「マリアナ海溝」最深部の1万916mまで潜水して探検したジャック・ピカールをたたえたスピニカー「ピカール」をインプレッションする。深海を探検する際の潜水艇から着想を得た、厚く、丸く飛び出した風防が本作のアイコンだ。高い防水性能を実現するためのケース径45mm、風防を含め時計の仕上がり厚さ21.5mmは視覚的なインパクトとなり、筆者はインプレッション中に時計をじっくりと見る機会が増え、それが楽しさにつながった。この大きさがユーザーを楽しい気持ちにするのであれば、大きさこそが本作の魅力であると言えるだろう。
自動巻き(Cal.NH35)。24石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約41時間。SSケース(直径45mm)。550m防水。7万400円(税込み)。
Photographs & Text by Shinichi Sato
[2024年12月24日公開記事]
マリンスポーツを行う人々のための時計
今回インプレッションするのは、スピニカー「ピカール」である。スピニカーはイタリア発のブランドで、ヨットやフリーダイビングなどのマリンスポーツを行う人々のためにデザインされた腕時計をラインナップしてきた。また、ヴィンテージテイストを備えたダイバーズウォッチのつくり手としても注目されており、2019年に日本上陸を果たしている。
いずれのモデルもトラディショナルなダイバーズウォッチのデザインに根差しながら、1970年代テイストを取り入れた「デュマ」、モダンな「ハス」、コンプレッサーケースへのオマージュである「ブランダー」といった、ひとひねりのあるモデルの他、パリの気鋭時計アーティストであるセコンド/セコンドとのコラボモデルとしてカワイイ“ファントム”を配したモデルや、編集部大橋が購入してインプレッションしたネッシーをテーマとしたモデルなど、ポップでユーモラスなモデルも並ぶ点が特徴だ。
マリアナ海溝の最深部を探検したジャック・ピカールをたたえる「ピカール」
今般インプレッションする「ピカール」は、1960年に海底で最も深いと言われている「マリアナ海溝」最深部の1万916mまで潜水して探検したジャック・ピカールをたたえたモデルである。本作は、深海まで潜水する際に必要となる潜水艇から着想を得て、猛烈な水圧に耐える厚いドーム型レンズを風防のデザインに取り入れている。
また、本作は550m防水かつヘリウムエスケープバルブを備える点も特徴だ。深海で長時間活動すると水圧により体内にガスが溶け込み、浮上の際に血液中に気泡となって表れる減圧症を防止するため、高圧ヘリウムの環境下で身体にヘリウムを溶け込ませる飽和潜水が行われる。この際、分子の小さいヘリウムは時計のガスケットを通過し、ケース内の気圧も上昇する。その後、浮上する際には、周囲の水圧の低下によってケース内の圧力が勝るようになり、最終的に風防を吹き飛ばしてしまう恐れがある。この対策として、ケース内からヘリウムを逃がすヘリウムエスケープバルブが必要となるのだ。
大きいことは購入を後押しする“決め手”となりうるのか?
物の購入、特に趣味性の高い物の購入に際し重要となるのは“決め手”である。デザイン、性能、利便性や汎用性、ブランド力などが決め手の候補となる。大きな買い物の代表格のひとつである車を例に取ると、コンパクトなオープンツーシーター特有の運転の楽しさと、積載量の少なさを天秤にかけて、楽しさを“決め手”として購入を決断することは、思考の手順としておかしなところは無い。
さて、今般インプレッションする「ピカール」はどうか? 本作は高い防水性能を獲得するために非常に大きく、日常使いを想定した際に購入に対する心理的ハードルになりうる。一方で筆者は、インプレッションを通じて、その大きさこそが本作の楽しさであると感じた。大きさが購入の“決め手”となるのであろうか。その点に注目してゆこう。
大柄でポップなデザインと引き締まった印象を生み出すディティールの組み合わせ
事前情報なく、筆者が梱包ケースを開けて本作と対面した時のファーストインプレッションは「とにかくデカい!」「手強そう!」であった。それもそのはずで、ケース径45mm、風防を含め時計の仕上がり厚さは21.5mm、ブレスレット調整済みの状態で約235グラムである(厚さと重量は筆者実測)。
目を引くのは、大きく盛り上がったドーム型の風防と大型のリュウズであり、いずれもインパクトがある。ツヤツヤして盛り上がった風防と、分かりやすい操作系(リュウズ)を備える本作は、どこか鳥山明作品に出てくる乗り物のようであり、ポップな印象を受けた。
一方で、ディティールを見てゆくと、本作は引き締まった印象にまとめられていることが分かる。ベゼルやケースはサテン仕上げのマットな質感で、ラグとエンドリンクの一体感も良好である。ケースサイドの広い面も整っている。そして、ベゼルインサートはマットなセラミックス製だ。この他にも、リュウズの仕上げやベゼルの細かな刻み、インデックスや見返し部など、ディティールに心を配っているのを感じる。これらが組み合わさって、大柄だが引き締まっている印象を受ける。
タイトフィットは必須だが着用感は良好
周長約18cmの筆者の手首に対し、ブレスレットを指1本分程度の余裕を持たせたタイトフィットに調整して着用すると、その着用感の良さに驚く。ラグがほぼ真下に向いていることで手首へのフィット感が良く、ヘッドとブレスレットとの重量バランスも良い。物理的に重さがあることは避けられないものの、筆者の個人的な感想を言えばスマホを持っているのと同程度の重さであり、タイトフィットさえできていれば時計の暴れも気にならない。
文字盤を見ようとすると、360度カメラのように周囲の風景の映り込みが激しく、のぞき込む自分もしっかりと反射している。斜めから見ると盛大に周囲が歪んでしまい、視認性がどうとか議論できるレベルではない。そのため、本作で時間を確認するためには、心を落ち着かせて真っ直ぐな位置から見てやる必要がある。
筆者は今回、オリーブカラーのリブのついたフライトジャケットと組み合わせた。そのほか、厚手のスウェットやセーター(イギリスのコマンドセーターなどは特に良さそうだ)などとのマッチングが良い。これだけ大型のモデルであるので、夏場にTシャツやポロシャツと組み合わせると、手元にインパクトが生まれて映えそうである。
着用感〇。視認性×。楽しい◎。
ここまで述べたように、本作の着用感は良好であり、真っ直ぐのぞき込めば視認性は確保される。一方、少しでも斜めから見ると、冗談みたいに飛び出したツヤツヤとした風防が時間を確認することを拒んでくる。そして、着用していてとにかく楽しかった。筆者が何を言っているのか分からないと思うが、楽しかったのだ。
スピニカーが本作を入念にデザインして完成させたであろうことは、手に取った瞬間に感じ取ることができた。スピニカーは本作の大きさにストーリーを与えつつ「こういうモデルがひとつぐらいあっても良いじゃないか」と楽しみながら、シルエットとディティールのバランスに心を配り、実用に支障が無いように着用感を改善して完成させたのではなかろうか。そういうモデルは、触れている側も楽しい。
本作を着用する間、時間を確認する際に本作を真っ直ぐ、じっくりと見るようになった。斜めからの視認性が壊滅的であったとしても、日常生活にどれほどの影響を与えるだろうか。趣味として時計と付き合うのであれば、ゆっくりと時間を確認する瞬間こそ趣味の醍醐味であるはずだ。
現在時刻を確認する以外の時間は、腕時計はファッションのひとつの要素となる。本作の大きな躯体は目に留まりやすく、マットで武骨な外装と、艶があって柔らかく光を反射する風防はどこかアンバランスで、見た目のインパクトにつながっている。そのため、本作を気に入って買ったユーザーは、自然と本作に目をやる機会が増え、満足度が高まってゆく。それに、周りから見ても本作はインパクトとなるため、ファッションのキーアイテムになる。
大きさは本作の魅力であり、購入の際の“決め手”となる
インプレッションの最初に、コンパクトなオープンツーシーターを例に挙げた。コンパクトさ故に積載量が少ないことは避けられないが、実際に購入した人々から筆者は「思ったほど困らず、ドライビングを満喫している」という声を聞く。これは、大きな荷物を運ぶシーンが想定より少なかったとか、困っても代替案があるとか、生活が車の特性に順応してゆくことでネガティブな要素が薄れ、最大の魅力である運転の楽しさを深く味わえているためなのだろう。
本作に話を戻すと、その大きさがネガティブに思われるかもしれないが、着用感に優れるため煩わしさも小さく(無いとは言えない)、しばらくすると自分自身がその大きさに順応しているのを感じた。大きさ故に本作が目に留まる機会が多くなり、コミカルにも思える本作のインパクトは「使っていて楽しい」という気持ちに変化した。また、暖かくなってくれば薄着をして、本作が際立つようなコーディネートをするのも楽しそうだと着用しながら考えていた。本作を身に着けることが“楽しい影響”を及ぼすなら、本作の大きさは購入の“決め手”になりうるのではないだろうか。
最後にプライスタグを見てみよう。本作は7万400円(税込み)である。この価格で、このスペックで、このディテールであれば文句なしだ。さすがにこのサイズは大きすぎるという意見もよく分かるので、一度店頭にて本作を含むスピニカーのモデルを見て欲しいとのコメントを残しておこう。価格比で優れたディテールに驚くはずだ。