愛好家歴30年以上の時計ライター・堀内俊の、「思い入れのある1本」。取り上げるのは、ジャガー・ルクルト「レベルソ・ムーン」だ。“アガリ”時計を探していたのに、いつのまにか一層の深淵なる世界へとのめり込むきっかけとなった“聖杯(Holy Grail)”について、時計ヲタクらしい目線で改めて振り返る。
Photographs & Text by Shun Horiuchi
[2024年12月25日公開記事]
時計ライター・堀内俊の「思い入れのある1本」は「レベルソ・ムーン」
今から約20年前の夏、某百貨店での時計フェアにて。ジャガー・ルクルトのブースにいた担当販売員の方が「実は表には出していませんが、これがあるんですよ」と私に耳打ちした。そこには半年ほど前に発表された「銀座和光限定50本のうちの1本」があった。それが、今から語る「レベルソ・ムーン」である。
ジャガー・ルクルト「レベルソ・ムーン」とのなれそめ
話は少しさかのぼる。件の時計フェアの1~2年ほど前より筆者は、ゼニスの「クラス・エルプリメロ」、ノモス グラスヒュッテの“ルートヴィヒ(あえてこう書かせてもらいたい)”、ジャガー・ルクルトの「レベルソ・メモリー」や「レベルソ グランスポール・クロノグラフ」などを入手し、時計ヲタク道をまい進していた。そんなある日、フラッと寄った某百貨店の時計売り場で、手首に「レベルソ・デイト」を巻いた担当の方に「こういうのがあるんですよ」と言われて出されたのが18KPGの「レベルソ・サンムーン」だった。カチャッとケースが裏返されたそこには、チラネジ付きのテンワが揺らめく、神々しきCal.823の姿があった。いや本当に神々しいと思ったのだ、その時は。
ギュンター・ブリュームライン体制のもと1991年にグランタイユというケースサイズで復活した「レベルソ」は、以降、多くの複雑機構搭載モデルを矢継ぎ早に出す。当時の、そんなラインナップの中にあったのがレベルソ・サンムーンだ。18KPGと18KWGの2種類のケースがあり、18KPGは白文字盤、18KWGは黒文字盤で、レギュラーのレベルソでは当時唯一Cal.823(822)がトランスパレントバックから拝めるモデルであった。このムーブメントに魅せられてから、サンムーンがどうしても頭から離れない。ただ「18KPGで黒文字盤だったら最高にカッコいいのになあ(18KWGと18KPGをいつか両方入手して入れ替えればいいのでは、と夢想していた……“アガリ”はいったい何処へいったのか)」などと思っていたところ……
冒頭に記した夏の時計フェアの時に戻る。「これはまさに18KPG黒文字盤のレベルソ・ムーン、そして裏返すとあの神々しきCal.823が!」
夢想したすべてが手に入る時計(聖杯)があの夏の日、目の前に表れたのだ。完全に予想外である。舞い上がったこの気持ちは、時計ヲタクの皆様なら共感していただけるのではないか。思い返すと当時は次の時計で“アガリ”にするべく金無垢の時計を物色中で、パテック フィリップ「カラトラバ 5120」やショパールの「L.U.C 1860」などをその候補として思い描いていたが、一気にそれらは吹き飛んだ。「キープしておいてほしい」とお願いし、冷静になろうとランチを取るも、あの姿が頭から離れない。食べ終わるとそのまま銀行に直行し、札束をもって百貨店に戻った、というのがこの時計とのなれそめだ。
「レベルソ・ムーン」とは?
さて、全身全霊でこの時計が好きな筆者であるためアバタもエクボなのを断りつつ、この時計の成り立ちやディテールを記す。
A面のディテール
レベルソ・サンムーンからパワーリザーブ表示を除き、サンムーンの代名詞であったデイ/ナイトディスクをセンターに配して24時間針表示としたものがレベルソ・ムーンである。この昼夜が分かる機能というのはとても大事だ。なぜならムーンディスクを、1日分送るためのギアが噛む夜間に調整しようとすると機械にダメージを与えるため、調整可能な時間を目視でユーザに伝える必要があるからだ。特にこの頃のジャガー・ルクルトはユーザフレンドリーであり、例えば「レベルソ・クロノグラフ」は裏面でクロノグラフが動いているのか止まっているのかをA面のみで分かるようにしてあるなど、機能をデザインに昇華したものが多かった。これは1モデル1ムーブメントという、今ではあり得ない姿勢で開発から製品化までほぼすべてを自社で完結できたジャガー・ルクルトの大きな特徴だったといえよう。
実は本モデルの前段で、WEMPE(ヴェンペ)限定レベルソが存在する。創業125周年記念にちなんだ限定125本、うち100本はSSケースで25本が18KPGケース、いずれも文字盤は白、インデックスはゴシックのアラビア数字であった。搭載される機械はサンムーンのCal.823の小改造版である“Cal.823D”、これは当初この限定モデルのために開発されたはずであり、もちろんケースバックから機械を拝めた。写真はぜひ“Reverso Wempe 125 jahre”などで検索して確かめて欲しい。
当時のジャガー・ルクルトはショップの限定モデルなどかなり柔軟に対応しており、Wempe限定モデルはこれ以降も出たし、和光別注モデル、さらに国内では有名な西武限定「ビッグレベルソ」やアワーグラス別注など多くの限定モデルが存在しており、その全貌は筆者も知りえない。
話をレベルソ・ムーンに戻す。ケースはグランタイユサイズの18KPG製。当時のレベルソのケースはいわゆる第3世代でカッチリとした作りであり、このモデルも例に漏れない。クレードルの手首と接する部分は精緻なヘアライン仕上げであり、ここに記される「RVERSO」のロゴや、限定モデルであることを表す「Série Limitée」、そしてリファレンス番号や個体番号などは薄いエッチングによるもので、角度をつけて光の反射を利用しないと、はっきりと視認できないところがむしろ個人的には気に入っている。なおクレードルの時計側の面は、現在のレベルソはサンレイ模様が施されたモデルが多いが、当時の標準はすべてペルラージュ仕上げであった。
時計本体の文字盤は黒色のラッカー仕上げであり、インデックスは白のフローラル数字でチャーミングである。当時のラインナップでは、黒文字盤のレベルソは貴金属ケースが主体であり、インデックスはフローラル数字を基本としていた。24時間針も含め針はすべてPGで、時分針は白のペイントがあしらわれているが、これは蓄光塗料ではない。なお前述した「PGとWGのサンムーンの文字盤と針を入れ替え」ようとしても、PG黒文字盤は実現するが針がWGのため色が合わないことに後年気が付いた。
ムーンディスクは漆黒の黒文字盤の中だと濃紺色が際立っており、プレーンにポリッシュされた月が反射する光は、まさに月光である。ムーンディスクの月がない部分は、よく見れば星の並びが北斗七星となっており、ここもお気に入りのポイントだ。
B面のディテール
それではB面を見てみよう。レベルソのしきたりにならい、ケースをA面から見て9時サイドから3時方向に押し出して反転させ、またA面3時方向にスライドして元に戻すと、そこにはチラネジ付きのテンワとトリオビス緩急針を備えた、Cal.823Dがお目見えする。通常のCal.822とは異なり、一部青ネジに変わるなどしている部分もあって、観賞されることを想定したアクセントとなっている。
機械については、設計は同じもののマシニングによる自動加工比率が高まった現在のCal.822と比べると、どこか緩くて柔らかい印象のブリッジ類の仕上げを持つ。決してバキバキでもなく、またエッジを手仕上げでポリッシュしているわけでもないが、私はこの機械がたまらなく好きなのだ。毎秒6振動であることも美徳である。ああ、堪らない。
ケース以外のディテール
バックルももちろん18KPGで、しばらくはこの片開きのものが標準であった。18Kの金無垢なのでそれなりに質量があるも、時計本体も大きさの割に重めであり、装着時のバランスは若干トップヘヴィだが、そんなことはどうでもいいのである。なぜならこの時計が自分のものになって20年以上経つのだが、いまだに普段使い出来ないのだ。結果的に、自分で言うのも何だが、極めてコンディションは良いし、定期的にオーバーホールも実施していて機械の調子も良い。なお現在のストラップはオーダーでショートのクロコにリプレイスしているが、オリジナルもクロコの竹符であった。
後年、レベルソのデザイナーでありデザインを統括することになるヤネック・デレスケヴィクス氏が来日した際に「ご自身でデザインした一番好きなレベルソは何か」と聞いたら「レベルソ・ムーン(サンムーンのことを指していた可能性も十分にある)」という答えが返ってきたことも、ここに記しておく。
実際にこの時計を入手して、どうなったのか
このようなインパクトのある出会いとときめきは、趣味の初期段階ほどの、強い衝動ではないか。
時計趣味の“アガリ”などを考えていた当時、この時計を入手したことでひと段落したなどということは毛頭なく、むしろ加速したというのが実際のところである。時計全般、特にジャガー・ルクルトを深く好むようになり、さらに深淵なる時計の世界にのめり込み、細々ながらもコレクションも増え、徐々に節操がなくなり今に至る。
永く同じ趣味をやっていると徐々に刺激が少なくなり、どんどん過激な、あるいは未知の領域に向かうのが常ではないか。また期間が長いとそこには波があって、時計の世界に密接なる時期も、やや離れていることもあるものの、時間とともに付き合い方やスタンスは徐々に変化していきながらも未だ時計を趣味としている。そのなれの果てが今の筆者ということになろうが、こうしてwebChronosにこの時計をはじめ、さまざまなインプレッションなどを書いていることを考えると、結局それで良かったのではないかと思う。
常々皆様に読んでいただく記事を書くということに対しては、どこまでできているかは自信がないものの極力フラットかつ独自の視点からブラさずに書こうと考えている。ただしこの時計に関しては、世間的な評価などは挟み込まれる余地はなく、ただただ好きで気に入っているという感情のみだ。この時計に関する体験や心情の変化など現象そのものを、時計という物質ではあるが、ある種の聖杯のように崇めているとさえ言えるかもしれない。
結果としてレベルソ・ムーンは、当時は“清水舞台”で入手したと思ったものの、筆者にとってすべてを肯定することができる時計人生を歩ませてくれた羅針盤だったのではないか。そのムーンフェイズがちゃんと合わせられていたことは、共に歩んだこの二十余年で、ほとんど無かったとしても。