。
一方の水平クラッチは、縦方向に薄く、横方向に幅を取る。また、横からクラッチを当てるため、クロノグラフ作動時に針飛びが起きやすい、という弱点があった。とはいえ、クロノグラフ機構が見やすい水平クラッチは、見栄えの良い、古典的な機械式クロノグラフには向いている。
ブルガリ「オクト フィニッシモ GMT クロノグラフオートマティック」から見る、水平クラッチの利点
縦に薄いというメリットを最大限に生かしたのが、ブルガリの「オクト フィニッシモ GMT クロノグラフオートマティック」の搭載するCal.BVL 318だ。横方向にスペースを取るキャリングアーム式の水平クラッチは、自動巻きや12時間積算計といった付加機構を載せづらい。対してブルガリは、自動巻き機構をムーブメントの外周に追いやり、12時間積算計を省くことで、クロノグラフムーブメントの大幅な薄型化に成功した。設計の妙は、冒頭の写真が示す通り。クロノグラフ中間車を載せた遊動レバーの先端を受けの下に差し込むことで、厚みを大きく減らしている。
現代クロノグラフの主流である垂直クラッチではなく、あえて“古典的”な水平クラッチを採用し、ペリフェラルローターを搭載する自動巻きでありながら、ムーブメント厚3.3mm、ケース厚6.9mmを達成し、手巻きを含むクロノグラフにおいて世界最薄記録を樹立した。自動巻き(Cal.BVL 318)。37石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約55時間。Tiケース(直径42mm)。3気圧防水。191万円(税込み)。(問)ブルガリ ジャパン Tel.03-6362-0100
“新しい”水平クラッチ
こういった新しい水平クラッチの例には、ゼニスの「エル・プリメロ2」こと「エル・プリメロ3600」がある。クロノグラフ車の動力源は、4番車ではなく、なんとガンギ車。いっそう回転が速いため、このムーブメントのクロノグラフ秒針は1分ではなく、10秒で1回転する。クロノグラフ車から遠く離れたガンギ車からトルクを得るという離れ業は、横方向にリーチを取れる水平クラッチがあればこそ。なお、レバー類を多用する水平クラッチは、各種レバー類の位置決めのため、偏心ネジを多用している。現行のエル・プリメロに同じく、ネジを青くして、注意を喚起したのは良心的だ。
ムーブメントの広報画像と、実際に発売されたプロダクトのムーブメントを比較すると、前者ではガンギ車のカナから動力を伝達する2枚の中間車が2段(二重)になっていたが、後者では中間車が2枚とも1段に変更されているのが見て取れる。また、旧エル・プリメロのコラムホイールに付いていたカバーが取り除かれ、コラムホイールとクラッチアームの噛み合いがはっきりと見えるようになった。
エル・プリメロ誕生50周年を迎えた2019年に発表されたモデル。エル・プリメロ2ことエル・プリメロ3600搭載。毎秒10振動のエル・プリメロの特性を生かし、10秒で1周するクロノグラフ秒針によって1/10秒計測を可能にした。自動巻き(Cal.エル・プリメロ3600)。35石。3万6000振動/時。パワーリザーブ約60時間。Tiケース(直径42mm)。10気圧防水。世界250本限定。103万円(税込み)。(問)ゼニス ブティック銀座 Tel.03-3575-5861
弱点への対策
現在、水平クラッチの弱点である針飛びに対して、いくつかのメーカーは対策を行った。ウブロの「ウニコ2」こと最新版のCal.HUB1280は、4番車とクロノグラフ車を連結するクロノグラフ中間車に、LIGAで成形した弾力性のある歯車を採用することで、クラッチがクロノグラフ車に噛み合う際の針飛びを抑えた。これは、ブレゲの現行「タイプ21」や「タイプ22」も同様である。
コンパクトなスイングピニオン式の水平クラッチを用いるIWCの89000系も、噛み合い時の針飛びを減少させるために、スイングピニオンのカナを斜めに切っている。こういった配慮によって、水平クラッチの実用性は大きく高まった。
古典的な意匠とモダンなカラーリングを併せ持つツーカウンタークロノグラフ。文字盤のチャプターリング内側のギヨシェにクル・ド・パリ、スモールセコンド内にはバーリーコーン、そして30分積算計内には同心円模様と、異なる3つの仕上げを与える。手巻き(Cal.533.3)。24石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約48時間。18KWGケース(直径42.5mm)。30m防水。544万円(税込み)。(問)ブレゲ ブティック銀座 Tel.03-6254-7211
1980年代以降、ブレゲで使用される高級機。長期間にわたって採用される間にフリースプラング化やシリコン製ヒゲゼンマイの導入など、現代的なモディファイが加えられていった。1942年に発表されたレマニアCal.CH RO 27をベースとしているため、クロノグラフの制御は当時の主流であった「(テコの原理で)コラムホイールを引く」方式を採用している。したがって、プッシュボタンの感触は軽やかだ。仕上げの美しさも特徴。
水平クラッチの美観を楽しむ
もっとも、水平クラッチの今なお最も分かりやすいメリットは審美性、つまり見た目である。A.ランゲ&ゾーネのCal.L951系やパテック フィリップのCal.CH 29 -535 PSなどは、そういった好例だ。また、レマニアの2310(オメガ321)と、その後継機にあたるオメガの1861と3861も、実用性と審美性を両立させたムーブメントと言えるだろう。
2019年に復活した往年の名機。カム式を採用する後継機のCal.861、1861と異なり、コラムホイールを採用している。もともとパワーリザーブは約48時間だったが、香箱真を細くし、香箱内のスペースを広くすることで長い主ゼンマイを収めることに成功。約55時間まで延長させるなど、細かな改良も施されている。なお再生産にあたり、オメガはブレゲ・マニュファクチュール(旧レマニア)から金型を移管した
エド・ホワイトがアメリカ人として初の宇宙遊泳を実現した際に着用していたことで知られる第3世代のデザインを反映したモデル。ケースサイズからストレートラグに至るまで外装をほぼ忠実に再現。ただし再生産が叶ったCal.321が見えるよう、ケースバックはトランスパレントに改められた。手巻き(Cal.321B)。17石。1万8000振動/時。パワーリザーブ約55時間。SSケース(直径39.7mm)。5気圧防水。151万円(税込み)。(問)オメガお客様センター Tel.03-5952-4400
一般的な機械式クロノグラフと異なり、レマニアとその後継機は、クロノグラフをリセットしても、リセットハンマーがハートカムに当たった状態になっている。ブレーキレバーを当て、リセットハンマーを退却させるバルジューの23や72系とはまったく異なる。リセットハンマーが退却しないため、レマニアはフライバックを載せることができないが、リセットハンマーをバネで強固に固定することで、強い衝撃を受けてもクロノグラフ針は誤作動を起こしにくい。また、各種偏心ネジも製造と整備性を考慮して数が減らされた。そもそも実用的な設計を持つこのムーブメントが、今に長らえたのは当然だろう。
Cal.321から続く、手巻き式スピードマスター用ムーブメントの最新作。Cal.1861をベースに、脱進機をスイスレバーからコーアクシャルに変更し、さらに1万5000ガウスの耐磁性能まで与えている。この磁気への高い耐性を得るため、ヒゲゼンマイをシリコン製に変更するのはもちろん、天真やアンクル、クロノグラフ車の軸など15のパーツが非磁性素材に変更された。マスター クロノメーター認定機。
もっとも、水平クラッチゆえの弱点はある。ムーブメントサイズを直径27mmに留め、また大がかりな水平クラッチを載せた結果、文字盤側に置かれた12時間積算機構は、動力をカットするクラッチを持っていない。そのため、ストップ機構が摩耗すると、12時間積算計が勝手に回ってしまう。これは、ETA7750やコンパクトにまとめた多くの垂直クラッチ搭載機も同様だ。そのため、レマニアをベースにしたヴァシュロン・コンスタンタンのCal.1142やブレゲのCal.533などは、あえて12時間積算計を備えていない。
さておき、審美性だけでなく、実用性の面でも注目を集めつつある水平クラッチ。エル・プリメロのようなコンパクトな自動巻きがあれば、無理なく配置することも可能だ。
特徴的な形のラグから、「コルヌ・ドゥ・ヴァッシュ(=牛の角)」の愛称で親しまれたRef.6087の復刻モデル。2015年にプラチナ、16年に18KYGケースが登場した後、19年に待望のSSモデルが発表された。ストラップはミラノのレザー工房、セラピアン製。手巻き(Cal.1142)。21石。2万1600振動/時。パワーリザーブ48時間。SSケース(直径38.50mm)。3気圧防水。420万円(税込み)。(問)ヴァシュロン・コンスタンタン Tel.0120-63-1755
レマニアのCal.CH RO 27を源流に持つ手巻きムーブメント。Cal.1141からのアップデートの際、大幅に手が加えられ、ジュネーブ・シールも取得するようになった。コラムホイール+キャリングアームの審美性に優れた機構が目を引く。テンプは古典的なチラネジだけで精度を調整するフリースプラングが採用される。ブレーキレバーがあるほか、クロノグラフ停止時はクロノグラフ車のハートカムにリセットハンマーが接して押さえている、実用的な設計を持つ。
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