2000年の登場以来、男性・女性を問わず世界中から愛される「J12」。今回はその定番モデルの中から、全体をダークトーンにまとめた「J12 ファントム」ブラックモデルのレビューをお届けしたい。クチュールメゾンが手掛ける本格派機械式時計のパイオニア的存在でもある本作は、スポーティーな基本造形ながら細部の作り込みによってシャネル特有のフェミニンさを演出した、実用ラグジュアリー時計だ。
Text & Photographs by Naoto Watanabe
[2024年9月3日公開記事]
自動巻き(Cal. 12.1)。27石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約70時間。高耐性ブラックセラミック×SSケース(直径38mm)。200m防水。141万9000円(税込み)。
20年以上不変なマスキュリンかつフェミニンなJ12スタイル
2000年に発表されたシャネル初の男女兼用腕時計「J12」。その独創的なセラミックス製外装や高度な仕上げによって、ファッション業界と時計業界の双方に大きな反響を巻き起こしてきた本作は、2019年にケース構造が大幅リニューアルされているものの、デザイン構成そのものは20年以上にわたって不変だ。
初作のデザインを手掛けたのは、当時シャネルのフレグランス&ビューティ部門およびウォッチ&ファイン ジュエリー部門のアーティスティック・ディレクターを務めていたジャック・エリュ。
「J12」というモデル名は、エリュのイニシャル「J」が由来であるとも、アメリズカップのヨットのカテゴリー「Jクラス」が由来とも言われているが、時計自体の造形もまた、リュウズガードからラグまでが一体成形されたミドルケースや60分表記の逆回転防止ベゼルなど、ダイバーズウォッチに近いデザイン的特徴を備えている。
にもかかわらず、本作がもたらす印象は紛うことなき「シャネル」なのだ。スポーティで普遍的な構成の腕時計でありながら、同社の象徴的なチェーンバッグ「2.55」を想起させるフェミニンさを獲得している。
この相反するイメージを同居させたデザインこそ、100年以上の昔から女性向けにマスキュリンなワードローブを提案してきた同社の創始者ガブリエル・シャネルの哲学を反映した、J12ならではのスタイルと言えるだろう。
コンセプトに適合させた細部の仕上げとデザイン処理
J12特有のフェミニンさは、細部の仕上げや絶妙なデザイン処理による恩恵も大きい。
一般的に時計の外装は、高級機になるほど造形がシャープになり、角を立たせたエッジや、平面および可展面(平面に展開可能な曲面)に近い均一な曲面が与えられる傾向がある。
最右翼はオーデマ ピゲの「ロイヤル オーク」だろう。8角形ベゼルの面取り以外、極限まで3次元曲面(平面に展開不可能な曲面)を廃したシャープな造形は、時計を全く知らない層からもひと目で高価な品だと理解されるが、同時に極めてマッシブで男性的な印象をもたらしてしまう。
対してJ12のセラミックス製外装はベースを精密に整えながらも、ケースやブレスレットの角を大きく落とし、表面が3次元曲面になるまで磨き込むことで、まるで同社のキルティングレザーのように柔らかな光沢感を得られているのが特徴だ。
もしこれらがオーデマ ピゲのようなシャープさで仕上げられていたら、本作の印象はまったく異なるものになっていたはずだし、これほどまで女性から求められる時計にはなっていなかっただろう。
また、通常なら実用ツールとしての印象を強めてしまう逆回転防止ベゼルも、外周SS部の切り込み数を一般的なダイバーズウォッチの半数に抑え、切り込みの内側まで含めて研磨することで、無骨さを感じさせない宝飾的なディテールへと昇華させているのが見事だ。
文字盤やベゼルのアラビア数字も、シャネルが元来香水ボトルなどに採用してきた幅太で力強いカーブを持つフォントではなく、この時計独自の華奢で緩やかなカーブのサンセリフ体にアレンジすることで、スポーティーな印象を打ち消すことに成功している。
全鏡面セラミックブレスレットによる開放的で快適な装着感
全体が3次元曲面に磨き込まれた本作の外装は、ラグジュアリーな外観だけでなく装着感の向上にも寄与している。
一般的なスポーティウォッチに比べはるかに緩やかなカーブのエッジを持つ本作は、とにかく肌ざわりが滑らかなのだ。
セラミックス製外装は傷が付きにくい半面、エッジ部分に強い衝撃を与えると欠けやすい特性を持つが、本作では背面側にいたるまで全てのエッジが丸められているため、安心して日常使いできるだろう。
ブレスレットのコマは一般的な3連ブレスレットに比べ長めに作られているものの、強めのカーブがかかっているため、手首へのフィッティングも良好だ。
また、セラミックス製コマへの負担を抑えるための配慮か、コマ間の遊びを広めに取ることでほど良いねじり特性が生まれており、フルコマ時約133gという軽量さとも相まって、開放的で快適な装着感が得られている。
ロック機構を持たない板バネ式のダブルフォールディングバックルは、薄型で手首への食い込みが抑えられる半面、取り外し作業に若干の慣れを要する。
板バネの弾性が強めに設定されており、片方ずつ開けるたび時計本体が「ブルルンッ!」と大きく震えてしまうため、落ち着いた環境での慎重な作業が必要だ。
シャネルならではの美観が与えられたケニッシ製造ムーブメント
搭載されるCal. 12.1は、シャネルが資本参加するムーブメントメーカー、ケニッシによって製造される自動巻ムーブメント。
両持ちのテンプ受けやミーンタイムスクリュー搭載のフリースプラングテンプなど、現代的な基礎設計はCal.MT5612と同じだ。
ただし、シャネルによって手の加えられた本機は石数が26石から27石に増設され、テンプや歯車の露出が抑えられた独自設計の受けや、円形モチーフのタングステン製ローターを備えている。
本作ではミドルケースと裏蓋が一体成型でシースルーバック化されているため、独自設計のムーブメントが背面から眺められるのも機械マニアにとっては喜ばしいポイントだ。
また、全個体でC.O.S.C.認定のクロノメーターが取得されており、レビュー機の常用日差は+2秒という優秀な値だった。
パワーリザーブも約70時間と長めに確保されているため、デスクワーク中心の1週間の着用で1度も停止することはなかった。
意外なのは防水性能で、200mという極めて高い防水性が与えられている。
ベースがダイバーズデザインなのだから当然かもしれないが、湿度90%に達する日本の夏でも安心して着用可能なラグジュアリー時計は貴重な存在と言えるだろう。
それでいて針回しなどリュウズ操作感触には雑味がなく、逆回転防止ベゼルの回転時にもガタツキのない上質なクリック感が得られる。
実際に着用して潜るユーザーが存在するかはさておき、流石のチューニングだ。
ラグジュアリー性と実用性が共存する本格派機械式時計
昔から「J12」は筆者にとって好みのデザインということもあり、目にする機会の多い時計ではあったものの、これまでに1度も所有したことはない。
今回のインプレッションでは1週間にわたって実機を借りられたが、実際に長期間着用してみるとデザイン性重視のように思えていた外装が、快適な装着感に大きく寄与していることが実感できた。
厚さ12.6mmのシースルーバック&全鏡面セラミックケースでありながら200m防水を実現するなど、ラグジュアリー性と実用性を高い次元で共存させた設計・製造も見事としか言いようがない。
男女兼用モデルならではのフェミニンなデザインゆえ、着用ファッションを選ぶ時計であることは間違いないが、本記事で紹介した「J12 ファントム」ブラックモデルに限って言えばシックな配色でまとめられているため、通常モデルに比べ、さまざまな服装に合わせやすいように感じる。
筆者を含め、本サイトの主な読者層である男性の時計愛好家にとって、シャネルのブティックに足を踏み入れるには、多大なる勇気を振り絞る必要があるかもしれない。
しかし、その先にはきっと勇気に見合うだけの価値ある体験が待っているはずだ。