横浜に住むK.S.さんからは、時々連絡をいただく。用件はいつも、買いたい時計の話か、買った時計の話である。そして毎回、写真が添付されるが、ひとつとして筆者の好みから外れたものはなかった。あえて一昔前の、“地味”な時計を買い続けるKさん。何が彼の嗜好を形づくったのだろうか?
会社役員。海外留学後、家業に従事する。クルマ、靴、服など、多彩な趣味を持つ彼は、同様に時計も好んでいる。彼の時計に対するスタンスは明確だ。壊れにくく、長く使える実用品で、良いムーブメントを載せ、ケース径が大きくないもの。共感を覚える愛好家は少なくないのではないか。
広田雅将(本誌):取材・文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2018年3月号掲載記事]
「時計は時間を知るためのもの。金無垢の時計もいいけど自分にはまだ早いと思っています」
時計の趣味が合う人、というのは少ないながらも存在する。筆者にとってそのひとりが、横浜に住むKさんだ。彼は裕福な家庭に育ち、イギリスに留学し、服と靴、そしてクルマと時計が好きな人物である。彼の収入を考えたら、パテック フィリップやブレゲ、ヴァシュロン・コンスタンタンなどを蒐集しても不思議ではない。しかし彼は、1990年代から2000年代に作られた良質な実用時計を集めている。正確に言うと、使うために購入している。
「父からオメガのスピードマスター プロフェッショナルを借りて使ったことが、時計に興味を持つようになったきっかけですね」。その後、彼はIWCのUTCを手にした。その際、GSTアラームおよびドッペルクロノと迷ったというから、その時点で、すでに初心者ではない。
「2000年にブレゲの『アエロナバル』を買いました。身分不相応と思ったけど、ディスコンになると聞いたためですね。結果としてガセネタでしたけどね」。そして、03年に、彼はジャガー・ルクルトの「レベルソ・ラティチュード」を入手した。展開されていたケースサイズは、ビッグとミディアムの2種類。Kさんは、名機キャリバー822を搭載した前者を選択した。中身にこだわる彼らしい選択だ。
腕時計趣味を1990年代後半に始めたKさん。しかし面白いことに、以降も主に、その時代の時計を集めている。
「20代に見た時計は、当時、ダサいと思っていました。でも、今改めて見るといいんですね。ポルシェ911のリアウィングなしを、好ましいと感じるのと同じ気分です。昔買えなかった時計を今買うというのは、青春時代に手にできなかったものを、取り戻す旅に出るようなものですね」
しかし、素朴な疑問がある。彼の時計趣味は、なぜハイエンドな方向に向かわなかったのか。20代でも金無垢の複雑時計を買うのは難しくなかったはずだし、40代となった今や、いっそう容易なはずだ。
「50代の先輩が、オーデマ ピゲを着けていたんです。かっこいいと思ったけど、今の自分には似合わない、と感じましたね。また別の人が、パテック フィリップのアクアノートを腕に巻いて、フェラーリのマラネロに乗っています。その様子を見て、やはり今の自分とは違うなと思いました。父はベントレーに乗っていますが、自分は乗りたいと思わない。成功した人でないと似合わないですよ」
Kさんがよく時計を購入するのが、横浜にある「COMMON TIME 横浜元町本店」だ。場所を借りて取材をしていたところ、Kさんの友人であり、同社社長の田中孝太郞さんが話に加わった。話を立ち聞きしていた田中さん曰く、「これ見よがしを嫌うのが、ハマっ子気質かもね」。ハマっ子ふたりの話が始まった。
「仮にセレクトショップのストラスブルゴで服を買っても、買ったとは言わないし、キートン(イタリアの被服メーカー)を選ぶ場合でも、あえて信濃屋のダブルネームを選ぶ。横浜の人にはそういう気質があるよね」(田中さん)。Kさんの時計選びを見るに、なるほど、横浜人がこれ見よがしを嫌う、という説明は合点がいく。
「僕は大きな時計を好まないんです。好きなサイズは、アンダー40mm、できれば38mmから36mmですね」。彼はその例として、オメガ「プラネットオーシャン 600M」の小ぶりな38mmサイズを見せてくれた。本誌では大絶賛、しかしあまり売れなかったモデルではないか。「どこにも在庫がないから、わざわざ探してもらったんですよ」。このモデルに限らず、Kさんは新旧のオメガを好んできた。
「オメガはセンスが良いし、品質も良くなりましたね。一番無難な時計じゃないですか。ちなみに、シーマスター 300も、映画『007 スペクター』で露出する前に購入しましたよ」。このモデルは007で有名になったが、これ見よがしを嫌うKさんとしては苦々しい気分であるらしい。“ハマっ子気質”という話題に触発されたのか、彼は話を続ける。
「時計もクルマも、女の子受けを狙ったことはないんです。事実、誰も僕が持っている時計に反応しないけど、それがいいと思っています。実は以前、父親にアエロナバルを贈ったんですよ。しかし、彼は着けてくれない」。Kさんの父親は、ひょっとしてキラキラ光るアエロナバルの外装を、お好みでないのかもしれない。
しかし、Kさんの“地味好み”には留学経験も大きかったように思える。
「昔、イギリスに3年間留学していました。そこでイギリス人は、古いものを大切にするということを学びました。ドーバー海峡の近くにドーバー城があるんですが、中にはレーダーが入っていて、バトル・オブ・ブリテンで使ったそうです。普通、城の中にレーダーは収めませんが、イギリス人はやってしまう。古いものが当たり前だからでしょう」。Kさんが客商売をやっていることも、彼の“地味”な嗜好に影響を与えたのではないか。時計とは、自分の趣味を示す以上に、社会的なツールでもあるのだ。
「従業員に個性的な服装をする子がいたんです。服も時計も、好きなものを買えばいいと思う。でも、変わった服を着ている人と、白いシャツに銀色の時計を着けている人、どちらからサービスを提供されたいですか。答えは後者でしょう。初対面で威圧感を与えないことは重要ですから、僕が時計を選ぶ場合も、ドスの利いた時計はありえない」
高級時計を買える立場にもかかわらず、一貫して“地味”な時計の蒐集を続けるKさん。彼は最後にこう語った。
「金無垢の時計は、かっこ悪いわけじゃないけど、時計はそもそも時間を知るものでしょう。だから今はステンレスケースの実用時計で十分なんです。でも、50代になったら、最後の時計として、金無垢のブレゲを買うかもしれません」。あくまで自分のスタンスを崩さないKさん。彼は納得した日に、きっと金無垢の時計を手にするに違いない。その時改めて、彼にインタビューをすることにしよう。