「人類の最も古い夢」を育み続ける、パイロットウォッチの歴史とは?

2025.01.13

近年、急速に勢いを増すラグジュアリースポーツウォッチブームの中で本流ではないにしろ、密かに人気を高めつつあるジャンルがパイロットウォッチだ。オートパイロット全盛、かつ手動操縦時ですらも飛行時に必要な情報はすべてコックピットの計器から集取可能な現代において、あえてパイロットウォッチを推す人たちの意図とは? 曖昧になりがちなその定義を用途ごとにまとめ分析しつつ、現役パイロットからファッショニスタに至るまで、幅広くその用途を紹介。現代におけるパイロットウォッチの在り方を再考する。そんな『クロノス日本版』Vol.98「パイロットウォッチ礼賛」特集のwebChronos転載記事、第1回目は「歴史と今」の振り返りだ。

奥田高文、星武志、奥山栄一、吉江正倫、三田村優:写真
Photographs by Takafumi Okuda, Takeshi Hoshi (estrellas), Eiichi Okuyama, Masanori Yoshie, Yu Mitamura
ドミニク・フレション:文
Text by Dominique Flenchon
[クロノス日本版 2022年1月号掲載記事]


アビエーションと時計 その歴史と今

 1903年にライト兄弟が有人動力飛行に成功し、人類は空にもフィールドを広げた。以降、航空機は大きく進化し、それは航空計器の発展をも促した。計器としてのパイロットウォッチは、いかにして進化を遂げてきたのか? 碩学(せきがく)ドミニク・フレションが、『クロノス日本版』のためにその壮大な変遷の歴史をひもとく。

ドミニク・フレション
時計製造における歴史家。商業における学位と工業マーケティング、製品販売の豊富な経験を生かし、1994年、時計製造における歴史家・専門家としてリシュモン グループに入社する。2005年、高級時計財団の編集責任者に任命される。豊富な知識を生かした、彼のカンファレンスは評価が高く、多様なテーマのエキシビションのキュレーターも務める。それらエキシビションのカタログ著作、学術サポートだけでなく、時計製造に関する代表的な著書である『The Conquestof Time』、その知識をさらに深める『TheBeauty of Time』など、多数の著書を執筆。現在、高級時計財団の文化理事会員であり、著作家としても活躍。


アビエーターウォッチの壮挙

 人類の最も古くからある夢は、地球の重力から放たれ、鳥のように自由に空を飛んだり滑翔することではないだろうか?

 人類の歴史上初の固定翼機による有人飛行の成功者の名やその時期は、専門家の間でもまだ合意に至らず明確になっていない。この夢がかたちになりはじめたのは、1783年6月4日、ジョゼフとエティエンヌ・モンゴルフィエ兄弟が設計し、紙で裏張りをして熱した空気で膨らませた球形の織布が、フランスのリヨン近郊のアノネー地方の宙に浮かび上がった時からだった。

 1850年代以降、さまざまなかたちでの試行錯誤が繰り返され、エアロスタット(空気静力学浮力を使用して空中に留まる航空機)学が航空学に取り入れられ始めるのだった。先見の明を備えたゼニスの創業者、ジョルジュ・ファーブル= ジャコは、1888年に初めて、そして1904年に再度、「パイロット」の名称を登録した。ゼニスは後に、飛行用機器、高度計、機内時計を設計する初期のブランドのひとつとなるのである。

認定された初期の飛行とアヴィエーターウォッチの誕生

© Topfoto/amanaimages
アビエーションの幕開け。1903年12月17日、ライト兄弟は世界で初めての有人動力飛行に成功した。1回目の飛行距離はわずか36.5m。しかし、その後数年で、世界規模の飛行大会が行われるほど、航空機は進化を遂げた。

 1903年12月17日、アメリカの飛行におけるパイオニアとして有名なオーヴィルとウィルバー・ライト兄弟は、約40mの距離を初の動力飛行に成功した。その際、彼らはケースと一体化したラグを備えた時計を飛行中に装着することを想像したのである。リストウォッチと呼ぶこともできるこの時計は、飛行士の膝上に装着されていた。その大きなケースは、無反射処理されたスティール製で、1890年にヴァシュロン・コンスタンタンにより完成されたクロノメーター・ムーブメントが搭載されていた。その名を冠したホワイトエナメル文字盤には、アラビア数字、6時位置にスモールセコンドを備え、時・分を表示していた。

 一方、パリではブラジル人のアルベルト・サントス=デュモンが、1906年11月12日に初めて欧州で最初の公開飛行に成功し、この功績により羨望の的であった飛行クラブの賞を受賞した。だがすでに1904年、彼は懐中時計より実用的であろうと想像した腕時計の製作をルイ・カルティエに依頼していたのだった。これが、サントス ドゥ カルティエのプロトタイプであると考えられている。

 1909年7月25日、ルイ・ブレリオは、時速75㎞でドーバー海峡の横断飛行を達成する。その後1911年には、レオン・モラーヌの飛行機が時速100㎞以上での飛行に成功する。その際、ブレリオ、モラーヌのどちらもが、特別にあつらえたゼニスの腕時計を装着していたのである。

 第1次世界大戦中、飛行士たちの多くは、まだ懐中時計を装着していたが、磁場、温度の急激な変化、振動、湿気、気圧変化への耐久性といった飛行時の必要性に応えた「航空時計」の開発が進んでいったのであった。これらは、大きなサイズ、マットな黒と夜光付きの大きな白いアラビア数字と針によるコントラストが特徴的であった。腕時計のバージョンでは、巻き上げと時刻合わせを、刻みの付いた大きなリュウズで行い、すべて手袋を着けたまま操作可能であった。

航空機用のクロノスコープ

1930年代にブレゲが製造した、航空機用のクロノスコープ。航空機の進化に伴い、時計メーカーは航空計器の分野にも参入するようになった。

 これらの特性は、1930年代に完成された技術仕様書に採用され、航空テクノロジーの進化に合わせて定期的に改定されていく。1938年以降、これらの技術仕様全体は「タイプ20」と呼ばれるようになる。

 1913年9月23日に地中海にて、1919年5月には大西洋での初の横断飛行が成功し、その当時のパイロットは、いかに現在の位置を計算するかという海上航海時と同じ問題に直面していたが、違いはその作業を極めて限られた時間で行わなければならないことであった。

チャールズ・リンドバーグによる大西洋無着陸飛行

長距離飛行の先駆けが、チャールズ・リンドバーグによる大西洋無着陸飛行(1927年)である。搭乗したのは、ライアンNYP-1こと、スピリット・オブ・セントルイスである。

 1920年代初期、アメリカ海軍の航海司令官であったフィリップ・ヴァン・ホーン・ウィームスは、計時の誤差によるいかなる遅れも人命にかかわる惨事につながる可能性があることに気付いた。そこで、ロンジンが協力することで、腕時計が設計され、1929年にこの発明に関する特許が登録されることとなる。この技術特許は、目盛りの付いた回転式文字盤により、時計の歩度に影響を及ぼさず、無線電波時報に合わせて秒単位でタイムピースの時刻を連動させることについてであった。この当時、まだストップセコンド機能は存在せず、飛行機の速度に適応する方法で飛行地点を明確にするため、高精度時計を調整する方法を見つける必要があったのである。

 チャールズ・A・リンドバーグは単独で、中継地を設けずニューヨークーパリ間を飛び、1927年5月20〜21日に初の大西洋無着陸飛行に成功した。彼はフィリップ・ウィームスの論証に取り組み直し、ロンジンと協力して1935年に特許を登録する。この特許は、六分儀と航海年鑑と共に使用し、経度の計算を可能にする回転式の文字盤とベゼルを備えた時計に関するものだった。経度は緯度と結び付けることで、正確な地理的位置を特定することができる。すぐさま、このタイプの機器は、「時間角度(アワーアングル)」またはサイデロメーターと呼ばれるようになり、IWC、ジャガー・ルクルト、A.ランゲ&ゾーネ、ロンジン、ヴァシュロン・コンスタンタンなど、航空分野に特化した時計製造をしていたすべてのマニュファクチュールにより開発が進んだ。

アワーアングルウォッチ

リンドバーグはロンジンと協力して、回転ベゼルと文字盤で経度を計算できる「アワーアングルウォッチ」を完成させた(1935年)。

 1933年、レオン・ブライトリングは、累積した時間を計るふたつのプッシュボタンの機構についてのふたつの特許を登録し、現在まで機能面と外観において全体的にほぼ変わっていないクロノグラフ腕時計の誕生となった。

ブライトリングの広告

1930年代に広まった機構のひとつが、スタートおよびストップと、リセットの機能をふたつのプッシュボタンで役割分担した2プッシャーのクロノグラフだった。写真はこの仕組みを開発したブライトリングの広告。1934年に3代目のレオン・ブライトリングが生み出している。操作を分割することで、後にストップすることなく再起動できるフライバックが開発され、さらなる発展を遂げた。

 1936年には、IWCが「飛行士のための特殊な時計」(Spezialuhr für Flieger)を開発し、この回転式ベゼルを備えた時計はマークIX という名で知られている。

IWC「マークX」

1935年
低温でも稼働する特別なオイルを採用したIWC「マークX」。

 1936〜38年には、ロンジンが初のフライバック機能搭載クロノグラフ13ZNを発明した。フランス語で“retouren vol”(飛んで戻る)という航空分野のためのこの特殊な機構により、クロノグラフ針を統制するプッシュボタンを押すとゼロリセットと新たな計測を瞬時に行うことができる。

アビエーターウォッチがミリタリーウォッチとなる

 第2次世界大戦が近づくと、ゼニスはフランス国軍にタイプXXを供給するようになり、オメガ、ロンジン、シーマ、ジャガー・ルクルトは英国空軍(RAF)のパイロットたちへ装備を供給した。

 一方、A.ランゲ&ゾーネ、IWC、ラコ、ハンハルト、ストーヴァ、ヴェンぺは、ドイツ空軍にクロノグラフとBeobachtungsuhr(B. Uhr)などの偵察飛行用の時計を納めていた。すべてのマニュファクチュールは、ハンブルク天文台から認定されたクロノメーター・ムーブメントを採用し、ストップセコンドとブレゲひげ(ブレゲ式巻き上げヒゲゼンマイ)が備わっていた。そして、飛行服の袖の上からでも装着可能なように、これらの時計のケースには長い革製のベルトが取り付けられていたのであった。

IWC「52T.S.C.」

1940年
クロノメーター級の精度を求めたIWC「52T.S.C.」。

 ユニバーサルは、1940年に時・分表示サブダイアルで飛行開始を記録する飛行士のためのクロノグラフ、エアロコンパックスを創作し、同年、IWCはドイツ空軍に55mmのケース径のビッグ・パイロット・ウォッチを提案した。

 ブライトリングは1942年、“chronographepour les mathématiqu es”(数学のためのクロノグラフ)を略したクロノマットを発表し、このモデルは対数目盛りの回転計算尺を備えた初めての時計だった。

ブライトリング「クロノマット」

1942年
世界で初めて回転計算尺を搭載したブライトリング「クロノマット」。

ロンジンの13ZN搭載機

1943年
フライバックを搭載した初のパイロットウォッチであるロンジンの13ZN搭載機。

 IWCは1948年、12時位置に特徴的な三角形の印を持つマークXIを発表した。この時計は、磁場から守られており、軍用と民間用のパイロットウォッチとしての模範として君臨する。

 これらのミリタリーウォッチは、後に民間使用のための多数のモデルにインスピレーションを与えることとなった。

IWC「マークXI」

1948年
高い耐磁性能と防水性能を誇ったIWC「マークXI」。

民間飛行と商業飛行の黄金期

 タイプXXが1950年代初期に発表され、それはフライバック機能を搭載し、その黒い文字盤にはトリチウムで覆われた数字と針が備えられるというものだった。そこで、ブレゲ、オリコスト、エイラン、ドダーヌが、この機会の公募に応えた。1952年には、ブライトリングのナビタイマーが航空に必要なすべての計算を可能にした。ロレックスのGMTマスターは、1954年当時最大の航空会社であったパン・アメリカン航空の要望で設計された。それは、社員のパイロットたちが地球上のふたつの異なった地点の時間を瞬時に知ることができるようにするためだった。

ブライトリング「ナビタイマー

1952年
E-6Bの改良版であるタイプ52型計算尺を持つブライトリング「ナビタイマー」。

 それと並行して、飛行機の性能は大幅に進歩し、1995年にノースアメリカン社のF-100スーパーセイバーは、1万2000mの標高を時速1323㎞で飛行した。その3年後、欧州初の戦闘機ミラージュⅢの飛行速度は、マッハ2の時速2350㎞を超えたのであった。

ロレックス「GMTマスター」

1955年
世界初のGMTウォッチであるロレックス「GMTマスター」。ロレックスのGMTマスターは、民間の要望から生まれたパイロットウォッチの先駆けである。あえて機能をシンプルにできたのは、航空機器が進化したためだった。

パイロットウォッチと航空時計製造の免れがたい低迷と再評価

ブレゲ「タイプXX」

1959年
フライバック機構を備えた新世代のミリタリーパイロットウォッチがブレゲの「タイプXX」。

 1960年代初め、レジャー飛行を除いて、航空のための機械式時計は全自動飛行に取って代わられたのだった。だが、パイロットたちは、新たなテクノロジーを前に安心感を与えてくれる機械式のタイムピースをまだこよなく愛していたのだ。その頃から、時計製造会社は、航空分野の愛好家たちのためのモデルを考え、時計の可能性の領域を押し広げていったのだった。

ブレゲ「タイプXX」

1960年
ブレゲの「タイプXX」。

 一方、オメガは宇宙への進出とのつながりを深めることになる。1969年7月21日、ニール・アームストロングとエドウィン・オルドリンが月に降り立った人類の第一歩を、6億人の人々がテレビを通してライブ中継を見守った。1966年にプロフェッショナルと呼ばれるようになったオメガのスピードマスターがNASAにより認定され、この歴史的なミッションにおいて、機内の電子系機器の起こりうる故障に対処するために宇宙飛行士に寄り添っていたことを、その後知ることになるのだった。

オメガ「スピードマスター」

1966年
NASAの公式時計として宇宙に飛び立ったオメガ「スピードマスター」(発表は1957年、NASAの認定は1966年)。

 1995年、フランスのダッソー社との長年にわたる研究開発を経て、ブライトリングはエマージェンシーの最終的なバージョンを発表した。このクロノグラフは、緊急事態用の遭難信号発信機と柔軟なアンテナシステムを装備し、緊急着陸や墜落時にこちらを作動させることができた。

 1998年、IWCはUTCクロノグラフ(UTCは「協定世界時」のこと)を発表した。このモデルは日付変更線を越えるとカレンダー表示を1日分、後退させることができた。

IWCの「パイロット・ウォッチUTC」

1998年
パイロットウォッチの復興期にリリースされたIWCの「パイロット・ウォッチUTC」(発表は1998年、写真のモデルは2004年製)。

 2005年、ハミルトンは、飛行機の航路を修正する横風を考慮するカーキX-ウィンドを発表した。

 2015年、パテック フィリップが1936年に製作したふたつのサイデロメーターに由来した、カラトラバ・パイロット・トラベルタイムを発表し、高い機能性を備える時計を現代に合わせて提案したのである。

 今日、電子工学はパイロットたちに飛行における必要不可欠な機器と機械的には達成できない高精度を提供しているが、パイロットウォッチはパイオニア精神、制覇、自由を象徴するものであり続けている。そのため、歴史の長さにかかわらず、多様なブランドが現在でも想像力を競い合い、人類の最も古い夢を育み続けているのである。


大空に夢を馳せた、ロンジンと伝説のパイロットたちのストーリー(前編)

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ブライトリング「ナビタイマー」の半世紀以上にわたる歴史と、その新しい歩みを見る

IWCが誇るパイロット・ウォッチの名機たち。系譜とおすすめモデル

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