自動巻き機構、何が正解なのかをワインディングシステムから研究【スイッチングロッカー編】

2024.09.09

自動巻き腕時計が誕生して100年を迎えた2022年の11月号で、クロノス日本版編集部は、自動巻き機構と真剣に向き合った。そのページをwebChronosへと転載していく。今回は、ワインディングシステムのうち、“スイッチングロッカー”から自動巻き機構を研究していく。

三田村優:写真
Photographs by Yu Mitamura, Takafumi Okuda, Eiichi Okuyama, Masanori Yoshie
広田雅将(本誌):取材・文 Text by c
Edited & Text by Chronos Japan Edition (Yukiya Suzuki, Yuto Hosoda)
[クロノス日本版 2022年11月号掲載記事]


ワインディングシステムから自動巻き機構を研究する

 2000年代半ばまで、高級時計が使う自動巻きの代名詞はスイッチングロッカー式だった。コンパクトで理論上は摩耗しにくいこの機構は、確かに高級機向けだった。現在は片方向巻き上げやラチェット式に押されているが、技術の進歩は、この古い自動巻きを再び第一線に引っ張り出すかもしれない。


スイッチングロッカーとは?

 一昔前によく聞いた自動巻き機構がスイッチングロッカー式だ。ローターの正逆回転に合わせて、そこに噛み合う歯車が「首」を振り、ローターの回転方向を一方向に整流する。この自動巻きは、コンパクトな上、理論上はリバーサーに比べて摩耗しにくい、というメリットで広く知られていた。

Cal.BVL191

ブルガリ Cal.BVL191
明らかに高級機として設計されたのが、2012年初出のCal.BVL191だ。写真が示す通り、極めて小さなスイッチングロッカーを採用する。理論上は巻き上がりにくいはずだが、実際の巻き上げ効率は優秀と聞く。パワーリザーブやテンワの慣性モーメントを抑えたためか。オメガと並ぶ、スイッチングロッカー式自動巻きの雄である。

 この自動巻き機構を採用した先駆けが、おそらく世界初の全回転ローター両方向自動巻きであるフェルサ「ビディネーター」(1942年)だった。そして55年にはオメガがCal.470と、大径の490/500系にスイッチングロッカーを採用した。

 この機構が高級機向けと見なされるようになったのは、ジャガー・ルクルトが好んだためだろう。同社は61年のCal.880系を皮切りに、920や888(67年)、889(82年)といった傑作にスイッチングロッカーを採用した。そのため同社のエボーシュを選んだヴァシュロン・コンスタンタンやオーデマ ピゲも、自動巻き機構は必然的にスイッチングロッカー式となった。ジャガー・ルクルトと関係の深いA.ランゲ&ゾーネも、やはり「ランゲマティック」に、この機構を採用した。

 スイッチングロッカー=高級機という認識を明確に持っていたのはブルガリである。同社は初の自社製自動巻きであるBVL191(2012年)に、スイッチングロッカーを採用した。発表当初、広報担当だったパスカル・ブラントは筆者にこう説明した。「私たちがスイッチングロッカー式の自動巻きを選んだ理由は、それが高級機の自動巻き機構だからだ」。

スイッチングロッカー式の巻き上げ方法

スイッチングロッカー式の巻き上げ方法
ブルガリのCal.BVL191を例に、スイッチングロッカーを見ていく。左図で示したローターが反時計回りの赤系統ではローターカナ❶は左回転し、カナと噛み合った第1伝え車❷が右回転で歯車❸を回す。同時に❷の動力は❸と歯車❹が取り付けられたスイッチプレートを右肩上がりに動かし、❹を伝え車❺と噛み合わせる。❸から動力を得た❹は❺を左回転させ、香箱を巻き上げる。対して右図のようにローターが時計回りをした際(青系統)は、ローターカナ❶が右回転し、第1伝え車❷を左回転させる。❷の左回転によって歯車❸が右回転すると、同時にスイッチプレートが左肩上がりに動き、❸と伝え車❹が噛み合う。❸は❹を左方向に回すため、香箱が巻き上がる。

 コンパクトな上、理論上は摩耗しにくく、そして巻き上げ効率に優れるスイッチングロッカーは、IWCのステファン・イーネンが言う「加速度巻き上げ」自動巻きである。従ってこの自動巻きでは、スイッチングロッカーがいかにスムーズに「首」を振るか、そしてローターがスムーズに回るかが重要になる。

 そんなスイッチングロッカーの改良に取り組み続けたのはジャガー・ルクルトである。同社は889系の自動巻き機構に手を加え、最終型の889/2では、首を振る2枚の歯車にルビーをはめ込んで抵抗を減らした。にもかかわらず、熟成に成功したとは言い難い。

Cal.8900

オメガ Cal.8900
ETA 2892A2ベースのCal.2500系を置き換えるべく設計されたCal.8500。そのマスター クロノメーター版がCal.8900系だ。ダブルバレルと巨大なコーアクシャル脱進機にフィットさせるべく、コンパクトなウィグワグ式(スイッチングロッカー式)の自動巻きを採用した。簡潔な設計により、優れた巻き上げ効率を誇る。

 また巻き上げ効率を改善するため、ローターを重くしたメーカーもある。一般的にスイッチングロッカーの不動作角(ローターが動いても巻き上げない角度)は約40度とされる。これはETA 2892A2の倍以上で、ローターが十分に回転しないと巻き上がらない。そのため各社はさまざまな手段で、ローターを重くしようと試みた。これは巻き上げを改善する有用な手段だったが、自動巻き機構への負荷を増した。事実、テスト中のノモス「イプシロン」自動巻きは、ローター芯が折れるという問題に悩まされた。

 もっとも、省スペースなスイッチングロッカー式の自動巻きは、今だからこそ価値を持つ。例えばオメガの8500/8900系。そのサイズから考えると、同社が言うウィグワグ式(スイッチングロッカー式)の自動巻きは極端にシンプルで、整流用の歯車をV字状の線バネで支える構造も乱暴に見える。しかし、スムーズな首振りを考えれば、これは最も洗練された仕組みと言えるのではないか。事実、オメガの採用するウィグワグに、巻き上げの問題は生じていない。

ウィグワグ式の巻き上げ方法

ウィグワグ式の巻き上げ方法
オメガCal.8900が採用するウィグワグ式の巻き上がりの場合、写真では外されているがローターカナ❶が、回転し、❷の歯車を回す。❶が右回転の場合は赤系統、左回転の場合は青系統で動力が伝えられていく。ローターが右回転の場合、歯車赤❷が伝え車を右回転(赤❸)させ、香箱を巻き上げる。ローターが左回転の場合は、歯車青❷が右回転させられ、❸→❹→❺と左右の回転を変えながら動力を伝達していく。青❺が左回転することで青❺のカナと噛み合った伝え車を右回転(青❻)させて、香箱を巻き上げるのだ。なお、赤❷、青❷の歯車はそれぞれローターの動力を得た時にV字状の線バネによってスライドし、次の動力へとつながっていく。

スイッチングロッカー information

採用ブランドと主なムーブメント
オメガ Cal.8500/8900、Cal.9300/9900、ブルガリ Cal.BVL191、ヴァシュロン・コンスタンタン Cal.1120など。

メリット
コンパクトかつ構造がシンプルなため、理論上は摩耗しにくい。

デメリット
リバーサー式に比べると不動作角が大きく、重いローターが必要。

[総評]
自動巻き機構の黎明期に、腕時計に向く両方向巻き上げ機構としてリリースされたのが、スイッチングロッカーである。初出は1942年。コンパクトでスペースを要さない半面、重いローターが必要なため、やがて採用は貴金属製のローターを使う高級機に限られるようになった。この機構で最も成功を収めたのが、ジャガー・ルクルトのCal.889とCal.920(オーデマ ピゲ名Cal.2120、ヴァシュロン・コンスタンタン名Cal.1120)だ。


採用ブランドに聞く、自動巻き機構の設計思想
オメガ × Cal.8500系、 Cal.8900系など

 今や少数派となったスイッチングロッカー式の両方向巻き上げ自動巻き。省スペースで摩耗しにくい半面、巻き上げ効率は高くない、というのが時計業界の評価だ。しかしオメガは、この古典的な自動巻き機構を好んで採用し、例外的に大きな成功を収めている。なぜオメガは、スイッチングロッカーを選び、そして、どのような改良を加えたのか?

グレゴリー・キスリング

グレゴリー・キスリング
オメガ製品開発担当副社長。1978年、スイス生まれ。ヌーシャテルARC 専門学校を卒業後、カルティエに入社。2004年にオメガに転じ、プロダクトマネージャーとなる。08年より製品開発責任者となり、22年より現職。

 Cal.8900系がウィグワグ式(スイッチングロッカー式)を採用した理由は、このサイズのキャリバーには、このタイプの自動巻きが最良の選択肢と判断したためです(編集部注:おそらくは自動巻き機構を収めるスペースを考慮したのだろう)。

 私たちの採用するウィグワグ式の自動巻き機構に、注油によって性能が変わる、といった問題はありません。8900系の自動巻き機構は非常に信頼性が高く、自動巻きの巻き上げスピードも、オメガの他の自動巻きムーブメントである8700系や8800系、9900系などと同じです。もっとも、ウィグワグに使われている歯車をスムーズに回転させるため、8900系は自動巻き機構にルビーを使用しています。

 また2008年から、オメガは一部のムーブメントの自動巻きにセラミックボールを用いたベアリングを使用するようになりました。これは耐磁性能の向上にも寄与するものです。ただし、セラミックスのボールベアリングをスティール製のものと比較した場合、効率改善という性能面だけを見ると、顕著な向上は見られません。

オメガ「コンステレーション 41mm」

オメガ「コンステレーション 41mm」
ケース両サイドのツメがアイコニックなデザインを継ぐ新作。文字盤にはホワイトセラミックスが採用され、ブルーセラミックス製ベゼルとともに艶のある顔に仕上げられている。高い耐磁性を備えるC.O.S.C.認定機を搭載し、精度は申し分ない。自動巻き(Cal.8900)。39石。2万5200振動/時。パワーリザーブ約60時間。SSケース(直径41.0mm、厚さ13.5mm)。5気圧防水。

 ちなみにオメガは、長年にわたって、自動巻き機構に適切なサイズや設計を与えるための非常に信頼性の高い仕組みを開発してきました。また、ラボラトリーで自動巻きの巻き上げスピードを測定するほか、ムーブメントを加速度的に劣化させるテストも行っています。さらに、現実の条件下でのムーブメント性能を完全に測定するため、ボランティアの手首に腕時計を装着して、実際にテストも行っています。

 一方で私たちは、ウィグワグ式だけでなく、リバーサー式も採用しています。Cal.8800系に使われるリバーサーは、2500系と同じです。しかし、より高い巻き上げ効率を得るため、ローターや自動巻きの輪列などは調整されています。女性用ムーブメントにリバーサー式自動巻きは向かないとされていますが、そんなことはありません。自動巻き機構が正しく設計されていれば、リバーサーは女性用にも完全に適したものです。

 なお、ムーブメントのロングパワーリザーブ化と、デスクワーカーの増加は、自動巻きの設計に影響を与えていないと確信しています。仮に座りっぱなしのデスクワーカーであっても、実は頻繁に動き回っており、その運動量は、自動巻きのムーブメントを巻き上げるには十分なのです。


スイッチングロッカーの未来図とは?

 2000年代に開発された野心的な自動巻きには、スイッチングロッカーを採用したものが散見される。代表作が、オーデマ ピゲのCal.3120と、ノモス グラスヒュッテのCal.イプシロンだ。採用の理由はもちろん省スペースである。イプシロンの写真が示す通り、スイッチングロッカー機構は、ムーブメントの厚みを増さないよう、その余白にうまく押し込まれている。もっとも、自動巻きの熟成には時間を要したようだ。オーデマ ピゲもノモスも、これらのムーブメントに大幅な改良を加えてきた。とりわけ3120系は、過去と現在では別物と言えるほど大きく変わっている。

Cal.3120

オーデマ ピゲ Cal.3120
初出2003年。それまで使っていたジャガー・ルクルトCal.889を置き換える、オーデマ ピゲ初の量産型自社製自動巻きである。自動巻き機構はCal.2120から転用したスイッチングロッカー。後に改良を受けて、巻き上げ効率や自動巻き機構の耐久性をさらに改善した。

 腕を動かさないデスク(パッシブ)ワーカーが増えた現在、多くの時計メーカーは、ローターの回転数で巻き上げを稼ぐ加速度式自動巻きよりも、ローターの重さで巻き上げる重力式自動巻き(とりわけ片方向自動巻き)に目を向けつつある。加速度式自動巻きの代名詞的存在であるスイッチングロッカーは、控えめに見ても分が悪い。しかし、技術の進化は、この自動巻き機構を、再び表舞台に引っ張り出すかも知れない。

 転がり抵抗の小さなセラミックス製のベアリングにより、スイッチングロッカーに不可欠だった重いローターは不要となった。加えて、潤滑油の改善は油が固着すると巻き上げが悪化するという、スイッチングロッカーには付きものの弱点を解決しつつある。となれば、片方向巻き上げと同じぐらいコンパクトで、しかも空転時の振動がないこの自動巻きは、魅力的な選択肢になるだろう。

 現在、スイッチングロッカーを好んで採用するのは、主にブルガリとオメガのみだ。しかし両社とも、スイッチングロッカーで、予想外の成功を収めた。各社がムーブメントの薄型化や多機能化に腐心する現在、ひょっとして最も可能性がある自動巻きは、スイッチングロッカーではないか?

Cal.イプシロン

ノモス グラスヒュッテ Cal.イプシロン
ノモス初の自社製自動巻きが、2005年に発表されたCal.イプシロンだ。写真の通り、ローターの隣にコンパクトなスイッチングロッカーが見える。大きな不動作角を補うため、ベースムーブメントに比して、ローターは大きい。細かな改良により、優れた自動巻きに進化を遂げた。


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