1830年代、ポーランド貴族の出身であるアントワーヌ・ノルベール・ド・パテックは、激動の時代の中、自由を求めて祖国を離れた。その後、スイスにたどり着き、時計職人としての才能を開花させていく。彼がどのようにしてパテック フィリップを創業し、数々の困難を乗り越えながら、世界最高峰の時計ブランドへと成長させていったのか、その軌跡をたどる映画が現在制作中である。
ポーランドとスイスを舞台に撮影進行中
時計愛好家たちを魅了し、必ずや熱狂させるであろう映画の制作が、現在進められている。制作を手掛けているのは、パテック フィリップの創設者のひとり、アントワーヌ・ノルベール・ド・パテックの出身国であるポーランドの制作会社だ。すでにポーランドとスイスで撮影が進められているという。なお、アントワーヌという名前はフランス語風の呼び方で、ポーランド語風での呼び方となると、アントニとなる。
映画の制作者たちは、映画の公式ウェブサイトにて、次のように述べている。
「ポーランド文化の促進を目的としたアントニ・パテックの活動、彼の愛国心と社会的な関与、そして何より、彼が創設した会社が世界の時計製造の発展に果たした貢献は、ポーランドがヨーロッパの地図から消し去られるという、我が国にとって非常に困難な時代をも描く、素晴らしい映画の題材となっている」
この映画は、ポーランド立憲王国における11月蜂起の反乱者としてスイスに亡命し、社会活動家となり、さらには著名な起業家へと成長したアントワーヌ・ノルベール・ド・パテックの生涯を描いた内容だ。
11月蜂起とは、1830年に、ロシアの実質的な支配からの独立を目指したポーランド全土で起こった反乱だ。この運動はロシア軍によって制圧され、以降のポーランドはロシアの属国化がさらに進んでいくこととなる。
アントワーヌ・ノルベール・ド・パテックは、最も高級な時計ブランドのひとつであるパテック フィリップを創設し、近代史に永遠の足跡を残した。その製品は、イギリスのヴィクトリア王妃、デンマークのルイーズ女王、イタリアのヴィットーリオ・エマヌエーレ3世など、多くの王侯貴族に愛用されたのだ。
しかし、あまり知られていないのは、アントワーヌ・ノルベール・ド・パテックが亡命生活を送りながらも、祖国ポーランドに残る人々を積極的に支援し続けたことである。彼の名前そのものが、当時独立国として存在しなかったポーランドの存在感をヨーロッパと世界に示すことに大きく貢献した。
アントワーヌ・ノルベール・ド・パテックは自社製の時計に、ポーランドの国民的英雄の肖像、ポーランド軍の偉大な勝利を描いた戦闘場面、ポーランドの家族の紋章、聖母マリアの画像など、愛国的かつ宗教的なモチーフを施した。11月蜂起後の他のポーランド人亡命者たちとともに、ポーランド国家の再建を目指しつつ、ポーランド文化の保護に尽力したのである。
クシシュトフ・パルシンスキ監督によるこの映画は、アントワーヌ・パテックを偉大なポーランド人として正当に評価することを目指している。さらに、これまでほとんど知られていなかった主人公に関する文書資料によって、作品に深みが加えられている。