時計経済観測所/高級時計、なぜ日本で需要が好調なのか?

LIFEIN THE LIFE
2024.09.14

世界の高級時計市場の雲行きが怪しい。国内消費が冷え込んでいる中国、そして物価上昇が続き、高級時計消費の成長率が鈍化する米国の不振が、好調を続けてきたこの市場に影を落としている。一方で大きな伸びを見せているのが日本だ。2024年6月のスイス時計輸出額は、米国に次いで2位に躍り出た。なぜ日本での高級時計需要が、ここまで旺盛なのか? 最新の高級時計市場を「資産効果」の観点から、経済ジャーナリスト、磯山友幸氏が分析する。

磯山友幸:取材・文 Text by Tomoyuki Isoyama
安堂ミキオ:イラスト Illustration by Mikio Ando
[クロノス日本版 2024年9月号掲載記事]


高級時計、なぜ日本で需要が好調なのか?

磯山友幸

磯山友幸
経済ジャーナリスト/千葉商科大学教授。1962年、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。日本経済新聞社で証券部記者、同部次長、チューリヒ支局長、フランクフルト支局長、『日経ビジネス』副編集長・編集委員などを務め、2011年に退社、独立。政官財を幅広く取材している。著書に『国際会計基準戦争 完結編』『ブランド王国スイスの秘密』(いずれも日経BP社)など。
【磯山友幸 公式ウェブサイト】http://www.isoyamatomoyuki.com/

 これまで好調を続けてきた世界の高級時計市場が大きく変調を来している。スイス時計協会FHがまとめた2024年1月から6月まで半年間のスイス時計の全世界向け輸出額は、128億9020万スイスフラン(約2兆2578億円)と前年同期に比べて3.3%減少した。昨年まで最高額を記録し続けてきた流れに変化の兆しが見えている。

 世界市場で不振が目立つのは中国。中国本土向けが前年同期比21.6%減少、香港向けも19.9%減と大きく落ち込んだ。中国の国内消費が大幅に悪化していることが鮮明に表れてきたといえる。中国国家統計局が7月15日に発表した第2四半期(4-6月)の国内総生産(GDP)は、前年比4.7%増加と第1四半期の5.3%増から鈍化した。長引く不動産不況と雇用不安が内需を圧迫し、消費が低迷、6月の小売売上高が1年半ぶりの低い伸びにとどまるなど、暗雲が漂っている。これが時計消費にも鮮明に表れている。

 もうひとつの要因が、これまで世界の高級時計・宝飾品需要を牽引してきた米国の減速だ。スイス時計の米国向け輸出は、増加を続けているものの、伸び率は3.6%増にとどまった。米国での物価上昇が完全に収束しないことでFRB(米連邦準備制度理事会)が金利の引き下げを先送りしていることなどから、米国の消費にもやや陰りが見られる。

インバウンド旅行客の急増で日本向け輸出が増加

 そんな中で大きく数字を伸ばしているのが日本だ。スイス時計輸出先上位10カ国・地域の中で、7.7%増と最も高い伸び率を記録した。

 中でも6月単月のスイス時計輸出のデータを見ると、その変化が歴然としている。輸出額トップは3億7620万スイスフランで6.5%増を記録した米国だったが、それに次ぐ2位に13.2%増の1億7480万スイスフランを記録した日本が入った。3位は香港、中国は4位に後退した。中国の不振と日本の好調が対照的に数字に表れた結果となった。

 なぜ日本向けスイス時計の輸出が増えているのか。最大の理由は日本へのインバウンド旅行客の急増だ。1月に1ドル=141円台だったものが160円近く(7月下旬時点)にまで円安となったため、日本国内に在庫としてある時計の価格が、外国人観光客から見てお買い得になったことから、一気に高級時計が売れ、在庫がはける結果になったと見られる。また、7月と8月は日本にやって来る訪日外客数が最も多くなる季節で、円安によって一段と安くなった日本に外国人が押し寄せる格好になっている。こうした外国人観光客の需要に対応しようとディーラーが時計在庫を積み増していると思われる。

 日本政府観光局(JNTO)の推計によると、3月以降6月まで毎月300万人を超す訪日外客数を記録。6月には313万人と単月での過去最高を記録した。これまでの傾向では通年で7月が最も訪日客が多いことから、7月に単月で最高をさらに更新するのはほぼ確実な情勢だ。

 ロシアとウクライナの戦争やパレスチナでの紛争もあり、欧州や中近東への旅行が敬遠される傾向にあって、日本ブームにさらに火がついている。日本における高級時計需要はこうした外国人旅行者が支えていると見ていい。

日本国内では大きな資産格差が

 日本で高級時計が売れているのは景気が良くなり、消費が上向いているからだと思われがちだが、必ずしもそうではない。賃金が増えても物価上昇に追いつかないことから、実質賃金は6月まで26カ月連続のマイナスになっている。一方で株式相場や不動産価格は上昇を続けており、いわゆる「資産効果」が働いているのは間違いない。要は資産格差が開き、富裕層は購買力が高まっている一方で、中間層の消費は落ち込んでいると見られる。

 スイス時計の統計でも輸出価格500スイスフラン(9万円弱)から3000スイスフラン(約52万円)の中価格帯の時計輸出が大きく減少している一方で、3000スイスフラン以上の高価格帯の輸出はほとんど減っていない(いずれも出荷額ベース)。

 また、円の価値が劣化する円安を嫌って、資産家の多くが外貨資産や実物資産に資金シフトしていると見られ、高級時計もその対象になっていると考えられる。欧州や米国ではインフレが収束しつつあることや金利が上昇したことで、高級時計の二次流通市場などでは相場が下落しているのとは対照的な動きになっている。

 当面こうした特殊な事情から、日本での高級時計の売れ行き好調は続くと見て良さそうだ。


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