時計好きの中で度々話題になるのが、レディースウォッチの自動巻きは巻き上がりにくい、というもの。しかし、その通説のスタート地点となる「女性の運動量は男性と比べて少ない」に対して明確な根拠が示されることはほぼない。確かにメンズウォッチのムーブメントをそのままレディースウォッチに転用したものの中には、巻き上がり不良のレッテルを貼られてしまったものがいくつか存在するが、実際のところはどうなのだろうか?
細田雄人(本誌):取材・文 Text by Yuto Hosoda (Chronos-Japan)
Special thanks to Asics Japan
[クロノス日本版 2022年11月号掲載記事]
腕振り量と巻き上げ効率の関係性
今や時計メディアや愛好家の間で定説となった「女性の運動量は男性と比べて少ないため、自動巻きが巻き上がりにくい」という考え方。しかし、その根拠となるデータを筆者は見たことがない。メンズウォッチ向けに開発したムーブメントをレディスウォッチに載せたところ、巻き上がらないというユーザーの声が多く集まったと語るメーカーがある一方、IWCやブルガリのように運動量に男女差は全くないと断言するブランドも存在する。
本特集に際して複数ブランドにアンケートを取ったが、やはり結論付けるに至る回答は得られなかった。では時計とは異なる分野で、身体の動きに関するビッグデータを収集している企業に聞けば有用な回答を得られるのではないか。そこで世界的なシューズメーカーであるアシックスに取材協力を仰いだ。
アシックスの協力で、腕振りの男女差を研究!
同社が神戸市西区に設立したアシックス スポーツ工学研究所では、モーションキャプチャーシステムや2017年に開発した3Dセンサーを活用した歩行姿勢測定システムを用いて、数千人の「歩く姿勢」を数値化し、製品開発やサービス提供を行っている。同研究所で人間特性研究チームに所属する市川将氏はこう語る。「人の歩行速度は50歳を境に急降下する人が増えます。ホルモンバランスの低下など要因はさまざまですが、大きいのが歩き方の変化です」。
もちろん個人差はあるが、男女共に50歳前後でつま先の上がる範囲が狭まってすり足歩行気味になったり、腰が曲がって前傾姿勢になったりと、運動量低下の要因となりうるような歩き方の変化が見られるという。
「時計の自動巻きと関連性が大きそうなのは腕振りですね。腕振り量が加齢と共に減少していくのはもちろん、男女ではそもそも腕の振り方自体が異なるんです。歩行時の腕の振りは縦振り(体に対して前後方向への動き)と横振り(体に対して左右方向への動き)の2種類を組み合わせているのですが、男性は女性に比べて、横振りが大きい傾向にあります」
上に掲載しているグラフは、歩行時の男女の腕振り量を示したものだ。縦軸は腕振り量(具体的な数値は非公表)、横軸は年齢である。市川氏の指摘通り、男女共に50歳を境に運動量が低下していることが分かる。意外だったのが40代半ばから50代半ばにかけて、男女で運動量にほぼ差が出ていないということだ。アシックスのデータはあくまで歩行時に限定した話だが、1日の大半を占めるデスクワークはそもそも運動量が少なく、男女差が出づらい。そう考えると、仮に機械式時計のコアユーザー層である0〜50代男性が使用し、問題なく巻き上がるムーブメントに関しては、50代までの女性が使用しても同様の結果が期待できそうだ。
つまりライフスタイル、ワーキングスタイルの変化によって現代人の運動量が相対的に減った結果、設計の古い自動巻き機構では十分な巻き上げを得られなくなってきた。メンズウォッチはムーブメントの世代交代がレディスウォッチと比較して早いため、現代の働き方にすぐさま対応できたが、レディスウォッチはその切り替えに時間がかかり、このような説が根付いた可能性は高い。
とはいえ一点気掛かりなのが、市川氏の述べた「男女で腕の振り方が異なる」という点だ。縦振りがほとんどの女性に対して、横にも大きく腕を振る傾向にある男性の方が、同じ運動量でもより効率的に自動巻きを巻き上げられるかもしれないし、巻き上げ機構にも縦振りと横振りで得意・不得意があってもおかしくない。前述のアンケート回答がブランドによって大きく異なったのは、少なくとも自動巻き機構に何を採用しているのかと関係がありそうだ。