「王の宝石商」「宝石商の王」と呼ばれたカルティエは、ハイジュエラーならではのアプローチで腕時計のデザインに革新を起こした。市場にある時計の多くが丸型である理由のひとつは、製法上の制約があったため。しかし、ハイジュエラーであるカルティエは、そういった縛りを軽々と乗り越えたのである。
Text by Masayuki Hirota(Chronos-Japan)
[2024年11月15日公開記事]
賀来賢人×広田雅将×関口優 スペシャル対談動画
時計メーカーではないという出自が生み出したカルティエのタンク。同社はこのアイコンを磨き上げ、結果としてカルティエは、スイスでも稀なマニュファクチュールへと変貌を遂げた。現在、そんなカルティエの歩みを語ったスペシャル動画が公開中だ。この記事と合わせて見れば、カルティエのユニークさがいっそう分かるに違いない。>
【対談動画URL】
https://youtu.be/c2iVXVDrLI0
動画内容
スペシャル動画は前後編の2部構成だ。
前編ではHodinkee Japan編集長の関口優が、俳優の賀来賢人にカルティエとの関わりを聞く。初めてのカルティエ製品がヴィンテージメガネだったという賀来は、そのジュエリーのような凝った造形に惚れ、カルティエというブランドにハマっていく。
そんな賀来にとっての初カルティエウォッチは珍しい「タンク レベルソ」だ。動画ではどのようにしてこの稀少な時計を購入したのか、そして現在のカルティエコレクションなども公開する。
後編はそのふたりに加え、クロノス日本版編集長の広田雅将が参戦。タンクを例に、カルティエだけが成し得たハイジュエラーならではのウォッチメイキングを解説する。またタンクの歴史や各派生モデルの特徴、さらには現行モデルの一部を紹介していく。
ハイジュエラーの造形技術が生んだ「タンク」
第1次世界大戦で活躍した戦車(タンク)。その造形に触発されて出来たのが、カルティエのタンクである。デザインの完成は1917年、発売されたのは1919年の11月15日。そのレクタンギュラーなデザインと、ケースサイズに対して極めて太いストラップは、確かにタンクを思わせる。そのデザインを可能にしたのは、ジュエラーならではの発想だ。当時、時計のケースは丸い棒材を削って作っていた。そのため、ケースは丸型が標準的だった。対してカルティエは、四角い部品を溶接することで、ユニークな造形を実現した。棒材ではなく板でケースを作るという手法は、ジュエラーならではのものだ。
1917年に発表されたタンクのオリジナル。レクタンギュラー、かつケースの側面を太くしたデザインは、別部品を溶接するというカルティエのジュエラーならではの発想がもたらしたものだ。
もっとも、ケースの製造が難しかったため、タンクの生産本数はごく少数に限られた。大々的に復活するのは、1973年以降のこと。カルティエは腕時計というジャンルに再参入を決め、そのアイコンとしてタンクを掲げたのである。可能にしたのは、プレス技術の進化。しかし復活当初のタンクは非防水のうえ、かつてのタンクが持っていた幅広いバリエーションを持てなかった。プレスという技術が足枷となったのである。
タンクがいっそうの進化を遂げたのは、2000年以降である。一貫生産のマニュファクチュールとなったカルティエは、ムーブメントだけでなく、ケースやブレスレットも自社で作るようになった。ケースの製造に用いられたのは、最新の切削機械。これにより、カルティエは往年のデザインを再現できたのはもちろん、さまざまなバリエーションを増やし、しかも防水性能を持たせることに成功した。技術の進化は、ジュエラーならではのクリエーションを今によみがえらせたわけだ。
タンクを彩った多様なケース造形
カルティエの研究者であるハンス・ナーデルホッファーは「かつてのカルティエのユニークさは、顧客によって支えられていた」と記す。曰く「カルティエの時計部門は、長い間風変わりな顧客たちによって大いに愛好されていた」。彼ら・彼女らは今までにないデザインをカルティエに求め、それはタンクのデザインをより豊かにしたのである。
非対称を強調した試みが1936年の「タンク ロザンジュ」だ。ストラップを3本のラグで固定する「ロザンジュ ア ブリッド」ケースを採用する。非対称と3本のラグで固定するというアイデアは、他社より半世紀は早かった。
幸いにも、既存のケース製法に縛られることのないカルティエは、容易に時計のケース形状を変えることができた。1917年以降、同社はタンクの仕様違いを数多く作ったが、共通するのは長方形のケースと、太らせた側面のみ。「風変わりな顧客」と、ジュエラーという出自はタンクに唯一無二の個性を与えたのである。
好例のひとつは「タンク ロザンジュ」だ。これはただでさえ生産性の悪い長方形のケースを、平行四辺形に改めたもの。当時流行だったドライビングウォッチのデザイン要素を、巧みに取り入れたモデルだ。おそらくこれは、アシンメトリックなケース形状とストラップを3本のラグで支えるスタイルの先駆者であり、そのデザインは、時代をはるかに先駆けるものだった。
針ではなく、小窓(ギシェ)から見えるジャンピングアワーと回転式の分ディスクによって時間を表示する試み。カルティエの創立150年にあたる1997年には、150本限定で復刻された。極端にシンメトリーを追求したデザインは今見てもユニークだ。
ジャンピングアワーと回転式の分表示を載せた「タンク ア ギシェ」も野心的な試みだ。あえてケースの前面をカバーしただけでなく、リュウズを12時に置くことで、シンメトリーな造形を強調してみせた。この時計が作られた1930年代、多くのメーカーがこういったジャンピングアワーを製作した。しかし、シンメトリーを強調するため、リュウズを12時位置に置き、しかもロゴまで省いた例は他にない。
1920年代以降、カルティエは異文化のデザインを積極的に取り入れた。インド風、エジプト風、平坦な幾何学模様のバレエ・リュスに、中国風(シノワーズ)。それはタンクも例外ではなかった。
「タンク シノワーズ」も、やはりカルティエにしか作り得なかった時計だ。デザインの原型となったのはタンク。しかし、ケースの上下にはちまきのような太いバーを溶接し、見た目に強いアクセントを与えている。機能部品ではなく、純粋なデザイン要素を別部品として追加するというアイデアは、普通の時計メーカーには思いつかないものだ。こういった手法は1940年代以降、時計メーカーにも見られるようになるが、ジュエラーであるカルティエは、時計メーカーにはるかに先んじていたのである。
進化を続けるカルティエの外装技術
ジュエラーであるカルティエは、既存の時計のケース製法に影響を受けることなく、創作を行うことができた。しかし、その結果として、生産本数が限られたことは否めない。対してカルティエは、ユニークな造形を損なうことなく、量産できるような体制を整えた。具体的には、ケースとブレスレットの自社生産だ。今や自社一貫生産のマニュファクチュールをうたうメーカーは少なくないが、カルティエのように、外装まで作れる会社は数えるほどしかない。
現在、カルティエが擁する時計工場は5つ。その中心となるのはラ ショー ド フォンにあるマニュファクチュールである。時計の組み立てだけでなく、ケースとブレスレットの製造、そして大部分の針の製造なども行っているというから、かなりの規模だ。加えて、より高い質を求めて、ケースの磨きなどは一部自動化されている。同社が、簡単に交換できるインターチェンジャブルストラップや、コマの調整が容易な「スマートリンク」システムを採用できた理由が、このマニュファクチュールにある。
デザインを受け継ぐアイコンウォッチ
2000年以降、マニュファクチュールとなったカルティエは、生産性と実用性を考慮しつつも、それまで以上のクリエーションを実現できるようになった。つまり、ジュエラーであったころの創作を再現するだけでなく、それ以上を目指せるようになったのである。
タンクの系譜を今に受け継ぐ正統派。ムーブメントには自社製の手巻きであるCal.1917 MCを採用する。自社製のケースは極めて優れた仕上がりを見せる。手巻き。18KRGケース(縦33.7×横25.5.mm、厚さ6.6mm)。30m防水。205万9200円(税込み)。
そのひとつが、定番の「タンク ルイ カルティエ」だ。造形自体は往年のタンクに同じだが、自社生産のケースは、日常生活防水を実現しただけでなく、ケース表面の歪みも小さい。かつて、タンクのように変わったデザインの時計に実用性を持たせるのは難しいとされた。しかし、時計作りの精度を高めてきたカルティエは、その課題をクリアしたのである。
「タンク フランセーズ」もカルティエのアイコンのひとつだ。ケースとブレスレットの融合がより強調されている。自動巻き。SSケース(縦36.7×横30.5mm、厚さ10.1mm)。30m防水。90万2000円(税込み)。
2023年にモデルチェンジした「タンク フランセーズ」も、カルティエの技術力を反映したモデルだ。四角を強調したデザインは1996年の初作に同じ。しかし、ブレスレットとケースをつなぐ弓管という部品は、ケースと隙間なく固定されている。また、弓管の表面をフラットに成型することで、ケースとの一体感がいっそう強調されている。技術の進化をデザインの進化に振り向けたのは、いかにもカルティエらしい。
シンプルなラインを打ち出したタンク。大きなローマ数字は今風だが、基本的なデザインは1917年から大きく変わっていない。クォーツ。SSケース(縦33.7×横25.5.mm、厚さ6.6mm)。30m防水。54万4500円(税込み)。
ベーシックな「タンク マスト」も、今のカルティエにしか作り得ないモデルだ。ケースはゴールドではなく、実用性の高いステンレススティール製。しかし、ケースの出来栄えはゴールドモデルに同じ。ケースの厚みはわずか6.6mmしかないが、今のカルティエらしく30m防水を実現した。技術の進化は、富裕層のアイテムだったタンクを、普段使える時計へと変貌させたのである。
技術の進化がよみがえらせたアイコン。カルティエは、製造が難しい湾曲したレクタンギュラーケースを量産することに成功した。自動巻き。18KYGケース(縦44.4×横24.4mm、厚8.6mm)。30m防水。265万3200円(税込み)。
デザインの継承で言えば「タンク アメリカン」は極めて象徴的だ。タンクのデザインを縦に伸ばし、ケースに大きな湾曲を加えたアメリカンと、その原型にあたるサントレは、タンクの中でも際立ってユニークなもののひとつだ。製法の制約があってなかなか日の目を見なかったモデルだが、今のカルティエはこの知られざる傑作を再現することに成功した。しかも。その質は往年のケースに勝る。