嗅覚が主役のフレグランスだがただ鼻だけを使って楽しむものではない。フレグランスは「嗅いで・触って・視て・聴いて」初めて、深く理解し、真に愛することのできる、“知の総合芸術”なのだ。さらに、ここに味覚も動員したくなるような、「五官」のすべてを使って体感すべき「イッセイ ミヤケ パルファム ル セルドゥ イッセイ オードトワレ」を、長年女性誌に携わってきた敏腕編集者であり、エッセイストでもある麻生綾氏が紹介する。
村山千太:写真 Photograph by Senta Murayama
[クロノス日本版 2024年11月号掲載記事]
フレグランスとは五官総動員の“知の総合芸術”
故・三宅一生氏が手掛けた最後のフレグランス。ソルティノート×スパイシー&ウッディノートの爽快な香調は、大地と海との邂逅そのもの。辛口ながらどこかやさしさも併せ持つ、とてもいまっぽい香りでもある。サイマティクスという音響の振動を視覚化する技術を使い、塩の力強い魅力を余すところなく伝えるヴィジュアル イメージも必見。「イッセイ ミヤケ パルファム ル セルドゥ イッセイ オードトワレ」100ml、1万4850円(税込み)。
その昔、まだ20歳そこそこの頃。親との旅行で訪れた南仏・グラースの香水工場で「有名な〇〇と同じ香り」を購入したことがある。C社のCだったり、D社のPだったり、当時の人気フレグランスが簡素なブリキのボトルに入った状態で結構な数、売られていた。工場直販(?)だから、お値段は当然格安。そんなわけで興奮していくつか買い求めた覚えがあるのだが、その一方で帰国後にそれらを愛用した記憶はない。同じ香りのはずなのに、つけてもなぜかいまひとつ気分が盛り上がらなかったのである。
そんな体験から学んだのは、フレグランスとはただ嗅覚を満足させればOK的な単純な代物ではないということだった。好きな匂いであるのは大前提として、プラス香りを体現する意匠のボトルがあり、また背景にコンセプトや物語が丁寧に紡がれているからこそ使い手の心にまで届き、真に愛せる存在に育っていく。そう、フレグランスとは味覚以外の五官をフル活用することで、より理解も愛着も深まる知の総合芸術なのだと思う。
さて、今回ご紹介するル セルドゥ イッセイ「塩の香り」も、まさしく嗅いで・触って・視て・聴いていただきたい香りである。イッセイのフレグランスといえば、1992年に衝撃的なデビューを飾ったロードゥ イッセイ「水の香り」があまりに有名であり、またその逆張りのようなル フードゥ イッセイ「火の香り」も、通の間で密かに語り継がれている伝説級の存在。
ル セルドゥ イッセイはそれら自然界のエレメンツをテーマにした香りの第3弾ということになるが、「塩」を表現するにあたり、綿密に練られ、構成された物語の美しさと完成度ときたら! 本来香りを持たないはずの「塩」なのに、天然の海藻とオークモスによる爽やかな潮風と、ジンジャーやベチバーなどで表したミネラリーな大地の息吹を対話のように行き来させることで、そこに確かに「塩」を出現させた調香。加えて、吉岡徳仁氏がデザインしたミニマルかつ光の柱を思わせるようなボトル、公式サイトなどで見ることができるダイナミックなイメージ映像。ぜひにぜひとも、多面的に立体的に体感したいフレグランスである。
最後に。先に味覚以外の五官と書いたが撤回する。なぜなら、こちらを肌にひと吹きすると、あらためて塩の味を確かめてみたくなるから。やはり五官総動員のアートだ。
著者プロフィール
麻生綾
美容編集者/エッセイスト&コピーライター。東京育ち。女性誌の美容ページ担当歴30余年、『25ans』『婦人画報』(ともにハースト婦人画報社)、『VOGUE JAPAN』(コンデナスト・ジャパン)各誌で副編集長、『etRouge』(日経BP)で編集長も務めた。趣味も美容、そして美味しいもの探し、鬱アニメ鑑賞、馬の骨活動。