2024年3月よりアルピーヌとのパートナーシップを結んでいるH.モーザー。これまで他業種との協業と積極的ではなかったH.モーザーだけに、その驚きはなかなかのものだった。なぜ、同社はモータースポーツの領域に足を踏み入れたのか? その狙いをセールス ディレクターのニコラス・ホフマンに聞いた。核となるのは顧客体験の向上だ。
Text & Photographs by Yuto Hosoda(Chronos-Japan)
[2024年6月4日公開記事]
H.モーザー×アルピーヌの協業がなぜ意外なのか?
3月、H.モーザーから驚きのニュースが送られてきた。それがアルピーヌ・モータースポーツとのパートナーシップ締結の発表だ。
アルピーヌ・モータースポーツといえば、F1に参戦する「BWTアルピーヌF1チーム」やFIA世界耐久選手権(WEC)の「アルピーヌ・エンデュランス・チーム」などを擁する、フランスの自動車メーカーのモータースポーツ部門である。
確かに、時計業界では自動車メーカーやモータースポーツチームとのコラボレーションは、マーケティングとしては鉄板だ。しかし、それでもこの協業に驚かざるを得なかったのは、H.モーザーというブランドが、とにかく時計業界にとって特異な存在だからである。
“VERY RARE”、そして100%スイスメイドをうたうH.モーザーは、自分たちが生み出すプロダクトに絶対的な自信を持っている。それを象徴するように、同社はユーザーに“ブランド”で時計を選ぶのではなく、“商品の良さ”で選ぶよう一部のモデルからブランドロゴを排したり、「レス イズ モア」という考えの下、インデックスすらも存在しない究極のシンプリズムを追求したりと、非常に挑戦的な戦略を打ち続けてきた。
そのため、モータースポーツチームとの協業という王道なマーケティングを行うこと自体が、大事件なのだ。加えてモータースポーツに限らず、時計ブランドが他業種とコラボレーションをする場合は、両者のブランドロゴを商品に記載することで相互の顧客を取り込もうとする。しかし前述の通り、H.モーザーは自社のロゴすらデザインから廃してしまうようなブランドだ。当然、文字盤にアルピーヌのロゴを載せただけの簡単なコラボモデルなど作るわけもないだろう。
F1という絶大的な宣伝効果を持ちながらも、膨大なコストもかかるコンテンツを、H.モーザーという異端児はどのように活用していくつもりなのか。前置きが長くなったが、この意外なコラボレーションの狙いを知るべく4月5日、F1日本グランプリのフリー走行日に鈴鹿サーキットへ赴き、H.モーザーでセールス ディレクターを務めるニコラス・ホフマンに話を聞いてきた。
顧客体験の向上こそが、コラボレーションの要になる
BWTアルピーヌF1チームのパドック横に設けられたゲストハウスで取材陣を出迎えてくれたホフマンに、まずはその概要から説明してもらった。
「まず、今回のコラボレーションはH.モーザーとアルピーヌ全般に適用されます。つまりF1だけではなくWECのような別カテゴリー、A110といった一般車両も含めて広い範囲で協業していきます。これらアルピーヌとのパートナーシップは、以下の3つのポイントを狙ったものになります。ひとつ目はブランドの認知度向上です。次に機械式時計とモータースポーツの良さを生かし合うPRが挙げられます」
モータースポーツとの協業を軸にしたマーケティングとしては最もベーシックな考え方だ。日本でのかつてのブームを知っている世代からは意外に思われるかもしれないが、F1の影響力は未だ絶大、いや、むしろ世界的には今がピークと言えるほどに大きなコンテンツである。アルピーヌのマシンやドライバーのスーツにブランドロゴが映っているだけでも、大きな宣伝効果は得られるはずだ。
そしてもちろん、ふたつの目のPRには両社のコラボレーションモデルも該当してくるはず。とはいえ前述の通り、H.モーザーの社風を考えれば自社の時計にアルピーヌのロゴの力を付けて終わり、といった安易なモデルは決して作らないだろう。そんなことを考えていたら、ホフマンが腕に巻いていた時計を外して見せてきた。
「まだ発表前(当時)のモデルですが、これがH.モーザーとアルピーヌのコラボレーションモデル第1段です。『ストリームライナー・シリンドリカル トゥールビヨン スケルトン』をベースに、アルピーヌのコーポレートカラーを取り入れました」
自動巻き(Cal.HMC 811)。28石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約74時。SSケース(直径42.3mm、厚さ14.0mm)。12気圧防水。世界限定100本。予価1591万7000円(税込み)。
「ストリームライナー・シリンドリカル トゥールビヨン スケルトン アルピーヌ限定エディション」と名付けられたそれは、果たしてH.モーザーらしさにあふれた時計だった。合成スピネルの文字盤と、ブランドとしてはこれまでほとんど採用してこなかったラバーストラップにブルーを配色することで、アルピーヌとのコラボレーションモデルであることを強調。しかしその文字盤にもストラップにも、そしてケースバックにすら、H.モーザーの文字はおろか、アルピーヌの「A」のロゴすら見当たらない。随分思い切りましたね、と伝えてところ、ホフマンはこう答えた。
「我々はマーケットにおける立ち位置や、知名度は高くないけれども伸び代がある点など、共通点がいくつかあります。お互いの顧客が、それぞれ特別なものを求める傾向にあるのもそのひとつです。H.モーザーは常に顧客を驚かせたいブランドですし、それをアルピーヌも理解してくれています」
確かにヒゲゼンマイすらもグループ企業で作ってしまうほどの純然たるマニュファクチュールであるH.モーザーと、ワークス体制でF1やWECに参戦するアルピーヌ・モータースポーツは本質的に似通っているかもしれない。そして、それぞれの顧客がH.モーザーに求めるもの、自動車メーカーとしてのアルピーヌに求めるものが近いことも納得だ。なるほど、異色とも思われたコラボレーションは、なかなか理に適っているではないか。
「そして最も重要なのが、顧客体験の向上です。日本グランプリは協業が決まってから時間もなかったため、イベントなどは準備できませんでした。しかし、今後はグランプリに顧客をお連れして、特別な体験を提供する予定です」
なお、インタビュー中には少し意地悪な質問もぶつけてみた。それが「2019年にCO2排出量ゼロを目標とすることを掲げておきながら、なぜこのタイミングでF1/モータースポーツとのコラボレーションなのか」ということだ。
もちろんH.モーザーの掲げるCO2ゼロは、最終的に購入した炭素クレジットで剰余排出量を相殺することを意味しているが、いずれにしてもCO2の排出量自体も減らそうと努力しているブランドの方向性とは反しているようにも捉えられかねない。
「確かに矛盾しているようにも見えるかもしれません。しかし、アルピーヌという自動車メーカーもまた、ガソリン車から電気自動車への切り替えを目指しているところです。また、F1自体も今はハイブリッドになり、驚くほどに環境に優しいコンテンツとなりました。お互いがCO2を減らしていこうという立ち位置の中で技術を磨いているわけですから、我々が2019年に掲げた目標から外れているとは思いません」
よりラグジュアリーブランドとしてステージを登ったH.モーザー
ホフマンにインタビューをした4月5日は前述の通り、フリー走行日。午前と午後にそれぞれ1回ずつ練習走行の時間が設けられ、その間に各々マシンを走らせるわけだが、それ以外は別カテゴリーの走行会やピットウォーク、サーキットトラック(大型トラックの積載部分乗ってサーキットを1周する)などの催しが行われる。
当日は幸いなことに、ホフマンに連れられて取材陣もピットウォークやサーキットトラックに混じったり、更にはフリー走行中にピットの中に入ってその様子を見たりすることができた。いずれもモータースポーツファン垂涎の経験だ。
また、VIPラウンジでは軽食やドリンクを摂りながらプラクティスの様子を見ることもできた。あくまでこれらは取材ツアーの一環ではあるが、今後、H.モーザーがVIPに提供しようと考えている顧客体験の方向性を知るには十分すぎる内容だ。
今後、ブランドはいくつかのレースを“キーレース”として設定し、それらに注力してパートナーシップ活動をしていくとホフマンは語る。アルピーヌ・モータースポーツはF1とWECのいずれにも参戦しているチームだ。これは勝手な予測だが、“キーレース”には世界三大レースである「モナコグランプリ」と「ル・マン 24時間レース」も入ってくるのではないか。
世界のモータースポーツファンが憧れのレースで提供される、H.モーザーオーナーのみが享受できるホスピタリティー。アルピーヌとの協業は、H.モーザーがラグジュアリーウォッチブランドとして、さらにステップアップしていくためのターニングポイントになるかもしれない。
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