クロノグラフの付加機構のひとつ、「フライバック」。1930年代頃から40年代にかけて、パイロットを中心に使用されていったが、搭載モデルはごく一部に留まっており、かつ耐久性に難があった。しかし、2000年代以降、各時計ブランドがフライバックのために確立した設計によって、この機構は信頼性を獲得していく。本記事では、フライバック機構を、現代の代表的ムーブメントとともに解説する。
Photographs by Eiichi Okuyama
広田雅将(本誌):取材・文
Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2020年9月号掲載記事]
https://www.webchronos.net/features/116018/
https://www.webchronos.net/features/115642/
クロノグラフの「フライバック機構」とは?
クロノグラフを止めることなく、リセットと再スタートが可能なフライバック機構。パイロットがクロノグラフを使うようになった1930年代頃から40年代にかけて普及し、以降、高機能メカニズムのひとつとして、ごく一部の機械式クロノグラフが採用し続けた。かつて、この機構を加えられたのは、ダイレクトリセットを持つ大きな機械のみ。ダイレクトリセットを改良してフライバック化した例もあるが、お世辞にも頑強とは言えなかった。最新のフライバックは、あらかじめフライバックを前提とした強固な設計に特徴がある。
フライバック機構の歴史
2018年、ウニコは全面的に再設計され、従来と同じ直径30mmに対し、厚さが1.3mm薄くなり、Cal.HUB1280として新たに発表された。大きな進化は4番車と秒クロノグラフ車を連結する中間車にLIGA製の特殊な形状の歯車を採用したこと。歯車自体にバネ性が与えられた結果、クロノグラフ作動時の針飛びが抑えられ、クロノグラフの挙動がより安定した。
クロノグラフの作動時にリセットボタンを押すと、クロノグラフ針が帰零し、瞬時にリスタートするフライバック機構。これは、パイロットには極めて有用であり、1940年代以降、多くのパイロット向けクロノグラフが、フライバック機構を搭載した。
もっとも、フライバック機構を載せるにはいくつかの条件があった。まずはリセットボタンがリセットハンマーを直接動かすダイレクトリセットであること。レマニアやヴィーナス、そしてマーテルなどは、リセットボタンが直接リセットハンマーを動かさない、インダイレクトリセットを採用する。リセットハンマーの動力源は、リセットボタンを押す力ではなく、スタートボタンを押したときにチャージされるバネ。そのためスタートボタンを押さずとも再起動するフライバック化は不可能だ。フライバックを載せられるムーブメントが、バルジューやロンジンなどに限られた理由である。
もうひとつの理由が、ムーブメントのサイズである。指の力で直接リセットハンマーを叩くダイレクトリセットは、ムーブメントへの負荷が大きい。フライバック機構を強固に作るには、ある程度以上のサイズが必要であった。事実、41年のUROFA59は、直径34mmという、大きなサイズに特徴があった。
機械式時計が注目を集めるようになった80年代後半以降、いくつかのメーカーや時計師たちは、既存のムーブメントのフライバック化を図った。これらのベースになったのは、インダイレクトリセットを持つ既存のクロノグラフエボーシュである。各社は工夫を凝らして、ダイレクトリセットに改めたが、こうした経緯のため、ゼニスのフライバックを例外として、不具合が多かったのは当然だった(後にブレゲも改善された)。
フライバックに特化した設計へ
対して、2000年以降の新しいフライバック機は、フライバックに特化した設計を持っている。リセットはダイレクトで、フライバック機構に大きなスペースを割いている。そのため、新世代のフライバックは信頼性がはるかに高い。
好例はウブロのウニコことCal.HUB1280だろう。文字盤側にクロノグラフ機構を置くことで、このムーブメントはゆとりあるレイアウトを実現した。フライバック機構は頑強で、理論上は連続した使用に耐えうる。また、18年以降の通称「ウニコ 2」は、クロノグラフ中間車をバネ製のあるものに替えて、フライバック時の針飛びを抑えている。筆者の私見を言うと、ウニコとIWCのCal.89000系、そしてパネライのCal.P.9100系は、現行機の中でも際立ってフライバックに特化した設計を持っている。
ビッグ・バン誕生から15周年を迎えた2020年、ケースと統合した初のブレスレットモデルが登場。シャープなエッジと面で構成される建築的な外装は文字盤側に置かれたクロノグラフ機構が見せる動的な機能美を一層際立たせる。自動巻き(Cal.HUB1280 UNICO)。43石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約72時間。Tiケース(直径42mm)。10気圧防水。
文字盤側にクロノグラフ機構を置くことで、無理なくフライバック化を果たしたムーブメントには、セイコーのCal.8R系や、フレデリック・コンスタントのFC-760などが挙げられる。しばしば愛好家が揶揄する文字盤側のクロノグラフ機構。しかし、余裕あるスペースというメリットは見逃せない。
自社製ムーブメントを搭載したミドルレンジウォッチ。既存ムーブメントの文字盤側にクロノグラフモジュールを組み合わせることで部品点数を抑え、高い信頼性と生産性を両立している。自動巻き(Cal.FC-760)。32石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約38時間。SS+ローズゴールドPVDケース(直径42mm)。5気圧防水。
開発に6年を要した自社製ムーブメント。ベースムーブメントの文字盤側にクロノグラフモジュールを追加し、さらに12時間積算計を省いたことで省スペース化を実現。そのためフライバックレバーの取り回しに無理がない、信頼性の高い構造を取ることができた。モジュールは星形コラムホイールや曲げの少ないレバーなど、プレス成形の容易なパーツが多く、生産性に優れる。
スペースがないにもかかわらず、フライバック化を成功させた例には、A.ランゲ&ゾーネのCal.L951系がある。L951のフライバック機構は、リセットボタンが直接リセットハンマーを動かすダイレクトリセットを持つ。しかし、ダイレクトリセットは、リセットハンマーがしばしばハートカムを傷つけてしまう。そこでA.ランゲ&ゾーネはL951.6から指の力で直接リセットハンマーを動かさない、セミインダイレクトリセットを採用した。リセットハンマーは2層に分かれており、上がプッシュボタンの力を受け、レバーを介して下層のレバーを動かし、それがハートカムに当たる。開発に携わったアントニー・デ・ハスは変更の理由を「ダイレクトリセットはハートカムに傷がつく。それは避けたかった」と述べる。
1999年に発表されたダトグラフの現行機。2012年初出。機能上の変更点としてパワーリザーブが約36時間から約60時間に延長され、6時位置にパワーリザーブインジケーターが追加された。クロノグラフ用プッシャーはスタート/ストップ、フライバック/リセット用ともに軽やかで感触に優れる。手巻き(Cal.L951.6)。46石。1万8000振動/時。パワーリザーブ約60時間。18KPGケース(直径41mm)。3気圧防水。834万円(税込み)。(問)Aランゲ&ゾーネ Tel.03-4461-8080
1999年初出のCal.L951系は、これまで細かい改良が重ねられてきた。最新世代のL951.6では、緩急装置がスワンネック型緩急針からフリースプラングに変更されたほか、香箱の巻き止め装置を省くことで主ゼンマイの高さと厚みを増加させることに成功。パワーリザーブが約1.6倍に延びている。なお、本機よりクロノグラフのリセットがセミインダイレクト方式に変更されたが、優れた感触は健在だ。
近代的な設計でフライバックを実現したムーブメントには、ショパールのCal.LUC03.03-L(旧LUC10/11CF)やオーデマ ピゲのCal.4400系が挙げられる。これらは垂直クラッチとコンパクトな自動巻きを備えた近代的な設計を持つが、リセットハンマーは強固に固定されており、リセットハンマーの先端をバネ状に成形してあるため、リセットハンマーとハートカムの当たりを微調整する必要がない。
カーキグリーンの文字盤を持つ限定モデル。ケースはチタンにプラズマ電解による酸化処理を用いることで耐食性を与えたタイタリット製である。搭載するCal.L.U.C 03.03-Lは数世代にわたって熟成が進み、信頼性が高い。自動巻き(Cal.L.U.C 03.03-L)。45石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約60時間。タイタリットケース(直径42mm)。100m防水。世界限定100本。
分厚い受けからも明らかなように、堅牢な設計がコンセプトのCal. L.U.C 03.03-L。垂直クラッチと小型のリバーサーによってクロノグラフ機構と自動巻き機構をコンパクトにまとめる設計は、Cal.1185をはじめとする薄型自動巻きクロノグラフに同じ。しかし、L.U.C 03.03-Lでは空いたスペースでリセットハンマーを固定するための強固なサブブリッジなどを与えるなど、レバー類の補強を行っている。
「リマスター01 オーデマ ピゲ クロノグラフ」に搭載すべく、CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ クロノグラフが採用するCal.4401から日付表示機構を外し、ローターを改めたモデル。基本輪列は3針自動巻きのCal.4302と共有で、自動巻き機構はリバーサー。秒クロノグラフ車と分クロノグラフ車、時クロノグラフ車用にそれぞれリセットハンマーを設けることで、個別の調整を可能としている。
まだオーデマ ピゲが一品生産しか行っていなかった1943年に製作されたNo.1533をデザインモチーフとした限定モデル。ケースサイズやフライバック機能の追加など、現代的なスペックアップはもちろんされているが、アンティークウォッチが持つ独特の雰囲気を見事に再現している。自動巻き(Cal.4409)。40石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約70時間。SS×18KPGケース(直径40mm)。2気圧防水。世界限定500本。
オーデマ ピゲとして初の一体型自動巻きクロノグラフムーブメントを搭載したモデル。針合わせ時のトルクが一定に掛かる感触や、クロノグラフプッシャーの軽やかな押し心地は、よく調整された高級機そのものだ。インダイレクト(!)リセットのフライバックを搭載。自動巻き(Cal.4401)。40石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約70時間。18KWGケース(直径41mm)。30m防水。
興味深いのは、IWCの89000系だ。クロノグラフ機構にスペースを割いた結果、リセット機構は無類に強固である。また、水平クラッチのスイングピニオンは針飛びが起きにくいよう、カナの先端を斜めに成形している。
コンパクトなスイングピニオンと簡易垂直クラッチの採用、丸穴車を文字盤側に置き、香箱と巻き真を離すアイデア等でクロノグラフ機構のスペースを大きく取ったムーブメント。結果、フライバックと同軸積算計を併載することに成功している。なお、スイングピニオンは針飛びを起こしやすいが、スイングピニオンのカナを斜めに成形し、クロノグラフ車との噛み合いを良くすることで、問題を改善している。
12時位置に60分と12時間の同軸積算計を持つフライバッククロノグラフ搭載機。ポルトギーゼとしては異例の採用となったブレスレットは、これまでの同社のものと同様、すべてのコマを分解して調整ができる。バックルにエクステンションが付いている点も有用だ。2020年新作。自動巻き(Cal.89361)。38石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約68時間。SSケース(直径44.6mm)。6気圧防水。
ちなみに、衝撃を受けた際の針飛びを嫌って、各社ともプッシュボタンは重くする傾向にある。軽くするのは難しくないが、ショックを受けると針が動いてしまう。これは設計が悪いのではなく、安全性を重視した各社の姿勢を反映したものだ。
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