“驚異の腕時計トゥールビヨン”も登場。オーデマ ピゲの栄光の歴史を回顧する【スイス時間旅行−追想の90年代】

FEATUREその他
2024.10.28

30年以上にわたって時計業界を取材してきたジャーナリスト菅原茂氏による、webChronosでの連載「スイス時間旅行−追想の90年代」。第4回は、オーデマ ピゲの「栄光の歴史」を回顧する。創業120周年を目前としたオーデマ ピゲの、ミュージアムや工房で菅原氏が見たミュージアムピース、そして当時の先端技術とは?

Photograph by Shigeru Sugawara
ル・ブラッシュの本社にて、社長のステファン・ウルクハート氏(右)とミュージアム館長のマーティン・K・ウェルリ氏(左)。
菅原茂:文
Text by Shigeru Sugawara
[2024年10月28日公開記事]


栄光の歴史を回顧

 ふたりの時計師ジュール=ルイ・オーデマとエドワール=オーギュスト・ピゲが出身地のジュウ渓谷、ル・ブラッシュに工房を設立した1875年から、来年は150周年。そのオーデマ ピゲが1994年4月にスイスで開催された時計展示会「バーゼル94」で打ち出していたテーマは「伝統の回顧」だった。翌年がちょうど創立120周年にあたり、名声を誇る老舗の歩みをあらためて知らしめる狙いがあったのだろう。ル・ブラッシュの旧社屋にミュージアムの開設を進めていたオーデマ ピゲは、貴重な収蔵品から約100点にも及ぶ歴史的な懐中時計や腕時計をバーゼル94の会場に運び、それらを解説付きで年代順にウィンドーに展示していた。それはまるで回顧展である。ふつうなら最新作を展示の主役に据えるのだが、あえて新作は展示せずに、ブース自体をミュージアムに設えたのが実に印象的だった。


コンプリ競争の幕開け

 その頃のオーデマ ピゲが一番力を入れていたのは、自社の歴史的モデルから想を得たクラシカルなデザインと高度なコンプリケーションだ。ショーケースでの一般公開はなく、ブース内の接客室で披露してくれたのは、1940年代のスクエア型ケースに超薄型の永久カレンダー機構を組み込んだモデルや、4年の開発を経て完成したという、シンプルなラウンド型ケースにグランドソヌリを搭載したモデルなどで、いずれも複雑時計の巨匠としての圧倒的な実力を誇らしくアピールするものだった。

 ちなみにバーゼル94におけるハイコンプリケーションでは、ブレゲとヴァシュロン・コンスタンタンのトゥールビヨンやミニッツリピーター、ジャガー・ルクルトのミニッツリピーター、パテック フィリップの永久カレンダー・クロノグラフ、IWCの永久カレンダー、ジラール・ペルゴのトゥールビヨン、はたまたオメガのセンタートゥールビヨンなどの新作が目白押しで、いわゆるコンプリ競争はすでに始まっていた。こうして永久カレンダー、トゥールビヨン、ミニッツリピーターといった高難度の古典的な複雑機構を製作できる技術を有するブランドこそが一流という共通認識が90年代に形成されつつあった。


ジュウ渓谷再び

 1994年4月、ジャガー・ルクルトの本社取材の翌日に同じジュウ渓谷に本社を構えるオーデマ ピゲを訪れた。出迎えてくれたのは、当時ジョルジュ=アンリ・メイラン氏と共同でブランドの経営を担っていたステファン・ウルクハート氏(その後オメガ社長)。そして案内役は、オーデマ ピゲの歴史とミュージアムピースの全容をまとめた書籍「AUDEMARS PIGUET」(1993)をドイツの著名な時計ジャーナリストのギズベルト・ブルーナー氏とともに出版したマーティン・K・ウェルリ氏だ。ミュージアム館長のウェルリ氏は、この本に掲載された収蔵品の多くを自身で撮影したというから、まさにオーデマ ピゲの生き字引のような存在である。

 まずウェルリ氏に案内されて工房をひとめぐり。当時250人の従業員のうち80人がマスターウォッチメーカーで、とくに伝統的な複雑時計を手掛ける工房では、熟練職人が数年で1個のペースで作るとの説明を受けた。「朝早く来て、夕方好きな時間に帰る」と語る職人は、マイペースでじっくり複雑時計に取り組むことが重要だという。窓外に豊かな緑が広がる静かな工房では、ゆったりとした特別な時間が流れているようだ。


「ロイヤル オーク オフショア」のインパクト

Photograph by Masanori Yoshie
ファーストモデル Ref.25721ST。出荷目前の「ロイヤルオーク オフショア」を工房で実際に見せてもらった。迫力満点のデカ厚スポーツウォッチは、時計というよりスティール製の頑強な計器のような印象を受けたのだった。

 本社の工房では主にクラシカルなデザインの時計を作っていた。90年代にブランドの軸を成していたラウンド型の「ジュール・オーデマ」やレクタンギュター型の「エドワール・ピゲ」だ。しかしこれらとはまったく傾向の違うデザインで圧倒されたのは、前年(1993年)にセンセーショナルなデビューを果たした「ロイヤル オーク オフショア」だった。94年3月に完成し、出荷を待つばかりの「ロイヤル オーク オフショア」はデカ厚そのもの。従来のスケール感を超えるので、とにかく「すごい!」という言葉しか見当たらなかった。オリジナルの「ロイヤル オーク」も発表からすでに20年を経過していたが、近年過熱する一種のブームのようなものは当時の日本にまだなかったと記憶する。実際オーデマ ピゲもゴルフとのコラボにPRの力を入れていたせいか、言い方は悪いが、若い世代の時計好きとは無縁の存在で、ゴルフ好きオジサン向けのリッチなスポーツウォッチという印象が強かった。しかし目の前にある「ロイヤル オーク オフショア」には何か似て非なるものを感じた。タフでパワフルな外装にクロノグラフを搭載したこのモデル、どういう人が着けるのかイメージがわかなかった。アウトドア愛好者を通り越して、エクストリームスポーツのプロなのだろうか?


驚異の腕時計トゥールビヨン

1986年に発表されたオーデマ ピゲの伝説的な腕時計

1986年に発表されたオーデマ ピゲの伝説的な腕時計トゥールビヨン。ムーブメントが自動巻きで、しかも世界最小かつ最薄(縦32.7×横28.6mm、厚さ4.8mm)という驚異のモデル。ゴールドや写真のプラチナモデルが作られた。11時位置の窓からトゥールビヨン機構、6時位置の窓に自動巻きの振り子を見せる(アーカイブ画像より)。

 さて旧社屋に設けられたオーデマピゲ・ミュージアムだが、取材の際の説明では1995年の創業120周年に向けて開設を進めているとの説明を受けたのに対し、2011年刊行の新しい「AUDEMARS PIGUET」では1992年に開館したとの記述がある。開設年が違う理由はよく分からないが、ともかくミュージアムピースの中でとりわけ見てみたかったのは、1986年に発表された世界最小、超薄型自動巻きムーブメントの腕時計トゥールビヨンだった。プロトではなく市販品として製品化された腕時計トゥールビヨンとしては世界初とされるこのモデル、一般的に知られる構造とは違い、トゥールビヨンの複雑機構をいかにして極薄化したのか知りたかったのだ。その場でじっくり聞く時間がなかったのが残念だったが、のちにブランド本に載っているウェルリ氏の写真によって概要を知った。振り子状の分銅による自動巻きシステムや、目を疑う超小型アンクル、おそらく水平方向からの動力でキャリッジを回転させる仕組みなど、このユニークを極めるモデルは、コンピューターを利用した設計をもとに作られた、80年代としては他に類のない傑作なのだった。

1986年発表の腕時計トゥールビヨン、ゴールドモデルのムーブメント

1986年発表の腕時計トゥールビヨン、ゴールドモデルのムーブメント。極薄型の追求から地板そのものをケース裏蓋として用い、左上にトゥールビヨン、下方に左右に揺れてゼンマイを巻くプラチナ合金製の分銅を配置。トゥールビヨン機構も、チタン製キャリッジを回転させる動力は固定4番車経由でなく、水平方向の外側から得る仕組みになっているようだ(1993年刊AUDEMARS PIGUET掲載画像より)。

 ル・ブラッシュの本社および旧社屋に加え、ル・サンティエにあるもうひとつの工房にも案内された。先端技術の開発がメインとの説明を受けたこの場所こそ、オーデマ ピゲの技術革新を担うルノー・エ・パピの工房だったことを後に知った。あくまでも「APにはこんな工房もあります」的な紹介だったので、さっと見るだけの訪問に終わったのはこれまた残念だった。取材を終えた夕方、私とカメラマンはル・ブラッシュからマルシェリュス峠を越え、レマン湖方面に向かってのんびりクルマで下っていた。すると後方から猛スピードでクルマが追ってきた。ウェルリ氏だった。うかつにも帰り際に応接室のテーブルに置き忘れてしまった資料や写真一式を届けてくれたのだ。彼には感謝してもしきれない。その後もジュウ渓谷に至るマルシェリュス峠を行き来するたびに、うっかりミスを思い出すのだった。

ジョン・シェファー・ミニッツリピーター

ミュージアム所蔵品から、「ジョン・シェファー・ミニッツリピーター」。腕時計が幕を開ける20世紀初頭の1907年に早くもミニッツリピーター機構を搭載したモデルを発表。ダイアルにアルファベットで記されたJOHN SHAEFFERは注文主のアメリカ人富豪である(アーカイブ画像より)。

1930年代の代表的なジャンピングアワー

ミュージアム所蔵品から、1930年代の代表的なジャンピングアワー。これらも巧な技術と洗練されたデザインによって時計史に伝説を築く(アーカイブ画像より)。



菅原茂氏のプロフィール

菅原茂

1954年生まれ。時計ジャーナリスト。1980年代にファッション誌やジュエリー専門誌でフランスやイタリアを取材。1990年代より時計に専念し、スイスで毎年開催されていた時計の見本市を25年以上にわたって取材。『クロノス日本版』などの時計専門誌や一般誌に多数の記事を執筆・発表。休日はランニングと登山に精を出す。


パテック フィリップを通して見た、スイス時計産業の“価値の本質”【スイス時間旅行−追想の90年代】

FEATURES

1994年のIWCを取材。バーゼル・フェアからクルト・クラウス氏「とっておきの場所」へ【スイス時間旅行−追想の90年代】

FEATURES

「レベルソ」再興直後のジャガー・ルクルトを、バーゼル94と本社工場取材から知る【スイス時間旅行−追想の90年代】

FEATURES