時計ハカセこと『クロノス日本版』編集長の広田雅将が、傑作ムーブメントについて記したコラムを6回分、webChronosに掲載する。第6回は、セイコーの薄型ムーブメントの傑作、「Cal.68系」だ。
1960年代の設計を今なお守る薄型の傑作「Cal.68系」
1969年に発表されたCal.68系は、1990年代に再びリバイバルを遂げた。それに際して、ラウンド型のムーブメントもリリースされた。写真は最新版のCal.6890。複数に分割された受けや、幅の広いストライプ装飾などが、高級機然とした印象を与える。直径24mm、厚さ1.9mm。22石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約37時間。
古来、時計業界におけるステータスとは、薄型2針の手巻き時計を作れることにあった。もちろん、ミニッツリピーターやトゥールビヨンを手掛けるのも大変だ。しかし、薄い2針の手巻き時計を量産するには高度な生産体制と優れた職人、そして、そのような高価なドレスウォッチを購入してくれる顧客も必要となる。つまり、時計メーカーとしての実力がなければ、このジャンルには参入できないのだ。
数少ない例外に、日本のセイコーウオッチ(旧服部時計店)がある。同社の子会社であった第二精工舎(現セイコーウオッチ)は、1969年に薄型2針手巻きのCal.68系を完成させ、高級ラインに採用するようになった。世界に目を広げても、現在、薄型手巻きの2針ムーブメントを製造するメーカーは、セイコーの他には、ピアジェとブルガリがある程度だ。しかも古典的な設計を残したムーブメントは、Cal.68系以外にない。薄さという縛りをなくしても、これほど長きにわたって作られているムーブメントは、オメガのCal.861系、懐中時計用のCal.6497(6498)があるぐらいだろう。
Cal.68系のユニークさは、古典的な設計をそっくり残した点にある。例えば、時分針を駆動する2番車の位置。新しい設計では、ムーブメントを薄くするため、2番車は中心からずらすのが定石だ。しかし、68系は2番車をムーブメントの中心に持つ古典的なレイアウトだ。また、アンクルの位置を決めるのも、昔ながらのドテピンだ。量産メーカーの生産する機械式ムーブメントで、ドテピンを持つムーブメントは、数えるほどしかないのではないか。
一時期生産中止となったが、セイコーはこのムーブメントを93年より再生産。スケルトンに向くラウンド型や、輪列に歯車を追加したスモールセコンド版などを追加した。加えて、受けの割り方を、今までの大きなものから、スイスメーカーを思わせる、細かいものに改めた。結果として68系は見応えのある造形を持つようになったが、組み立てはより難しくなった。
現在、68系を組み立てられる職人は、一握りしかいない。わずかに力を加えるだけで、部品が反って止まりの原因となり、裏蓋を締めただけでも、精度が変わってしまう。そんなムーブメントを組み立てられるのは、ごく一部の時計師に限られるからだ。普通は設計を変えて対応するが、あえて手を加えなかったのは、職人の技術を未来に継承するためである。
68系というムーブメントは、お世辞にも注目を集めるような機械ではない。しかし、その在り方は、設計も組み立ても含めて極めて王道なのだ。黄金期の機械式時計の在りようを今に残す68系とは、そう言って差し支えなければ、未来に残すひとつの時計遺産だろう。