ジャガー・ルクルト製カメラ、その名も「コンパス」。かつてジャガー・ルクルトはカメラを製造していた

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2024.09.12

1937年に発表されたジャガー・ルクルトの「コンパス」は、先駆的で洗練されたカメラであった。その独特の品質と多機能性によって、歴史に名を残すカメラとなったのだ。そのうえ、わずか4000台しか生産されなかったため、このカメラは現在、コレクターの間で非常に人気の高いものとなっている。ジャガー・ルクルトは、フランス・パリにあるジュ・ド・ポーム国立美術館20周年を記念して、この歴史的存在ながらも、意外と知られていないカメラの物語を振り返っている。

Originally published on MONTRES DE LUXE
Edited by Takashi Tsuchida
[2024年9月12日公開記事]


時計職人の手による革新的カメラ:驚異のミニチュア技術の結晶

カメラと腕時計、ジャガー・ルクルトの名機が並ぶ。カメラの周りにあるのは、取り扱い説明書など。

 数百ものキャリバー製造とミニチュア化の技術に裏打ちされた、ジャガー・ルクルトの職人たちによる伝統的な技術の集積によって、ジャガー・ルクルトは「コンパス」という名の驚くべき挑戦に立ち向かうことができた。1937年のある日、時計製造の歴史が写真機の歴史と交差することになったのである。

 当時、ノエル・ペンバートン・ビリングというイギリス人の実業家兼パイロットの男性が、前例のない品質の高さに加えて、可能な限りの機能をタバコ箱ほどのサイズに詰め込んだカメラを作るという途方もない賭けに出た。実際、彼は多才な人物であった。すでに自国で航空会社を設立し、南アフリカで貨物会社を、メキシコでカジノを所有していた。詩人であり、作家であり、エンジニアでもあったビリングは、スピットファイアの原型ともなった飛行機を含む100点近くの発明を行っており、単に万能なだけではなく、天才であった。だが、すぐに自らの計画における技術的挑戦の難易度の高さに気づき、計画を時計会社の手に委ねることにしたのである。

 当時、後にジャガー・ルクルトとなるルクルト社は、すでに何百ものキャリバーを開発しており、その中には世界最小のもの(有名なレクタンギュラー形のキャリバー101)や、最も薄いもの、そして象徴的なアトモス置時計も含まれていた。1934年、ペンバートン・ビリングはジュウ渓谷へと向かったのである。

左はコンパスの背面。露出計や他の設定用ダイヤルが見える。右は、同じカメラの前面。レンズを中心に、絞りや焦点距離設定用のリングが配されている。

 結果として、(一部の複雑時計と同じくらいの)290パーツで構成されるコンパスの開発には、3年の歳月を要した。1937年に発表されたこのカメラは、大きな成功を収め、当時としては先駆的なデザインと、搭載機能の多さで話題を呼び、予約待ちリストは長いものとなった。

このカメラには、露出計、距離計、望遠レンズフード、はめ込み式フィルター、EV値(露出値)表示、アングルファインダー、パノラマ・立体撮影用の超軽量三脚が付属していた。

 しかし、第二次世界大戦とフィルムの問題によってその姿を消すことになった。わずか4000台しか生産されなかったこのカメラは、今日ではコレクターの間で垂涎の的となっている。




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