時計愛好家の生活 M.T.さん「国産アンティークの箱はほとんど集めたと思いますね」

2024.09.27

本誌2012年3月号の〈「時計愛好家」の生活〉第1回で取り上げたM.T.さん。日本人が作っていたものを買いたい、という理由で国産時計の蒐集を始めた彼は、アンティークディーラーであるBQ氏の助けなどを借りつつ、そのコレクションを今なお増やしつつある。しかし、彼のコレクション対象は、時計に限らなかった。2018年末、Mさんは1950年代から60年代までの時計や家電などを揃えたプライベートミュージアムをオープンしたのである。

M.T.さん
保険関係の仕事に従事する55歳のビジネスパーソン。国産時計のコレクションルームを持っていたが、2018年末に移転。時計に限らず、1950年代から60年代の古物ばかりを集めた、プライベートミュージアムを完成させた。おそらく、国産時計の愛好家としては、質・量ともに世界有数だろう。
三田村優:写真 Photographs by Yu Mitamura
広田雅将(本誌):取材・文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2019年3月号掲載記事]


「昔、自分が遊んだ場所がなくなったから今、自分で作っているのかもしれません」

M.T.さんが下関に開いた、店のようなミュージアムのような“大人の駄菓子屋”。入り口には、Mさんの欲しかった2台の車が並ぶ。左はブルーバード410。右はベレットGTRである。いずれもオリジナルの状態を良く残した個体だ。「昔、ブルーバードの510は持っていたから、あえて古い410を選びました。ベレットは、子供の頃に乗りたかった車ですね」。

 2018年暮れ、旧知のBQ氏から連絡があった。「以前、〈「時計愛好家」の生活〉で取り上げたM.T.さんが面白いことをやっています。見に来ませんか?」。下関在住のMさんは、おそらく日本つまりは世界有数の日本製アンティーク時計のコレクターだ。しかし彼の所蔵品はすでに誌面で紹介した。仮に時計が増えただけなら再び見に行く必要はないだろう。「いや違う。彼はミュージアムのようなものを作ろうとしているんですよ」。

 下関駅を降りて、車に乗ること約10分。港近くの小さな商店街を入ったすぐそこに、その“店”はあった。車庫のようにも見えるが、整頓されすぎている。店のようにも見えるが、商売っ気はまったくない。奥から、当事者のMさんが姿を見せた。2階に案内されると、確かにこれはミュージアム以外の何ものでもない。しかも昭和30年代の雰囲気そのままの、だ。

“店”の2階には、昭和30年代から40年代の古物が並ぶ。ちなみにすべて非売品。売りたくないからではなく、「欲しい人と自分の価値観が違うだろうから」。なお、室内にあるすべての紙ものには、劣化を防ぐためにフィルムが巻かれている。Mさんらしい、完璧主義の表れだ。「自分もやりますし、奥さんにも手伝ってもらっています」。

「実は時計だけでなく、家電なども集めているんですよ。そうなると置く場所が欲しくなる。そこで3年前に建物を買ったんです。昭和25年築の、もともと薬局だった建物。それから改装を行い、2階部分は2018年の秋に完成しました」

 椅子に座るなり、Mさんはテレビを点けた。白黒の画面には、ぼんやりと松田優作が映っている。田舎にあったテレビは、こんな映り方をしていたっけ。

「白黒テレビを直して、地デジチューナーとDVDをつないでいるんですよ」

1950年代後半に作られたセイコーの箱

国産時計メーカーの箱はほとんど持っていると語るMさん。特にお気に入りが1950年代後半に作られたセイコーの箱だ。同じように見えるが、いくつかのバリエーションが存在する。箱の上の時計はセイコー初の自動巻き、オートマチック。ベルトを含めてフルオリジナル(!)

 Mさんは昭和38年生まれ。幼少期に見たもの、使ったものに魅力を感じるという彼は、やがて蒐集の対象を、時計から“それ以外”にも広げていった。洗濯機、冷蔵庫、扇風機、テレビ、ラジオなどなど。もちろん、時計の蒐集も続けている。現在所有する国産アンティークは700本以上。Mさん曰く「それ以上あるけど、数えるのは諦めた」とのこと。入り口に並ぶクロックも「300個以上はあるんとちゃいますか。正確な数は分かりませんけど」。

 凝り性のMさんは、多忙な合間を縫っては、昭和38年前後の製品をこまめに集めている。家電はネットオークションや骨董屋経由で、当時のパンフレットなども山のように買い込んだ。

ロイヤルジュピターのグリーン文字盤、オリエントスターダイナミック

オリエントの面白いモデルふたつ。左はロイヤルジュピターのグリーン文字盤。納入したBQ氏曰く「ほとんど取り扱ったことがない」。右はオリエントスターダイナミック。普通のモデルに見えるが、実はポスターに掲載される以外に販売告知等の資料が見つかっていない21石仕様。幻の1本。

「新しいものがどうも好きになれないんです。スマホだって、使うようになったのは3カ月前から。今まで車は30台ほど乗ってきましたが、全部中古。今穿いているジーパンも、古着屋で1000円で買ったものです」。古物が好きな人は少なくないが、ここまで徹底していると痛快だ。「普段は現行のレクサスに乗っていますが、どれも中古です。新車と値段が変わらないのに、なぜか中古を選んでしまう」。あえて中古を買い、しかも気に入ったから2台揃えたという。「3台目を買おうと思ったけど、妻に反対されたのでやめました」。

 しかし、なぜMさんは、このような“場”を作ろうと思ったのか。

セイコーのオートデータ

Mさん曰く「セイコーのオートデータは6~7本は持っているはず」。これは当時の箱、ストラップ、タグのフルセット。“役物”よりも、地味な時計が好きなのはいかにもMさんらしい。1950年代初頭の製造。50年代後半まで、セイコーはこのタイプの箱を使っていた可能性が高い。

「“空間願望”が昔からあったんでしょうね。“場”に興味があったのかもしれません。小さい頃は、遊びに行ったら帰ってこないんですよ。寺などで基地を作っていましたね。そして駄菓子屋で遊んだりした。ひょっとして、駄菓子屋を作りたいのかもしれませんね。子供のではなく、大人の駄菓子屋」。彼は反芻するように語り始めた。

「いろいろなものを集めているけど、確かにカメラはないですね。父が買わなかったからかな。ラジオはありましたし、テレビも白黒があった。そして新しい製品が出るたびに買い替えていった」。元薬局にずらっと並んだ家電製品。それらはおそらくMさんが少年時代に見たものだったに違いない。

オリエントスター・ヒノマチック

「格好いい時計が好き」と語るMさん。「これなんていいんとちゃいます?」と出してくれたのが、1950年代半ばのオリエントスター・ヒノマチックだ。自動巻きではなく、センターセコンド。日本メーカーとしては初のハック機能付き。わずか3カ月のみ製造された時計である。

「父が大工だったんですよ。神戸の平屋に住んでいたけど、勝手に2階を建て増しして、3世帯で住むようになった。曾祖母と、その弟夫婦、僕ら家族。父に大工仕事を手伝わされましたね。壁を塗ったり、とかね。だからそういう、モノを作っていく作業は好きですよ。もちろん大工仕事もね」。3年前に買った元薬局を、Mさんは自分の好きな“場”に変えていった。

 Mさんがいうところの“空間願望”は、時計のコレクションに顕著だ。世に時計のコレクターは少なくないが、彼は、できるだけ当時の姿で残したいと考えている。

「国産アンティークの箱はほとんど集めたと思いますね。売っていた当時の状態にしてあげたいじゃないですか」

魅力的な“店”の内部。1階の元台所には、洗濯機や冷蔵庫、そして1950年代から60年代の販促用品が置かれている。しかし、これらはあくまで一部だ。

国産のアンティーク時計

2階の棚には、国産のアンティーク時計が並ぶ。これらは珍しく“役物”である。当然すべて箱付き。

 彼は1950年代のセイコーオートデータを見せてくれた。箱やタグを含めて、完全なオリジナルだ。時計は10年前に買い、その後に箱を買い足したという。

「このかたちで買ったわけではありません。ただ当時の資料などを読む限り、こういう組み合わせで売られていたはずです」

 しかし、オートデータとは渋い選択だ。そういえば、以前取材した際もMさんのコレクションには、グランドセイコーといった“役物”は少なかった。今でも30本程度しか持っていないという。「“グランド”は別にいらないんですよ。自分が気に入ったものだけ買えればいいから」。同席していたBQ氏もこう補足した。「Mさんは、自分の嗜好でだけ買っていますね」。

店舗を購入した時点では内装が荒れていたという。Mさんは修復できない土壁にクロスを貼るなどして再生に努めた。

元薬局だった1階は備え付けの棚が充実している。その棚に並べられたクロック。20年以上かけて蒐集しただけあって稀少なものが並ぶ。

 レクサスを乗り回し、趣味で古物を蒐集。展示の“場”として家まで買ってしまったMさんは、どう考えてもお金持ちだ。事実、Mさんの本宅は、瀟洒なマンションである。普通、これだけお金があれば、高価でレアな品物だけを揃えたくなるだろう。

「いまさらブランド物や良いスーツはいらないんですよ。レアな時計も必要ない。フェラーリにも乗りたいとは思わないですね。自分は何かを作りたいだけ」

1940年代から60年代の時計関連のポスター

Mさんは多くの紙ものも所蔵している。これは1940年代から60年代の時計関連のポスター。

シチズン「パラショック」のポスター

左からふたつ目は、有名なシチズン「パラショック」のポスター。いずれも極上の状態だ。それ以外のものは、基本的にマンションに保管しているとのこと。

 そんなMさんは何をするつもりなのか。

「実は、左右の店にも声をかけています。もし店を手放すときは自分に売ってくれと。面積を広げたら、もう少しいろいろなものが置けるでしょう。売りに出されている向かいのビルも手に入れたいですね。5階建て、80坪もあるから、ミュージアムを作れるかもしれない」

 しかし、Mさんには店を作るという願望はないようだ。あくまで、自分が気に入ったものを並べて、人が来ればお茶を出すだけの“大人の駄菓子屋”であればいいようだ。事実この“店”は、金・土・日の昼間数時間だけしか開いていない。住所などを掲載しない理由は、「記事を見て、面白いと思った人だけ来てくれればいい」ため。

上は、Mさんがいつか再現したいという1960年代の店頭ディスプレイ。まだ完全には揃っていないそうだが、同じように並べていただいた。右上から時計回りに、ダイヤモンドフレーク、ドレッシー、レコードマスター、アラーム、クロノメーター、ホーマー、クロノメーター、クロノマスター、ジェットオートデーター。ほとんど何でも持っているように見えるが、Mさん曰く「まだオリエントのルミナスとシチズンオートの箱は持っていません」とのこと。

「実は今、この建物の裏に、小さな長屋を作っています。長屋風の駄菓子屋ですね。飲食店をやるつもりはありません。ただ、人が集まってワイワイできればいい」

“場”への情熱もここまで極まれば本物だ。でも疑問が残る。なぜMさんは、ここまで空間を調えようと思ったのか。古物のために家を買い、古時計のために箱を揃える。よほどの理由がなければ、こんなことはやらないだろう。

「僕が生まれ育った神戸の街は、阪神大震災であらかたなくなってしまったんです。高校時代に古着やセイコー5を買った高架下の商店街も、もうなくなろうとしている。ひょっとして、自分が遊べる場所がなくなったから、自分で作っているのかもしれませんね」

Mさんの蒐集対象は、今や時計や家電に留まらず、セルロイド製の筆箱やキャラものの食器、なぜかトースターや電気ストーブなどにも広がりを見せる。奥様曰く「意味はまったく分からない」とのこと。しかし、毎週末になると、家族でこの“店”に数時間は滞在するという。「なぜか落ち着くんですよね」。


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