700本以上もの腕時計を所有する、時計愛好家のくろのぴーす。彼自身も愛用しているA.ランゲ&ゾーネの製品開発ディレクター、アントニー・デ・ハスへインタビューを行った。超ボリューミーな情報から、ブランドの販売方針や製品開発の姿勢、そしてアントニー・デ・ハス個人の“顔”が見えてくる。
Text & Photographs by chronopeace
[2024年6月18日公開記事]
A.ランゲ&ゾーネの製品開発ディレクター、アントニー・デ・ハスへインタビュー
今回、ドイツのドレスデンにお招きいただいて、A.ランゲ&ゾーネの本社兼工房を見学させていただいたほか、なんと製品開発ディレクターのアントニー・デ・ハスさんにインタビューすることができた。
当初30分の予定があっという間にオーバーして1時間となり、ロック音楽に話は脱線したものの、デ・ハスさん個人の秘密どころか、A.ランゲ&ゾーネというブランドの裏側まで垣間見えるインタビューとなった。
かつてない情報量と魅力にあふれた記録となったため、せっかくなので全文公開をしてくださる媒体を探していたところ、webChronosにその機会を得た。ところどころに禁断の果実がぶら下がっているので、見逃さずにぜひ召し上がれ。
A.ランゲ&ゾーネの商品開発ディレクター。1967年、オランダ生まれ。IWC、ルノー・エ・パピ(現オーデマ ピゲ ル・ロックル)を経た後、2004年にA.ランゲ&ゾーネに入社した。14年より、現職に就いている。時計学校に入る前はドラマーを目指しており、現在もドイツのドレスデンにスタジオを持っているとくろのぴーすに語った。
初心者に最適なA.ランゲ&ゾーネのモデルとは?
くろのぴーす:本日は、私自身の質問と、私の周りのランゲファンやソーシャルメディアサービスのフォロワーからの質問をまとめてみました。さっそく最初の質問です。ランゲのエントリーモデルとして、初心者に最適なモデルはどれだと思いますか?
アントニー・デ・ハス:そうですね、「初のランゲ時計として」という問いへの答えは、とても簡単です。初心者の方がお店やブティックに足を運び、すべての時計を見て、納得のいくものを選べばいいのです。「トゥールボグラフ」でもいいし、「ランゲ」でもいいし、「サクソニア・フラッハ」でもいい。それはとても感情的なものだと思います。ブティックに行って、これらの時計を手首に着けて、「うわ、これはゴージャスだ」と言って選んで欲しいのです。
もちろん、複数の時計があれば、選ぶのは難しいです。しかし、好みは人によって違うので、私はあえて(初心者に最適なモデルを)選びません。「サクソニア・フラッハは地味だし、控えめだし、2針だし、気に入ったよ」という人もいれば、「サクソニア・フラッハはちょっと……」という人もいるでしょう。 A.ランゲ&ゾーネは針表示の時計じゃなくて「ツァイトヴェルク」だよね、という人もいますしね。とても重要なのは、幸せで心地よいと感じることだと思います。
くろのぴーす:でも、中には自分で決められずに、ブティックでアドバイスを求める人もたくさんいます。特に半数以上の人は、コレクションをまとめて見るのが初めてだと思いますし。
アントニー・デ・ハス:なるほど。例えば、A.ランゲ&ゾーネのことを聞いて、ああ、スイスじゃなくてドイツのブランドなんだ、と思ったら、私ならランゲ1を選びますね。最初からハイエンドが欲しかったらツァイトヴェルクか「ダトグラフ」かな。価格を気にしない人もいるでしょうし、とても素晴らしくてユニークなモデルが好みなら、きっとツァイトヴェルクにいくでしょう。A.ランゲ&ゾーネのモデルは非常にユニークな見た目に恵まれていると思います。ランゲ1もユニークな顔をしていますし。
ツァイトヴェルクは特徴的です。オデュッセウスもユニークな顔だと思いますし、「リヒャルト・ランゲ」も「リヒャルト・ランゲ・ジャンピングセコンド」など、トライアングルをベースにレイアウトした文字盤デザインのモデルはユニークな顔ですよね。ランゲ・コレクションには誰もが知っている顔触れがそろっていますよ。しかし、まず優先すべきは“感情的なもの”です。
くろのぴーす:その点については私も同感です。時計選びは本能的なものですから。
アントニー・デ・ハス:もちろん、いざ買おうとすると方向性を見失って、迷ってしまう人もいますしね。ええ、時計選びは、時に難しいものです。時計コレクターにとってA.ランゲ&ゾーネのブティックは、子供の時に入ったおもちゃ屋やチョコレート屋みたいなものですから。
ブランド30周年記念モデルへの言及
くろのぴーす:では、次は2024年に迎えた、ブランド創設30周年についてうかがいたいと思います。30周年記念モデルは、どのようなモデルが予定されていますか? 周年モデルとして、極少数の限定生産になるのか? それとも、大量生産とは言わずとも、何百本かまとめて製造されるモデルとなるのか?
アントニー・デ・ハス:これだけは言えます。ダトグラフはもう25周年記念モデルが出たのはご存知ですよね? それは極めて数少ない限定モデルで、高価なものです。ですから、30周年として出る×××××(検閲済み)は、×××××(検閲済み)な価格で、より手に入れ×××××(検閲済み)いものになるでしょう。
くろのぴーす:なるほど! では、日本で30周年記念の、特別なイベントは開催されますか?
アントニー・デ・ハス:それは日本のマーケティングチームの仕事です。何かは考えてますよ。当然、イベントは世界のさまざまな場所で開催されるはずです。×(検閲済み)月×(検閲済み)日に、我々は“何か”をします。しかし、マーケティングチームがその日に何をしようとしているかは秘密です。日本でも何かやってほしいですね。私は日本が好きですから。
くろのぴーす:ぜひお願いしたいところです。
「オデュッセウス」の販売、そして年間生産本数について
くろのぴーす:さて、次の質問は私ではなく、私のフォロワーからです。顧客が「オデュッセウス」を手に入れるために条件を厳しくする、もしくは緩くする計画はありますか?
アントニー・デ・ハス:いいえ。今のままでうまく行ってると思います。そして、我々も今のやり方で満足しています。なぜなら、オデュッセウスを持っている人はとても満足されているからです。その証拠に、セカンダリーマーケットにはほとんど出回りません。投資としては価値あるものでしょう。ですから、(購入条件の変更に関する質問への)答えはノーです。条件が厳しい理由はふたつです。ひとつは、まだ月に2000人の(オデュッセウスへの購入)リクエストがあるからです。もうひとつは、我々の可愛い赤ちゃん、子犬ちゃんが誰の手元へと行くのかを把握しておきたいためです。しかし災難は起こるものです。ですからできる限り、その災難を避けたいのです。
くろのぴーす:新型コロナウイルス禍では、30%の減産を余儀なくされたと聞きました。生産本数は、もう回復しているのでしょうか? あるいは、これから年産5000本以上に増えるのでしょうか?
アントニー・デ・ハス:1年だけ、2020年にロックダウンがありました。新型コロナウイルスでは、あらゆるところでセキュリティ規制がかかったため、1年に3200本の時計しか作れなかったと思います。それに、6週間の完全なロックダウンを強いられて、ようやく生産再開を許されました。しかし“A週とB週”という、勤務体制のルール(隔週交代出勤)を強いられました。A週は会社の半分の人員が工房で働きます。一方のB週は、時計師は在宅勤務ができないため、A週チームは休みでした。もっともこの勤務体制のおかげで、新型コロナウイルスの感染を避けるために、時計師を隔離させることができました。
そして、もちろん、この新型コロナウイルス下での生産は、ほぼ50%のキャパシティ縮小がありました。それ以外は減産していません。ランチの時も話したように、5500本作った年もあれば、5200本作った年もありますよ。昨年は確か5千×××本(検閲済み)だったと思います。今年はより多くの複雑機構を作るので、生産本数自体はもっと減ると思います。トゥールビヨンやリピーターをたくさん作るためです。リヒャルト・ランゲのリピーターを、いまだに作っていますからね。
それに加えて新作もありますから、作るモデルはより複雑になります。そして、より多くの時間がかかります。そのため、今年に関しては生産数は少なくなっています。そして話を質問に戻しますが、増産の予定はありません。とにかく数字の上では。2年後に7000本、5年後に1万本というような戦略はありませんし、あり得ません。また、重要なことですが、私たちはリシュモン グループに属しています。そのことについても、いろんな噂話をされます。「リシュモンからもっと稼げ稼げと言われているのではないか」とよく聞かれますが、それは絶対に違います。むしろ逆です。
くろのぴーす:みんなそういう噂話が大好きですからね。
アントニー・デ・ハス:なぜなら、私たちの会長であるヨハン・ルパート自身が、私たちの大ファンのひとりで、目を掛けてくれているからです。彼は、今までの通りにやれと言ってくれています。ですから、我々の品質に妥協はありません。それに、私たちはこの姿勢を強制されているわけでもありません。近年のブティック戦略の件もそうです。私たちが卸売りから直営ブティック戦略にシフトすることについても、彼らは支持してくれました。彼らは私たちに好きなようにやらせてくれています。
もちろん彼らはオーナーですから、何が起こっているかを知りたがります。しかし、私たちにもっとたくさん時計を作るように強制することはありません。そんなことはありえないのです。少なくともA.ランゲ&ゾーネではそうです。グループ企業のほかの時計ブランドがどうなのかは分かりません。でも、そのような方針はないと思います。
A.ランゲ&ゾーネの品質管理
くろのぴーす:ちょうどそのようなことを聞きたかったので、絶妙なタイミングで次の質問です。多くの人は、リシュモン グループとA.ランゲ&ゾーネの関係について知りたがっています。我々コレクターは、純粋にそこに疑問を持っています。例えば、同グループ傘下のパネライは、一部ムーブメントのコストを下げて製造コストを下げようとしています。でも、A.ランゲ&ゾーネの時計には、そのような兆候が見られません。いったい、どのようにして品質を保っているのでしょうか? 直前のお話にあったように、グループからのプレッシャーはないのですよね。他のグループ傘下ブランドとは少し違うということでしょうか?
アントニー・デ・ハス:そうですね。そういえば、今日あなたはA.ランゲ&ゾーネの工房ツアーに行きましたよね? あなたは(品質管理について)どう思いましたか? そこで、人々に情熱を感じましたか?
くろのぴーす:はい、もちろんです。情熱とプライドを感じました。
アントニー・デ・ハス:A.ランゲ&ゾーネの時計師は、時計を設計し、時計師は完璧を追い求めるために、3年かけてムーブメントを開発します。しかし、それはブランドにとっても長すぎる時間です。ですから私たちは時計師に、「いやいや、大丈夫だから」、と伝えて、安心させねばなりません。それは常に挑戦です。「完璧に磨かれているのか」など、視覚的な品質を追い求めるために、客観的でいることは困難です。彼らより上手に客観的な視野を持てる私が、その仕事を担っています。
時計師たちを見てください。彼らはここでの仕事を9時から5時までで完結する形だけの仕事だとは思っていないのです。彼らは真の職人たちです。以前の仕事ではそんなことはありませんでした。私はかつてIWCという大手にいましたが、初めてここに来た時、『おっ、ここはイカれてるぞ!』と思いましたからね。それに、A.ランゲ&ゾーネは小さい会社です。私が来た時、ここで働いていたのは400人でした。今は680人が働いています。しかし、本質は何も変わっていません。そして、今でもその精神は変わりません。この尊さを維持するために尽力しています。それが私たちですから。私たちのムーブメントや時計を、皆様に認めていただいているのは、私たちの従業員が常に『少しでもプラスアルファを』と、付加価値を与えてくれているからだと確信しています。そしてそれは、とても貴重なことです。
新製品の開発
くろのぴーす:A.ランゲ&ゾーネでは、既存のベースムーブメントに新しい機能を追加することによって、ムーブメントと時計を進化させようとしてきましたよね? でも、限られた時計のスペースに、機能追加という手法だけで新たなものを求めるには限界があります。では、時計の価値として革命的なもの、新しいものをもたらすための、あなたの次の戦略は何ですか?
アントニー・デ・ハス:それを開発するのが私の仕事です。私は、常にクレイジーなアイデアや手法と、ビジネスとのバランスを見つけなければなりません。先ほど、ツァイトヴェルクについてや販売、生産数、品質管理など、クレイジーなことはすでにお話しましたよね? もちろん企業としては、お金を稼ぐ必要があります。ホワイトゴールドにブラック文字盤の「ランゲ1・ムーンフェイズ」。おそらくいつの日か、別の色が出るでしょう。これがビジネス的な話です。当然A.ランゲ&ゾーネも給料を払う必要がありますからね。典型的なデザインのランゲ1シリーズの中で、私たちは常に「ああ、ほかのモデルや機構など、どのような要素をこのシリーズ内で統合できるだろうか」と考えていますよ。しかし、ランゲ1らしいデザインは踏襲しています。「ランゲ1・タイムゾーン」や自動巻きモデルなど、文字盤の見た目をそのままに、新しい作品とすることで、クレイジーな面でもビジネスの面でも結果が出ました。常に何か新しいことを思い付きますが、私たちは「それは意味があるのか?」「それは製品ファミリーに適合してるのか?」と問い続け、ランゲ1らしいデザインをいつも尊重しています。
“新しいこと”は、常に何かの組み合わせです。 私たちは、すべての製品シリーズを検討し、時計ファンのフォーラムでの会話を見て、どのようなことができるかを考えることもしてみました。ツァイトヴェルクを発表した時、フォトショップで画像を作って新作モデルの予想をしているクリエイティブなファンたちを見かけました。例えば、彼らはツァイトヴェルクにムーンフェイズや秒針を付けていましたが、そんなことは絶対に起こりえません。
くろのぴーす:なぜですか?
アントニー・デ・ハス:なぜなら、それは古典的なムーンフェイズは物理的にツァイトヴェルクの中には収めきれないからです。もし私たちが“ツァイトヴェルク・ムーンフェイズ”を作るとしたら、まったく違う解決策を見つけねばなりません。
新しい機構であれば、ツァイトヴェルクの方が合うでしょう。実際に「ストライキングタイム」もそうでした。ストライキングタイムは、時計が15分ごとにチンチンと鳴り、1時間が経過するとカーンと鳴ります。昔のセイコーやシチズン、1980年代にあった液晶画面のデジタル時計は、毎時間ピッと音が鳴りますよね。こういった機構は、今もありますよね? 安いカシオの25ドルくらいの時計。毎正時になると「ピッ」と鳴り、それをオフにすることもできます。こういった機能がアイデアの基でした。でも、ストライキングタイムはほかのモデルでは楽しめない、ツァイトヴェルクでなくては楽しめない機能です。こういった機構をランゲ1やリヒャルト・ランゲに入れるわけにはいきません。しかし、新しいアイデアとして、できることはたくさんあります。私たちは過去、リヒャルト・ランゲのミニッツリピーターモデルを発表しました。「リヒャルト・ランゲ・ミニッツリピーター」そして「ツァイトヴェルク・ミニッツリピーター」を出しました。このふたつのモデルは、それぞれ技術的にまったく違うものです。前者はクラシカルなものです。しかしA.ランゲ&ゾーネは、まだまだミニッツリピーターの世界では初心者です。
1880年代から生産を続けているパテック フィリップと比べたら、私たちはまだまだ新参者です。ここドイツ、グラスヒュッテでは、リピーター・ムーブメントを作る文化はありませんでした。昔の懐中時計にリピーターはありました。しかし当時のムーブメントはスイスから来たものです。ドイツではリピーターの分野について、まったく知識がなかったのです。面白いですよね。私はルノー・エ・パピ(編集部注:現オーデマ ピゲ ル・ロックル)でグランソヌリ・ミニッツリピーターを作っていましたから、このノウハウをA.ランゲ&ゾーネと融合させるのが、私の夢でした。まったくのゼロからのスタートでした。2013年に発表した『グランド・コンプリケーション』には、グラン・ソヌリ、ミニッツリピーター、プティ・ソヌリが搭載されています。ゴングの作り方から何から、すべて自分たちで学びました。時計を開発するだけでなく、会社全体でスキルを向上させることで、もし私が引退したり、いなくなったりしても、会社は存続できると思います。A.ランゲ&ゾーネは長期的な視点に立っていますからね。おっと、比較的短い質問に長く答えすぎてしまいました。
くろのぴーす:いや、問題ないですよ。それが最高なんです(笑)。
ドラマーから時計師、そして商品開発ディレクターへ
くろのぴーす:もう少し秘密を掘り出したいです。あなたがセイコーやルノー・エ・パピでのキャリアの中で学んだことのうち、この20年間に及ぶA.ランド&ゾーネの製品開発ディレクションで、一番役に立ったことは何ですか?
アントニー・デ・ハス:私は、人は人生でさまざまな段階を経るものだと思っています。子供の頃、私は今とはまったく異なるステージにいました。ドラマーを目指していたんです。10歳の頃からドラムを叩いていて、世界で一番有名なドラマーになろうと思っていました。父親は、私がドラマーになることを応援してくれました。私はドラムの才能も、大きな情熱もありましたから。一方で、父親は職業としての成功も考慮して、「もしドラマーがうまくいかなければ、ドラムを作る仕事をすればよい」と勧めました。ドラムキットの作り方を教える学校はなかったので、私は結果的に道具を作る学校に入りました。
その学校の隣に時計学校があり、オープンキャンパスに私は参加しました。そこで、小さな機械に魅了されてしまったんです。「これはすごいぞ」「かっこいいぞ」って。
時計学校卒業後に、オランダのロッテルダムにある日本のセイコーの輸入代理店で働きました。とはいえ、その店舗で働いていたのは週に3日。私はスタジオ・ミュージシャンとして、バンドでドラムを叩いていました。しかし、ある時、また人生のステージ選択に迫られました。さてどうしよう? ドラムか、それとも時計か?
この葛藤を経て、時計製造への道へ進んだのです。でも、オランダには産業がありません。当時は、グローネフェルドも何もありませんでしたからね。私はIWCが好きでした。当時、妻と私は付き合いたてで、彼女はまだガールフレンドでした。私たちはスイスが大好きでした。そこで、IWCに電話をしてみました。『時計師を探してませんか?』。そこで帰ってきた答えがこれです。『はい、履歴書を送ってください』。いや、待てよ。自分は休暇でスイスにスキーをしにきているのだぞ。これはアポを取って会いに行けるかもしれない。ということで私はIWCを訪ねていきました。
彼らは私にテストを受けるように言いました。その結果、すぐにでも働いてほしいと言われたのです。その数ヶ月後、私はスイスに引っ越しました。最初はIWCで2〜3年働くつもりでした。そしてオランダに帰り、そこでIWCのアフターセールス修理サービス部門でも立ち上げればよいのではと軽く考えていました。しかし、その2年後、いや2年半後、スティーブンから電話が来ました。
「ルノー・エ・パピに入らないか?」
私は、妻と顔を見合わせました。それからルノー・エ・パピに入社したのです。私はそこで、時計職人としてグラン・ソヌリとミニッツリピーターのプロトタイプ製作に携わりました。その後、すぐに部長にならないかと誘われました。プロジェクト・マネージメントの仕事です。私のコミュニケーション能力の高さと、各国語の会話スキルを買ってくれてのことでした。フランス語はすぐに覚えました。当時はロバート・グルーベルがコマーシャルディレクターでした。その後、彼が辞めた時、ルノー・エ・パピは私をそのポジションに指名したんです。
しかし私は時計職人です。そのため夜間学校で週に1日、マーケティング・セールスを学ぶ機会を与えてくれました。スイスのヌーシャテルでは、3年間そんな生活を続けました。そしてコマーシャル部門の責任者となり、すべての顧客ブランドと開発契約の交渉をするのが私の仕事となりました。
そしてその後、今から20年前に、A.ランゲ&ゾーネから製品開発ディレクターにならないかと誘われました。「え? この私が? あのブランドに?」
私の妻は地に足の着いた人間です。そんな彼女が『2〜3年やったらどう? しなかったことを後悔するより、したことを後悔する方がいいわよ?』と背中を押してくれたので、転職したのです。しかし、ルノー・エ・パピでは、いろいろと勉強になりました。本当にクールな職場です。ジュリオ・パピは世界で最も優しい男です。彼らはいつもチャンスを与えてくれます。成功した独立ブランドの多くは、ルノー・エ・パピにいた私と同世代の人たちでした。彼らは嫉妬などというものとは無縁でした。彼らとは常に助け合いでした。なんとクールな関係なのでしょう。私にとっては、そこは素晴らしい学びの場でした。時計作りだけでなく、マネージメントの面においても。そのおかげで私は今でもグラン・ソヌリが作れる数少ない時計師のひとりですからね。この業界で、グラン・ソヌリを作れる時計師は、たった20人から25人くらいだと思います。
マーケティングと、時計師としての知識を強みに
ソヌリはとても複雑です。単なるミニッツリピーターよりも、ずっと複雑なのです。そして私は、時計製造といった技術的なことだけでなく、商業的なことも学びました。もちろん、私はそれらの両方を今も駆使しています。
こういったバックグラウンドから、私は技術的な知識も持っています。普段から時計職人たちにどうすれば良いかと、教えを乞う必要がありません。これまでに学んだことは、大いに役に立ってるといえるでしょう。また、A.ランゲ&ゾーネには優秀な人材がいます。そのため、私はマネージャーとして部下を信頼する必要があります。彼らとはでたらめに話をしているわけではなく、私は自分の言っていることを理解しています。ですから、時計師との議論は同じレベルで行われます。もうひとつ、私の強みは商業的な側面も分かっているということがあります。ですから時計を開発するにあたっては、「ああ、ほかに何ができるだろう?」「何かクレイジーなものを作るぞ」と、考えられるわけです。
アイデアの大半は「まだ誰もやってないぞ」「もしこんなものがあったらいいな」というところから始まります。しかし「すごいぞ!」と思えても、時には技術面で限界に達することもあります。こんな話があります。開発とアイデアについての話です。ドイツなどヨーロッパではサマータイムがあり、3月の最後の日曜日には、時針が2時から3時になるんです。私はこのサマータイムが嫌いでした。
くろのぴーす:私も以前アメリカに住んでいたときはサマータイムが嫌いでした。あのせいで遅刻しますからね(笑)。年に2回も時計の時刻合わせをするのが面倒な……あ、当時の私が編み出した究極の解決策は、毎年半年の間は頭の中で1時間修正することでした(笑)。それでもう、1年を通して触る必要がない(笑)。
アントニー・デ・ハス:ええ。10月末になると、また針を戻さないといけませんからね。もし、時計が自動で修正してくれるなら、そんなクールな話はありません。スマートフォンは自動的に修正してくれますが、じゃぁ、機械式腕時計ではどうすれば良いのかと。まず、永久カレンダーである必要があります。時計自体が3月末とか10月末を判断する必要がありますからね。でも、時間の変更は日付で決まるのではなく、ヨーロッパでは最後の日曜日という、曜日で決まるのです。ですから、曜日を示すインジケータを作ればいいんですね、と。はい、それはできました。でも、アメリカではそのタイミングが2週間遅かったり早かったりするんです。じゃぁ任意で切り替えができるボタンを作れば良いじゃないか、と安易に言う人もいますが、それは話が違うでしょう。複雑な時計を作るのはひとつの仕事ですが、それを身に着ける人のために調節できるようにするのは、また別のことです。そして、多くの人がタイムゾーンの調整に苦労していることを知っていましたからね。
それで、あれこれ検討しました。というのも、当時、すでに曜日表示のある永久カレンダーがありましたから。その時、すでに12万ユーロの永久カレンダーモデルを、我々は持っていたんです。見た目もそのまま永久カレンダーです。ところで、ランゲの永久カレンダーはなぜ高いのか分かりますか? ブティックの販売員は、顧客に「この時計はこういうことができるんです」と説明できなければならないのは当然ですが、価格を正当化するために、それら表面的な情報だけで守りに入ろうとすることがあります。しかし、私の部署には黄金ルールがあります。「正当化するのは避けろ」と。なぜなら、我々の時計には機能以外にも何か特別なものがあるのは明らかでしょう。例えば、これらのとても高価な腕時計は、精度を調整するだけでも大変なのですから。
これは一例です。我々は一般的な消費者からコレクターまで、時計市場で何が起こっているかを俯瞰せねばなりませんが、A.ランゲ&ゾーネのようなディープな時計師集団だけでは、それは無理です。すべての商品には価格が伴いますからね。
そこが、ツァイトヴェルクを作るにあたって、最もエキサイティングなところでした。ツァイトヴェルクを開発すること自体が夢だったのですから。あなたもご覧になる予定のゼンパーオペラハウスの5分時計、すごいですよね? ああいった機構を手首に載せて、振り回せるなんて。「アップ/ダウン」やポールウェバーほど快適とはいえませんが。大きいですからね。しかし、それまでは誰も作ったことがなかった。しかし、誰も作れなかったことからは、その理由が学べます。
くろのぴーす:そこで質問なのですが、ツァイトヴェルクの機構を実現するために、ルモントワール以外を採用する選択肢はあったのでしょうか?
アントニー・デ・ハス:デジタル表示を実現するためにですか? ええ、もちろん話し合いましたよ。他の選択肢についても話し合いをしましたが、ルモントワール以外を採用しなかったことについて満足しています。例えば、ジャガー・ルクルトが「デュオメトル」と呼んでいる機構です。輪列がふたつありますが、私が個人的に気に入らないのは、その間にあるディファレンシャルギアです。ツァイトヴェルクのデジタル表示を実現させるという目的では、あの機構はまったくもって非効率でしたから、採用しようという発想には至りませんでした。ところで、私たちがルモントワールの発想を得た元は何か分かりますか? A.ランゲ&ゾーネの本社社屋には、とても長い振り子を持つ時計が設置されてます。その時計にルモントワール機構が搭載されているのです。
くろのぴーす:え? 本当にあの時計が?
アントニー・デ・ハス:ひとつ上の階ですから、後で見に行きましょう。
私たちは同時に多くの開発プロジェクトに取り組んでいます。現在、実に16ものムーブメントを開発中です。
くろのぴーす:え? 本当に? それは、すごいですね。
アントニー・デ・ハス:ええ。しかし開発は5年、6年、7年にわたるもので、それぞれのムーブメントに時間が必要です。ツァイトヴェルクを開発していた頃、ちょうど「ランゲ31」のアイデアがありました。ランゲ31は、エネルギー問題とパワーリザーブの延長問題と、そしてセキュリティ問題に対処する必要がありました。それもまた、振り子時計のルモントワールがインスピレーションを与えてくれたのです。
しかしツァイトヴェルクは、このランゲ31とはまったくの別物。とにかくトルクが必要なパワーハウスと言えるでしょう。ランゲ31はマラソンランナーですが、そこからジャンピングセコンドを有したリヒャルト・ランゲが登場します。ランゲ31や「リヒャルト・ランゲ・パーペチュアルカレンダー “テラ・ルーナ”」では、10秒ごとに走っていたのですが、1秒ごとに走るとなると、さて、どうなるでしょうか? なんと、ジャンピング・セコンドが出来上がったんですね。なんと都合の良い話でしょう。
都合が良いじゃないですか。じゃぁゼロリセットはできないの? しかしそれは私にとって問題じゃない。私の問題は、ゼロリセットよりもジャンピングセコンドです。ただ、ゼロリセットをかけられれば、少なくとも面白いのは確かだということですね。ですから、私はどの段階でも多くのことを学んだと思います。
同時に、ジャンピングセコンドの開発は、私に多くの人との出会いをもたらしました。私は多くの異なる文化圏で仕事をしてきましたが、その経験がとても役に立っています。私の部下55人の中には、とてもクリエイティブな人たちが多く、彼らは同時に繊細でもあります。彼らのサポートのために、私自身は時々心理学者やモチベーターなのではないかと錯覚することもあります。時にはきつくてチャレンジャーでもありますが、この活動は常に彼らへの敬意を伴うことが前提です。そして、それが何より楽しい。人間は常に感情が伴うものですし、社員が燃え尽きては困りますから、うまく彼らをケアしなければなりません。ですからマネージャーはそれなりの責任を持たねばならず、当然私は開発チームの負荷を制御する責任を担っています。もし私の部下がずっと赤い目をしていたら、私は仕事の量を判断するのが下手なのでしょう。それは私の責任であって、彼らの問題ではありません。それが私の哲学です。私は、それを何年もかけて学んできたわけです。
誰に情熱、知識、経験を引き継ぐのか?
くろのぴーす:次の質問のタイミングがまたバッチリです。例えば“デ・ハス・ジュニア”と呼べるような、あなたの情熱と知識と経験をすべて受け継いでくれる人はいますか?
アントニー・デ・ハス:私は57歳ですから、まだこの場を去るには若すぎます(笑)。そのため、まだよく分からないですけれど、すでに何人かはいると思います。20年前にこの地に降り立ったとき、私は今のような経験を積んだ人間ではありませんでしたからね。だから、私についてくる人にも、経験を過度に期待してはならないのです。時々、私自身もどうしようかと考えてしまうトピックですよ。
そういった人たちが成長し、かつ成長を促せるよう指導するための時間を、十分に取りたいと思います。でも逆に、後継者はアントニー・デ・ハスと同じ人格というのは良くないかもしれません。世界にアントニー・デ・ハスがふたりは多すぎですね(笑)。私の後に私が担ってきた仕事をする人は、別の性格の、別の人物になるでしょう。
私にとって重要なのは、ステレオ音響を発明したアラン・D・ブラムラインのような哲学に従っていることであり、彼と私のしていることは変わりません。毎日「ブラムライン氏ならどうしただろうか」と考えているわけではありませんが(笑)。
A.ランゲ&ゾーネのような企業にとって、後継者を育てていくということは、重要だと思います。それが私たちの信条ですからね。もし時計に何か起こったとしても、いつでも何らかのケアをしてくれるだろうという安心感を与え続けなければならないと思います。もしあなたのお子さんが20年後にA.ランゲ&ゾーネの時計を所有していて、修理やメンテナンスの必要が出た時に、ブランドがいつもここに存在して、対応します。そして、おそらくその時も年間1万本ではなく、5000本くらいの時計を作っていて、さらなるノウハウを蓄積していることでしょう。ここ数年、私たちはミニッツリピーターと、エナメル文字盤用のハンドエングレービングの技術を習得しましたが、その分野が“ルーメン”シリーズの開拓につながりましたし、技術習得は今後も継続していくでしょう。この“継続”は、とても重要なことだと思います。
挑戦は面白く、楽しい
くろのぴーす:初めてチャイムウォッチ(ミニッツリピーター)を作るまでに9年かかったとお聞きましたが、当時はその技術はスイスにしかなかったとおっしゃいました。では、ドイツという地でこの機構を開発するにあたって、最大の障壁は何だったのですか?
アントニー・デ・ハス:時計師たちに、「君らも作れるんだぞ!」と、納得させることでした。彼らは、ああ、いや、そんなことはできないとか、そんな感じでしたね。人材育成プログラム? いえ、そこは問題ではありません。挑戦です。当たり前ですが、学ぶべきことはたくさんありましたからね。でもそれは試行錯誤の繰り返しで、面白いし、楽しいし、時には人々を納得させることも必要だということです。
くろのぴーす:ところで、ちまたのケースサイズのトレンドは、またデカ厚から小径へとシフトしていますが、例えば35〜36mmのサクソニアといったような、小さめの時計を作る計画はありますか?
アントニー・デ・ハス:我々はそういったトレンドは知りませんし、追ってはいません。当然、薄さについてもピアジェなどと競合するものではありませんが、サクソニア・フラッハは最も薄いブランドの時計であるがゆえに、“サクソニア・フラッハ”と呼ばれています。しかし、ランゲの時計はゴールドシャトンを採用しているため、スイス時計に比べて、厚さにおいて0.4mm不利となっています(笑)。
くろのぴーす:古典的な手法で製作された時計としては、すでに十分に薄いですからね(笑)。
アントニー・デ・ハス:そうですね。実際は、もちろん世界で何が起こっているかを見てはいますから、トレンドを知らないといえば乱暴すぎるかもしれません。
くろのぴーす:では、「カバレット」の復活はありますか?
アントニー・デ・ハス:カルティエの「タンク」やジャガールクルトの「レベルソ」などを除いて、長方形の時計はニッチな製品です。そのため、将来の新商品の選択肢としてなくなることはないでしょうが、現在のところ残念ながらカバレットを復活させる予定がありません。トゥールビヨンなどほかのモデルも、今のところ新作モデルの候補からは外していませんし。
実際にカバレットは最も美しいレクタンギュラー腕時計のひとつですが、私がロンドンにいた時、1年に10本もの新作を出しており、大量の在庫を抱えるのは理にかなっていない、と思いました。ほかにもたくさんまだアイデアがあるのは分かるが、いったんそれはやめておきましょう、と決めたのです。
最後の質問
くろのぴーす:では、最後の質問をしたいと思います。私は、限定の「XXXXXXXX」を買い逃してしまったんですが、なんとか買う方法はありませんか?
アントニー・デ・ハス:それはカオリ(ジャパンの山﨑社長)かセールス・ディレクターのラムジーに聞いてください(笑)。そういうアロケーションといったような、かなりややこしい話に関わっていないから、私は楽でいられるのです。なにしろ競争が激しすぎますから。ひどい場合は、あのシリアルナンバーが欲しい、このシリアルナンバーが欲しいなんて言ってくる人もいますからね(笑)。
くろのぴーす:私は、実際にほれた時計しか買いませんから、どうにかぜひ、お願いします(笑)。
アントニー・デ・ハス:ですから、その話はぜひラムジーに!(笑)
くろのぴーす:はい(笑)。これですべての質問が終わりました、楽しいお話をありがとうございました。
アントニー・デ・ハス:こちらこそありがとうございました。ぜひ一緒に写真を撮りましょう。
くろのぴーす:はい、お願いします!
選者のプロフィール
1000円のチープカシオ、1970年代のデジタルウォッチ、1億円を超えるパテック フィリップのミニッツリピーターまで、700本以上の時計を収集する腕時計愛好家。独立系腕時計ブランドを取り扱うクロノセオリーをプロデュースし、ニューヨークタイムズにも2度取り上げられた。日本を代表する時計コレクターのひとり。
インスタグラム:@chronopeace
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