幼い頃から、機械ものが大好きだったD.Y.さん。しかし、時計の趣味の世界に没頭できるようになるには、学問を成就し、さらに自身の生活の基盤を整えるまで長い間、待たねばならなかった。そんな苦労人だからこそ、コツコツと粘り強く本当に好きな時計だけを選び抜いてきた。そんな自負も感じられるYさんの実直なコレクションと逆境を逆手に取った見事な人生の捌き方をご覧あれ。
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1962年、香港生まれ。アメリカの名門、コロンビア大学出身。大学ではコンピューターサイエンスを専攻。卒業後は、IT業界へ就職。現在は、金融界で活躍中。17歳で英国へ留学し、以降、ニューヨーク、ロンドン、東京、香港、シンガポールを転々とするも、それぞれの地で最適なビジネスと最適な時計趣味を展開し、いずれの体制もいっそう盤石に。
鈴木幸也(本誌):取材・文 Text by Yukiya Suzuki (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2018年3月号掲載記事]
「専門性を信じること。コレクションもビジネスもそうして築いてきました」
(左)Yさんが信頼する目利きのウォッチディーラーから入手した、A.ランゲ&ゾーネの懐中時計を腕時計に改造したタイムピース。
人は、何を求めて機械式時計を買うのだろうか? 幼い頃から機械を分解するのが好きだったというD.Y.さん。複雑なものを細かく細分化し、分析するのが好きだった。特に記憶に残るのは、英国のビッグベンをかたどったアラームクロックをバラしたまではよかったが、結局、歯が立たず、元に戻せなくなってしまったのは苦い思い出だという。だが、三つ子の魂百までという通り、現在のYさんのコレクションを俯瞰してみると、複雑な機構で、かつ“遊び心”を刺激する独創的なモデルが際立つ。ユリス・ナルダンのフリークしかり、F.P. ジュルヌのヴァガボンダージュしかり、そして、MB&Fしかりだ。
時計のコレクターには、大きく分けて2種類いるようだ。身に着けることなく、コレクションボックスに大切に仕舞い込むタイプと、実際に使用し、その機構を使い尽くし、遊び倒すタイプだ。Yさんは、子供の頃のエピソードといい、現在の時計コレクションの内容といい、明らかに後者のタイプである。ただし、時計の好みは、古典的な佇まいが比較的、勝るようだ。
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その語り口からも分かるように、実直な性格のYさんは、そのコレクションをひとつひとつじっくりと吟味しながら、選び抜いて構築してきたことが窺える。時計を説明する際も、ひとつひとつ手に取って、その魅力を語りかけてくれるのだ。その際の表情は、まるで自分のことを知ってもらいというように、己のことを語るのと同じ熱量でその時計の詳細を語ってくれる。
Yさんは言う。
「1980年代までは勉学に勤しんでいたため、まったく時間がなく、趣味に打ち込む時間がありませんでした」
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今でこそ、時計を筆頭に、カメラやクラシックカーなど、いわゆる“男の趣味”と呼ばれる範疇に属する趣味を複数持ち、自宅とオフィスにそれぞれガレージやコレクションルームまで設えて楽しんでいるほど、趣味を謳歌しているというが、今の地位を獲得するまでには、趣味を諦めねばならぬほど、勉学に打ち込んでいたのだろう。
その“修業時代”の努力が実って、晴れてアメリカの名門、コロンビア大学へ入学し、そこでコンピューターサイエンスを専攻。現在につながるIT技術を身に着け、卒業後は、時代の追い風に乗ってIT業界で長い間働くこととなった。
仕事とともに、世界各地を渡り歩いたことも、時計蒐集を始めた初期の頃は有益だったと語る。
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「1990年代初頭は、まだウインドウズが普及する前であり、当然、まだインターネットも普及していませんでした。だから、留学と仕事で赴任した英国、アメリカ、日本、そしてシンガポールと、それぞれの地で時計を探し、オークションも駆使して、少しずつ時計を集めてきたのです」
その粘りこそが、個性あふれる複雑時計を中心にしたこれだけのコレクションに結び付いたと言っても過言ではないだろう。
「93年から96年にかけては日本に滞在していました。当時、日本でもすでに機械式時計の人気が高まりつつありましたが、アンティークウォッチは質においても量においても今を圧倒的に凌駕するほど、状態も数量も、そして価格も良い条件で目当ての時計を探すことができた良い時代でした」
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日本を離れた後、96年から98年にかけては一度、香港に戻っていたという。この時、97年7月のタイ通貨バーツの暴落を皮切りにアジア通貨危機が起こり、98年8月のロシア通貨ルーブルの切り下げによって、アメリカの大手ヘッジファンドをも巻き込んで、その余波は先進国経済にも広がった。当時、香港でこの通貨危機に遭遇したYさんだったが、確かに、経済的には危機的状況ではあったものの、皮肉なことに、時計趣味に関して言うと、この経済状況がプラスに作用したのだ。未曾有の経済状況の中で高級時計を手放す資産家も多く、結果的に稀少なモデルが通常よりも低価格で買える好機に恵まれたのだ。Yさんもこの機会を逃すことなく、パテック フィリップの永久カレンダースプリット秒針クロノグラフ5004やA.ランゲ&ゾーネの懐中時計を腕時計に仕立て直したタイムピースを、オークションやディーラーを介して、今からは考えられないほどロープライスで入手したという。まさに人間万事、塞翁が馬である。
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(左)パルミジャーニ・フルリエ「トリッククロノメーター」のスモールセコンドモデル。PF331搭載。18KWGケース。
この時の経験は、Yさんに大きな教訓と気付きを与えてくれた。つまり、逆境を逆手に取ること。そして、どの道にもその道の目利き、すなわちエキスパートがいるから、その専門性を信じて活用すること。こうした経験と知恵を得たことで、Yさんは、自身のビジネスはもちろん、今に続く時計コレクションをも盤石のものにすることができた。
98年から2000年にはシンガポールへ赴任し、経済危機が収束するとともに、本業のビジネスも再び活発になり、ニューヨーク、ロンドン、東京、シンガポールを行き来しながら、最適地で最適な時計を手に入れることに成功した。時計趣味にも、人間到る処青山あり、ということか。まさに学ぶべきは逆境にあり、である。