「夢」を「形」にするルイ モネ。イマジネーションの「力」

2024.08.14

2004年の創業以来、独自の時計を作り続けるルイ モネ。豪華絢爛で、ユニークな機構を搭載する同社のコレクションは、今や世界に熱心なコレクターを持つようになった。かつて忘れられていた天才時計師を再びよみがえらせたのが、ジャン=マリー・シャラーだ。往年のルイ・モネがそうであったように、21世紀の後継者も、情熱にかられて未来の時計作りに取り組み続ける。

世界初のクロノグラフ「コンプチュール・ド・ティエセス」(3分の1カウンター)のレプリカ

ルイ・モネが1816年に完成させた世界初のクロノグラフ「コンプチュール・ド・ティエセス」(3分の1カウンター)のレプリカ。1848年に出版されたルイ・モネ著の『Trait d'Horlogerie(時計学研究)』には記されていたが、現物は2012年のオークションで初めて確認された。21万6000振動/時という超高振動と、テンプに直接作用するゼロリセット機構を搭載する
三田村優:写真 Photographs by Yu Mitamura
広田雅将(本誌):取材・文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
Edited by Yukiya Suzuki (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2024年9月号掲載記事]


忘れられた天才時計師をよみがえらせたジャン=マリー・シャラー

ジャン=マリー・シャラー

現在のルイ モネCEO兼クリエイティブディレクターのジャン=マリー・シャラー。「彼はクロノグラフだけでなく、超高振動脱進機の父でもあったのです」。

 奇想天外とも言える時計を生み出してきたルイ モネ。世に時計メーカーは多いが、さまざまなストーリーを紡ぎ出すその手腕は、時計業界でも屈指ではないか。同社に明確な方向性をもたらしたのが、創業者にしてCEOのジャン=マリー・シャラーである。

 輸入商社のシイベルヘグナー(現DKSH)でさまざまなブランドの復興に携わった彼は、ペルレを再興し、後に独立して同社のCEOとなった。その後、彼は旧知のダニエル・ロートから、18世紀に活躍したルイ・モネという天才時計師の存在を聞いた。

「ダニエル・ロートがブレゲから独立した後、彼と飛行機で東京に飛んだのです。ワインを飲みながら、彼は私にこう言いました。あなたは自分のブランドを持つべきだし、ルイ モネこそがそれにふさわしい」

ルイ モネの本社

2013年に移転したルイ モネの本社。19世紀に建てられた旧銀行がそのまま使われている。中には、かつてルイ・モネが製作した50以上のクロックが展示されている。

 1768年に生まれたルイ・モネは、驚くほど多彩な人物だった。フランスに生まれ、ローマで建築、彫刻、そして絵画を学んだ彼は、弱冠27歳で、ルーヴル内にある芸術アカデミーの美術教授に任命された。革命期とはいえ、よほど才能があったのだろう。そんな彼は、やがて時計に情熱を傾けるようになり、クロックやウォッチを作るようになった。しかも、アブラアン-ルイ・ブレゲの友人にしてアドバイザーとなり、パリ・クロノメーター協会の会長を務め、後には時計理論書をまとめたのだから、時計師としても傑出していた。

 アカデミーの美術教授だったルイ・モネは、同時代の優れた時計師たちに比べてもなお、芸術家たちと近い位置にいた。そんな彼が、コンパクトなウォッチよりも、装飾の映えるクロックを得意としたのは当然だろう。ルイ・モネが製作した華麗なクロックは、ナポレオン・ボナパルト、ロシア皇帝のアレクサンドル1世、イギリスのジョージ4世といった王侯貴族の部屋を飾るようになったのである。その後も彼は活躍し続けたが、1853年に亡くなった後、彼の名前は忘れられていた。

ルイ モネの本社

社内には2004年の創業以来、ルイ モネが獲得してきた数々の賞の表彰状が掲げられている。ギネス世界記録認定を3回、ドイツのデザイン賞である「レッドドット・デザイン賞」を7回受賞した時計メーカーは珍しいだろう。

 ロートの勧めでルイ モネを発見したジャン=マリー・シャラーは、ルネサンス的時計師だった彼を「時計師でもあり、アーティストである」と表した。2004年に復興したルイ モネが、往年のクロックを思わせる、絢爛豪華なウォッチを作ったのは当然だろう。そして、ルイ・モネが製作したクロノグラフを購入して以降、シャラーは次のように定義した。「ルイ モネのDNAとは、クロノグラフに代表されるメカニカルワンダーと、天文時計が象徴するコズミックアート」だと。

 シャラーが手にしたクロノグラフは、公的に認められた世界初のクロノグラフというだけでなく、21万6000振動/時という超高振動と、ゼロリセット機構を持つ画期的なものだった。彼は言う。「やることを模索していた創業時から、ルイ モネの手掛けたクロノグラフを探し続けていました。たまたまオークションに出品され、私は競り勝った」。

「私はひとりきりでルイ モネを始めました。この会社を興したのは運命ですね」と語るシャラー。正直、19世紀の天才時計師と、今のシャラーの間には、何の関係もない。本社内のイマジネーションルームで、未来の時計を構想するシャラーの姿が、あたかも19世紀の天才時計師のように見えたのは、決して偶然ではないだろう。昔も今も、イマジネーションの力こそが、夢を形づくる原動力なのだ。

ルイ モネ本社のイマジネーションルーム

本社社屋の裏手には、瀟洒な別棟がある。その1階に設けられているのが、ジャン=マリー・シャラーの夢を詰め込んだ「イマジネーションルーム」である。隕石、宇宙服、昔の工場の扉といった多彩なオブジェが、ルイ モネのイマジネーション源となっている。シャラー曰く「この場所にはいいエナジーが満ちているのです」。


“同じ夢”を追いかけて実現したルイ モネのハイウォッチメイキング

「コンセプト社と他社の違いは、家族的なマインド」。ルイ モネCEOのジャン=マリー・シャラーがこう断言するように、「たったひとりでルイ モネを始めた」とうそぶきながらも、その実、周囲の人々に恵まれて、現在の成功をつかんだのは間違いないだろう。CEOのほかにクリエイティブディレクターの肩書を持つシャラーは、湧き上がるイマジネーションを形にするために、多くのサプライヤーの中からコンセプト社を選んだ。その決め手は「友情と情熱に基づいた信頼関係」であった。

ヴァレリアン・ジャケとジャン=マリー・シャラー

コンセプト社を率いるヴァレリアン・ジャケ(左)と、ルイ モネCEO兼クリエイティブディレクターのジャン=マリー・シャラー(右)。アイデアの塊と言うべきシャラーと出会うことで、手堅いムーブメントを作っていたコンセプトは、年々、新しい機構に挑戦するようになった。

 たったひとりでルイ モネを始めた、と語るジャン=マリー・シャラー。しかしかつてのルイ・モネに同じく、彼は周りの人々に恵まれていた。シャラーの盟友と言うべき存在が、コンセプト社の創業者であるヴァレリアン・ジャケだ。彼は父と共同で創業したコンセプト社を高級時計ムーブメントのデザインと製造で知られる企業に成長させた。今でこそジェイコブなどとのコラボレーションで知られるコンセプト社。しかしシャラーが見いだした当時は、今ほどの名声は得ていなかった。

ヴァレリアン・ジャケとジャン=マリー・シャラー

ヴァレリアン・ジャケとジャン=マリー・シャラーは本当に仲がいい。「私はカオスしか持ち込まないからね。夢は見るけど、そこに技術的な問題がたくさんある。だから、コンセプトとコラボレーションできて、とてもうれしいんですよ」(シャラー)。「ジャン=マリーは創造に対して特別な考えを持っていた。率直に言うと、彼のアイデアを実現できるとは思わなかったですよ(笑)」(ジャケ)。

 シャラーは語る。「信頼性が必要だったので、複数のムーブメントサプライヤーを訪問しました。私はヴァレリアンの父であるジャン=ピエールと友情と情熱に基づいた関係を築いたのです。コンセプトと他社の違いは家族的なマインドでしょう」。ジャケも答える。「当時は正直、まだルイ モネの可能性について確信が持てなかったのです。でも、すぐに情熱を共有した」。しかし、新しいムーブメント会社をパートナーに選ぶことはリスクではなかったのか?

コンセプト社

現在、コンセプト社は40社もの顧客を抱えている。かつてはもっと多かったが、質を求めるために数を減らした、とヴァレリアン・ジャケは説明する。従業員数は160名。ETAの設計を引き継いだムーブメントだけでなく、ルイ モネ「スペースレボリューション」のような、極めて複雑な時計も製作する。それを可能にしたのは、設計と製造の一貫した体制にほかならない。

「ヴァレリアンの父親はスイスの時計業界でも伝説的な存在です。そしてコンセプト社の以前にも素晴らしいムーブメントを作り出していましたからね」。ジャケも答えた「私たちは、情熱を分かち合うために一緒に話し合う方法を見つけたんです」。もっとも、その過程は決して容易ではなかったようだ。「私があまりにも多くのアイデアを提案するので、ヴァレリアンにはフラストレーションを溜めさせてしまった。そこで今は、自分たちの仕事にもっと集中するようになった。つまり、アイデアをひとつに絞ったのです」(シャラー)。しかしお酒を飲みながら、時計に関する話をするというから、ジャケとシャラーの関係は、ビジネスの関係を超えた盟友だ。

Cal.LM114

「ルイ・モネはクロノグラフのインベンターです。であれば、クロノグラフムーブメントを文字盤側から見せるべきだと思った」(ジャケ)。そこで完成したのが「メモリス」こと、Cal.LM79だった。そのムーブメントをダブルバレルに改め、6時位置にトゥールビヨンを追加したのが写真のCal.LM114となる。「ルイ モネのムーブメントはどれも大変です。でも、携わって一番面白かったムーブメントはメモリスでしたね」(ジャケ)。

 ジャケは語った。「商業的な利益は重要ですが、それよりも優先すべきは情熱なのです。そして私たちにとって、ルイ モネとの関係は特別であり、すべての基盤なのです。なぜなら私たちは同じ価値観を持っているからですね」。

インパルション

インパルション
ルイ モネのアイコンが、文字盤側に配されたクロノグラフ機構である。その最高峰に当たるのが、トゥールビヨンを加えた「インパルション」だ。コンセプト社の設計・製造によるクロノグラフは、仕上げはもちろんのこと、感触にも優れる。手巻き(Cal.LM114)。36石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約96時間。18KRGケース(直径42.5mm、厚さ14.6mm)。30m防水。世界限定28本。2970万円(税込み)。

 工場の説明をしてくれたのは、責任者のギヨーム・トリペだ。現在同社は、複雑なムーブメントを少量生産する一方で、高品質なエボーシュを大手メーカーにも提供している。まったく異なる種類のムーブメントを作るコンセプト社だが、基本的な品質は同じである。「そのために私たちの工房では、同じ工場、同じ部屋で両方のムーブメントを製造しています」(トリペ)。

ギヨーム・トリペ

コンセプト社の工場責任者がギヨーム・トリペである。「我々はETAのような工場と、小規模な工房の間にあります。ですから非常に少量の製品も開発することができる一方で、大量生産も得意としています。これがコンセプト社の大きな特徴です」と語る。

 コンセプト社の強みは、試作、設計、R&D、そして部品の製造と組み立て、最終チェックまでも行えることだ。「私たちは本当のマニュファクチュールであり、社内には約30種類のメティエ(職種)があります」(トリペ)。

 コンセプト社の底力を感じさせるのが地板や受けの製造だ。真鍮製の板をプレスで丸く抜き、焼き鈍しで丁寧に歪みを取っていく。その後、3.2mmに削るとブランクの完成だ。そして、穴開けされたブランクは、表面の歪みを完全に取るため、古典的な研磨機で表面が磨かれる。当たり前に思えるが、骨格がきちんとしていればこそ、さまざまな複雑機構を載せられるわけだ。

ブランクを打ち抜くプレス機

コンセプト社では、ムーブメントの土台となるブランクを自社で製造している。ブランクをプレス機で打ち抜くという作業が、すべての基礎となる。後に穴開けされた地板や受けは、バレル研磨でバリなどが落とされる。

仕上がり状態の地板

仕上がり状態の地板。価格帯を問わず、コンセプトは最新の工作機械で穴開けなどを行う。そのため、価格帯にかかわらず、部品の精度は高い。同社のムーブメントが、ルイ モネのような少量生産メーカーだけでなく、ブライトリングやジンといった大メーカーに好まれるのも納得だ。

 もっとも、ルイ モネが使うような複雑なムーブメントになると、使われる部品も異なってくる。量産品に使われるのは、プレスと切削で製造された部品。しかし、これらでは、例えばクロノグラフの規制バネやレバーといった、より精密な部品の加工は難しい。

プレス機

プレスで打ち抜かれた厚さ4mmのブランクは、焼き鈍しを加えて、プレス時に加わった応力を抜いていく。切削が当たり前となった現在では、珍しい工程である。土台となるブランクから歪みを取った後、3.2mmの厚さに成型する。歪みのない土台が、高い信頼性をもたらす理由だ。

 それを担うのが、電流を流したワイヤを通すことで、バネのような精密な部品を抜くワイヤ放電加工機だ。多くのメーカーではおなじみの機械だが、1台100万スイスフランのワイヤ放電加工機を8台も揃えるマニュファクチュールはそうはない。

 部品を切削する機械も豪華だ。大物部品を加工するのは、5軸のマシニングセンターであるウィレミン・マコデルの408S2。価格は200万スイスフランというから、スイスのマニュファクチュールで見られる機械としては、最も高価なもののひとつだろう。

地板の研磨の工程

研磨の工程。プレスで成型され、穴などが加工された地板や受けは、古典的な研磨機で厚さを削っていく。手前は研磨前、奥は研磨後の地板。歪みを取った後に厚みを削るのは、部品の歪みを嫌うためだ。

研磨中の部品

研磨中の部品。

研磨機

研磨機。部品をディスクに固定し、その上から研磨剤を混ぜた溶液をかけて上から削っていく。かつてのエボーシュメーカーには見られた機械が、まさか最新の機械を導入するコンセプト社で見られるとは思ってもみなかった。

「私たちの工場には、約200台の工作機械があります。そして年に10台、古い機械を新しいものに置き換えています」(トリペ)。常に最新の機械を導入することで、コンセプト社は、複雑時計の製造には不可欠な、ミクロン単位の公差を向上させている。

コンセプト社で製造されるネジやピン類

コンセプト社の底力を感じさせるのが、ネジの製造工程だ。地板や歯車を作るメーカーは今や数多いが、ネジまで作れるメーカーは決して多くはない。コンセプト社は創業以来、ネジを自製している。写真は、社内で製造されるネジやピン類。

 面白いのは小物部品の製造工程だ。コンセプト社は、歯車はもちろん、なんとネジも製造しているという。「創業以来、私たちはネジも自製しています。こういった部品は2種類に分かれます。100%手作業で作るものと、機械と手作業によるものですね」。切削したネジは、もちろん使う箇所に応じて焼き入れが施される。ちなみに、ルイ モネが用いるネジは、頭を完全に研磨し、すり割りの角を落とした最も高級なもの。部品の基本的な質を高め、仕上げで差異を付けているのが、コンセプト社の物作りなのだ。

ネジの製造工程

ネジの製造工程。冷却用のオイルを流し当てながら、ごく小さなネジを切削していく。(

偏心ネジの設計図

クロノグラフには欠かせない偏心ネジの設計図。すり割りに設けられた面取りに注目。また焼き入れなども社内で行っている。

 組み立て部門で見かけたのはなんと「アストロネフ」だった。今やふたつのトゥールビヨンを載せた時計は珍しくないが、これはひとつが反時計回りに10分で1回転、もうひとつが5分ごとに時計回りするというものだ。もちろん、トゥールビヨンであるため、キャリッジも60秒で1回転する。これを完成させたのだから、コンセプトの技術力は圧倒的だ。組み立て担当者は語る。「ここで手掛けるのは、ルイ モネの複雑時計。すべての時計はラボでチェックするだけでなく、クロノフィアブルの認証を受けています」。

受けの外周に幅の広いストライプ装飾を施す工程

コンセプト社では、ムーブメントの仕上げも社内で行っている。写真は、受けの外周に幅の広いストライプ装飾を施す工程。研磨材を取り付けたコマを当てて、模様を付けていく。

回転錘(ローター)の外周を研磨する工程

こちらは回転錘(ローター)の外周を研磨する工程。ブレが出ないように、重いコマが使われる。ルイ モネといったハイエンドなプロダクトになると、さらに手作業が加わる。

 トリペは語る。「コンセプトの最も貴重な資産は、最新の機械や技術ではなく、作業台の後ろで働く人間なのです。ですから私たちは、同僚たちに心からの敬意を払っています。なぜなら、彼ら・彼女らの存在は非常にユニークであり、誰かを失うと、その代わりを見つけるのは非常に難しいからです」。ジャン=マリー・シャラーの情熱を形にするコンセプト社。夢を形にするのは、常に人、なのである。

工房で最終チェックを待つ「アストロネフ」

工房で最終チェックを待つ「アストロネフ」。ふたつのトゥールビヨンが時計回りと反時計回りに動くムーブメントは、なんと471個もの部品で構成される。ムーブメントを組み上げるだけでも約1カ月かかるのも納得だ。
アストロネフ

アストロネフ
今や、コズミックアートを標榜するルイモネ。ふたつのトゥールビヨンを天体と見立てたのが「アストロネフ」だ。それぞれが逆方向に高速回転するというギミックを形にするには、約3年の期間を要した。手巻き(Cal.LM105)。56石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約48時間。18KPGまたはTiケース(直径43.5mm、厚さ18.3mm)。10m防水。世界限定8本。18KPGケースは予価7700万円(税込み)、Tiケースは予価6930万円(税込み)。


ルイ モネの「エレガンス」と「美観」
「独創性」をかなえるアトリエ

ルイ モネのトゥールビヨン以外のコレクションは、専門のアトリエで組み立てられる。担当するのは組み立ての専門メーカー。ムーブメントだけでなく、ケーシングも行うのは他社製品に同じだが、高い質が求められるため、ルイ モネ専用のスペースが設けられている。「何よりも質」という姿勢が、ルイ モネの時計に高い完成度をもたらしている。

ジャン=モーリス・ドンゼ、エドゥワルド・ドンゼ、ジャン=マリー・シャラー、マシュー・ピン

右から、メイシエのCEO兼ディレクターであるジャン=モーリス・ドンゼと、彼の息子で広報責任者を務めるエドゥワルド・ドンゼ、ジャン=マリー・シャラーを挟んで、アトリエ責任者のマシュー・ピン。

 ルイ モネの組み立てを担うのは、メイシエという時計の組み立てに特化したメーカーである。160名の従業員を擁し、名だたるメーカーを顧客に持つ同社は、ルイ モネのために専用のスペースを割いている。同社のCEOを務めるジャン= モーリス・ドンゼが説明してくれた。「同郷ということもあり、ジャン=マリーとは仲が良かったのです。それで、彼が会社を興したときに、ウチの会社も使ってくれと言ったのです」。人とのつながりでビジネスが進むのは、シャラーらしい。

メイシエの工房内

ルイ・モネのクロックが飾られた工房内では、4名の時計師が組み立てに従事している。「よりよい仕上げを求めて、最後の最後の段階でケースを磨くこともあります」とのこと。

 しかし、ルイ モネの時計が複雑なために、同社はわざわざルイ モネだけを組み立てるよう、別のスペースを設けた。責任者を務めるのがマシュー・ピンである。メイシエに勤めて17年、ルイ モネに携わって12年の彼は「エレガントでユニークだが、組み立てと調整が大変だ」と語る。

 現場では、時計師がメモリスのムーブメントを組み立てていた。組み立て以上に調整に時間がかかるため、同時に組めるのはふたつが限界とのこと。「遅れることもありますが、質はより重要なのです」。面白いのはクロノグラフ針を曲げる工程だ。先端を曲げるために、時計師はプラスティックのローラーを当てている。そして、文字盤に取り付けてインデックスに揃っているかを確認していく。

組み立て中のメモリス

組み立て中のメモリス。モジュールではなく一体型のクロノグラフで、しかもクロノグラフ機構が文字盤側にあるため、機構の調整はかなり難しいとのこと。さらに、ルイ モネの好むユニークな素材の文字盤が、その組み立てをいっそう困難にする。

「ルイ モネの時計は、文字盤だけでなく、地板にアベンチュリンなどを使ったりします。ですから、傷が付きやすい。そのため、針を取り付けた後に受けを付けるといった、普通ではない作業が求められるのです。美観も完璧であること。私たちが、別のスペースでルイ モネを組み立てる理由です」

ルイ モネのクロノグラフ秒針

ルイ モネのクロノグラフは、例外なくクロノグラフ秒針の先端が曲げられている。普通は曲げられた状態で納品されるが、ルイ モネでは時計師が組み立て時に自ら曲げて装着する。実演してくれたのは12年の経験を持つ時計師だ。「曲げられれば、やり方は何でも良いのです。同じ曲面のカーブを付けられるよう、彼女はプラスティックの丸棒を当てるというテクニックを身につけたのです」(マシュー・ピン)。必要な条件は、完全に傷を付けないこと。「さまざまなムーブメントを経験できるのが、ルイ モネの組み立てに携われる面白さですね」と、ルイ モネのムーブメントの組み立て・調整に携わる時計師は、その利点を語る。


ルイ モネが生み出すイマジネーションの源泉
R&Dとミュージアムのシナジー

唯一無二の存在感を放つ、ルイ モネのコレクション。時代や国にとらわれない、そのクリエイションの源泉は、スイスの本社にあった。同社CEOジャン=マリー・シャラーのアイデアを生み出すイマジネーションスペースに、それを形にするR&D部門。彼の夢を詰め込んだ本社とそこに付随するミュージアムで、シャラーは静かに新製品のアイデアを練っている。

ルドヴィック・バラス

驚くほどのアイデアを持つジャン=マリー・シャラー。彼のアイデアをまず形にするのが、R&D部門のルドヴィック・バラスだ。ポール ピコで8年、その後はエベルに転籍し、2010年からルイ モネに加わった。「ルイ モネのヒストリーは面白いし、すべてを白紙から開発できるのが魅力ですね」。

 自宅裏のガレージから始まったルイ モネ。2013年にはヌーシャテル州のサン・ブレーズという小さな街に移転した。周りの情景になじんだ古めかしい建物は、かつて銀行だったという。「最初は同じ通りの別の場所を勧められたのです。しかしこちらの方が良かったですね。元銀行だから、壁もガラスもぶ厚いのです。イマジネーションとエナジーを得られる場所ですね」(ジャン=マリー・シャラー)。

イマジネーションルームの内部

イマジネーションルームの内部。スイスの時計メーカーで、これほど多様なものが並ぶ場所は他にないだろう。

 現在、この本社には10名のスタッフが在籍している。R&D部門で責任者を務めるのはルドヴィック・バラスだ。

「ジャン=マリーのアイデアやデッサンを基に、プロダクトを開発していきます。彼はさまざまなところを旅行しているから、予想もできないようなアイデアを持っているんですよ」

、ジャン=マリー・シャラーの自筆のスケッチ

「何かデッサンのようなものはないのか?」と尋ねたところ、ジャン=マリー・シャラーが自筆のスケッチを持ってきてくれた。モチーフに選ばれたのは、なんとアンモナイトの化石。それをデザインに落とし込み、ムーブメント部品にも彫金として施している。「最も素晴らしいのは制限を超えること、期待を超えたものを作ることです」(シャラー)。

 彼が新製品のアイデアを練るのが、別棟の1階に設けられたイマジネーションルームだ。もともとは農家の納屋だったそうだが、完全なリノベーションを受けて、ルイ モネのミュージアム兼フリースペースになった。並べられたアイテムは、時代も国もバラバラだ。宇宙服と隕石、過去の工作機械が取り巻く部屋の中心には、鉄で出来た巨大なテーブルが置かれている。シャラーが資料を見せてくれた。「これは地元の自動車工場だったマルティーニのドアを転用したもの」というから、極めてユニークだ。少なくとも、こういう背景を持たないと、ルイ モネの時計は形にならないのだろう。

 取材中に目立ったのは、多くの人がシャラーと親しげに話す様だった。彼の夢と情熱は、多くの人を巻き込み、それがルイ モネの時計をさらに進化させていくのだ。

メモリス レッド エクリプス

メモリス レッド エクリプス
クロノグラフの“祖”と言って過言ではない18世紀から19世紀にかけて活躍した時計師であるルイ・モネ。彼へのオマージュとして作られたのが、文字盤側にクロノグラフ機構をレイアウトしたメモリスキャリバーである。本作はケースに彫金を施し、エナメル文字盤を採用した限定版。自動巻き(Cal.LM79)。30石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約48時間。18KWGケース(直径46mm、厚さ15.6mm)。50m防水。世界限定12本。生産終了。



Contact info: ジーエムインターナショナル Tel.03-5828-9080


2024年 ルイ・モネの新作時計を一気読み!

https://www.webchronos.net/features/113459/
【インタビュー】ルイ・モネCEO兼クリエイティブディレクター「ジャン・マリー・シャラー」

https://www.webchronos.net/features/95555/
ルイ・モネ「アストロネフ」がGerman Design Award 2024で特別賞を受賞! ふたつのフライング サテライト トゥールビヨンが特徴的な意匠

https://www.webchronos.net/news/107639/