ふたつの時間計測が可能なスプリットセコンド(ラトラパンテ)は、クロノグラフの付加機構のひとつである。しかし、実際にこの機構を採用するモデルは、決して多くない。そんな中で、同機構を搭載しつつ、さらに“安心して使える”スプリットセコンドクロノグラフのモデルを、パテック フィリップやブライトリング、IWCなどといったブランドから5本、紹介しよう。
細田雄人(本誌):取材・文 Text by Yuto Hosoda (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2020年9月号掲載記事]
https://www.webchronos.net/features/116375/
採用するブランドは少ないスプリットセコンドクロノグラフ
ふたつの時間を計測するラップタイム計測。そのために作られた機構が2本の針を持つクロノグラフ「スプリットセコンド(ラトラパンテ)」だ。フライバックと同じく、パイロットには極めて有用だが、技術的なハードルの高さから、実際に採用するモデルはごくわずかに過ぎない。ここで紹介する5本はいずれも、同機構が抱える技術的課題を異なるアプローチで解消した“安心して使える”スプリットセコンド搭載機である。
クロノグラフの「スプリットセコンド」とは?
クロノグラフを作動させると、クロノグラフ秒針と同軸上にあるスプリット秒針がクロノグラフ秒針とともに動き出す。スプリット用のボタンを押すとスプリット秒針のみ止まるが、クロノグラフ秒針は動き続ける。もう一度スプリット用のボタンを押すとスプリット秒針が先行するクロノグラフ秒針に追いつき、重なった状態で回転を続ける。これがスプリットセコンドの基本的な動作である。
その仕組みは意外にシンプルだ。1分間に1回転するクロノグラフ車の上に、スプリットセコンド用の駆動車を載せて連結させているだけである。スプリット車にブレーキをかければスプリット秒針が止まり、スプリット車に固定されたハートカムをリセットハンマーが叩けば、再びクロノグラフ秒針に追いつく。
ところが、シンプルな仕組みに反して、実際に製造できるメーカーはごくわずかである。というのも、スプリットセコンドはクロノグラフ機構の上にスプリットセコンド機構を重ねるため、ムーブメントが厚くなりやすい。ムーブメントの厚みが増すと、スプリット車のホゾを長く取らなければならないが、長いホゾは偏心を起こして、スプリット秒針の挙動を不安定にさせやすいのだ。
安心して使えるスプリットセコンドクロノグラフ5本
この問題の解決にはふたつの方法がある。ひとつはムーブメントを薄く作ること。
F.P.ジュルヌとパテック フィリップ
F.P.ジュルヌ「クロノグラフ・ラトラパンテ」やパテック フィリップ「5370P スプリット秒針クロノグラフ」が好例だ。前者はスイングピニオン、後者はキャリングアームと、どちらも縦方向にスペースを取らない水平クラッチを採用することでムーブメントの厚みを抑えている。
2018年発表のF.P.ジュルヌ初となる量産型ラトラパンテ。プッシュボタンがふたつあるが、2時位置のボタンでクロノグラフのスタート・ストップ・リセットを、4時位置のボタンでスプリットセコンドを操作するワンプッシュクロノグラフ。大型日付表示を搭載。手巻き(Cal.1518)。29石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約80時間。18KRGケース(直径44mm)。30m防水。(問)F.P.ジュルヌ東京ブティック Tel.03-5468-0931
クロノグラフ機構とラトラパンテ機構を同じ層に置き、動力の伝達にスイングピニオンを採用することでムーブメント厚を6.8mmに抑えた。針飛びしやすいという弱点は、クロノグラフ車と噛み合うスイングピニオンのカナを大きくすることでクラッチ連結時の噛み合いを改善。また、ラトラパンテ車の偏心を防ぐため、アイソレーターの採用ではなく、ムーブメントを薄くすることで対応した。
2012年登場のCal.CHR 29-535 PS Qから永久カレンダーを除いたCal.CHR 29-535 PSを搭載して2015年に発表された5370Pは、表面を平滑に研ぎ上げたブラックエナメル文字盤を備え、一瞬にして愛好家の心を掴んだ名機。手巻き(Cal.CHR 29-535 PS)。34石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約65時間。Ptケース(直径41mm)。3気圧防水。(問)パテック フィリップ ジャパン・インフォメーションセンター Tel.03-3255-8109
アイソレーターを採用することで、スプリット秒針停止時に、スプリットセコンドレバーをハートカムから切り離し、スプリット秒針の一時停止状態を維持しつつも停止時の摩擦を回避する機構を搭載。この自社開発ムーブメントではアイソレーターの構造が簡素化され、垂直に積み上げられていたレバー類を水平に分散することでスプリットセコンド車への負荷を軽減し、薄型化にも寄与している。
余談になるが、この2本の比較で面白いのが、アイソレーターの有無に設計思想が表れている点だ。アイソレーターとはスプリット秒針が止まっている状態、つまりブレーキによってスプリット車を停止させている間、クロノグラフ車とスプリット車を切り離す機構だ。搭載すればスプリット時の抵抗を減らせるため、テンプの振り角落ちを減らせるが、ムーブメントの厚みは増す。パテック フィリップは精度と薄型を両立すべく、アイソレーターの構造を簡略化した上で搭載しているが、F.P. ジュルヌは古典的な見た目を重視し、また厚みが増えることを嫌ってあえて採用しなかったのだ。
ブライトリング
ホゾの偏心を防ぐもうひとつの解決策が文字盤側にスプリットセコンド機構を配することだ。ブライトリング「ナビタイマー B03 クロノグラフ ラトラパンテ45」ではCal.B01のカレンダー機構の下にスプリット機構が置かれている。つまり、スプリット秒針とスプリット車の距離が短いため、ホゾの偏心が起こりにくくなる。ただし、この手法ではクロノグラフ機構とスプリットセコンド機構の距離が離れるため、ブライトリングはこれらを強固に固定した。
Cal.01の文字盤側にラトラパンテ機構を置くことでラトラパンテ用の軸を短くし、モジュール型ラトラパンテで起こりがちだったホゾの偏心という問題を解決した傑作。Cal.01をラトラパンテ化するにあたって増えた部品点数はわずか28点。また、その多くはプレスによって製造される。自動巻き(Cal.B03)。46石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約70時間。SSケース(直径45mm)。(問)ブライトリング・ジャパン Tel.03-3436-0011
左はラトラパンテ車やクランプ、アイソレーターなどの図面。一体成型されたクランプ(22)や簡潔なレバーとアイソレーター車(36)など、その設計が合理的であることがこの図からも分かる。また、Cal.B03でユニークなのがラトラパンテ車にラバー製のOリングを貼り付けている点(右図1a)。これをクランプ(同22)が自転車のブレーキのようにつかむことで、ラトラパンテ車を止めるのだ。確実に止まる上、メンテナンスも容易だ。
パルミジャーニ・フルリエとIWC
また、パルミジャーニ・フルリエのCal.PF361やIWCの79系のように、ムーブメントの骨格を頑強に作り、分厚い受けでしっかりとスプリットセコンド機構を押さえる手法も有用だ。ETA7750のような、もともと厚みのあるムーブメントを使用する場合は最も確実な方法である。
パルミジャーニ・フルリエ創立20周年を記念し、2016年に発表。翌年のジュネーブ・ウォッチメイキング・グランプリ(GPHG)ではクロノグラフ賞を受賞している。垂直クラッチに一体型のリセットハンマーという組み合わせを持つCal.PF361の地板と受けは18Kゴールド製である。手巻き(Cal.PF361)。35石。3万6000振動/時。パワーリザーブ約65時間。18KWGケース(直径42.1mm)。30m防水。世界限定25本。(問)パルミジャーニ・フルリエ Tel.03-5413-5745
「トンダ クロノール アニヴェルセール」が搭載するCal.PF361。(右上)3万6000振動/時というハイビートを採用するCal.PF361はテンプ自体の等時性が高く、スプリットセコンド始動時の振り角の落ちが少ないため、アイソレーターを必要としない。(右中)垂直クラッチと一体型のリセットハンマーが見える。(右下)12時間積算計はクロノグラフ車から中間車をかませるスタイルではなく、増速車が少なくて済む、香箱から直接取る方式を採用する。
チタン合金を焼成することで、表層をセラミックス化させたセラタニウムをケースに用いたモデル。モデル名のダブルクロノグラフとはスプリットセコンド機能のことだ。搭載されるCal.79420は軟鉄製のインナーケースによって保護されているため、普段その姿を見ることはできない。自動巻き(Cal.79420)。29石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約44時間。セラタニウムケース(直径44mm)。6気圧防水。(問)IWC Tel.0120-05-1868
ETA7750にラトラパンテ機構を載せたムーブメント。厚みのあるETA7750に同機構を追加すると、ラトラパンテ用の軸が偏心してラトラパンテ車の動きが不安定になりやすいが、IWCは高い組み立て精度と厚みを持たせたラトラパンテ用の受けによってこの問題を解決した。ETA7750は主ゼンマイからのトルクが大きく、優れた動態精度を持つため、前述の課題をクリアできればラトラパンテのベースムーブメントとして適している。
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