億超えの落札記録を叩き出したオークショニア、オーレル・バックスができるまで

FEATUREWatchTime
2025.01.30

オークションハウスであるフィリップスを代表するカリスマオークショニア、オーレル・バックス。伝説となった数々のオークションを取り仕切った彼は、どのようにして生まれたのだろうか? インタビューを通して彼のルーツを探る。

オーレル・バックス

Originally published on watchtime.net
Text by Daniela Pusch
[2025年1月30日公開記事]

オークションハウス、フィリップスのオークショニア、オーレル・バックスへのインタビュー

 フィリップス・イン・アソシエーション・ウィズ・バックス&ルッソのオーレル・バックスは、時計業界において最もよく知られたオークショニアのひとりであり、若い頃から培ってきたヴィンテージウォッチに対して情熱的に身を捧げる姿は伝説となっている。

 彼のカリスマ的なパーソナリティ、そして並外れた知識に組み合わされた情熱は、バックスのヴィンテージウォッチに対する評価と重要性に大きく貢献している。バックスは、個々の時計を唯一無二のものとする、腕時計の持つ感情的そして歴史的側面に対し特に注意を払う。古い腕時計が単なる機械式に留まらず、ストーリー・記憶・感情を内に秘める魅惑の世界の存在だと気づかせてくれるのだ。

ヴィンテージウォッチを好きになったきっかけ

WatchTime:どのようにご自身のヴィンテージウォッチに対する情熱に気づかれたのですか?

オーレル・バックス:すべての始まりは1982年、スペインのサッカー・ワールドカップでした。当時私はまだ11歳で、袋に入って売っていたサッカー選手の小さな写真を学校で集めていました。どちらかというと高くつく趣味で、瞬く間にお小遣いを使い果たしてしまいました。

 私の父は若い頃からの機械好きで、私に価値が続くものを収集するよう勧めてくれました。当時、稀少なヴィンテージウォッチの収集は、まだあまり一般的ではなく、父について時計屋やフリーマーケット、アンティークショップ、コレクターの集まりなどにでかけ、この情熱に心をつかまれるまでにそう時間はかからなかったのです。

オーレル・バックス

本棚の前に立つオーレル・バックス。

 私はよくこれを愛に例えます。グラス1杯のワイン、そしてもう1杯、するとある時点でそれを自分が好きなことに気が付きます。そのような感じを持ったのは、自分が12歳か13歳頃のことなので、もうそれは40年も前のことになります。

 その頃から、朝いちばんに頭に浮かぶのは、時計の世界に今日起こることはなんだろうということ、そして一日の最後に浮かぶのは、明日は何が起こるだろうということになりました。私は退屈を知りません。素晴らしい人達と出会い、多くの旅をし、そして毎日新しいことを学びます。他の多くのことができなかったとしても、後悔はまったくありません。弁護士や政治家、ドラマーなどには、別の人生でなれるのですから。

ヴィンテージウォッチの魅力。感情を呼び起こすストーリー

WatchTime:新しいモデルに比べて、古い時計の何があなたを魅了するのでしょうか?

オーレル・バックス:時計の世界では、どの時代、どのタイプにおいても長所と短所があり、私としては古い時計も新しい時計も両方を楽しめると考えています。私の場合のヴィンテージウォッチがもたらす特別な訴求は、その希少性によっています。1950年代、ロレックスでさえ、年産何百万本ではありませんでした。

 そこが確実に、私に訴える点です。古い小さな車が、現代の高級車よりカリスマ性を備えているように、ヴィンテージウォッチはその物理的存在以上のものがあるのです。腕時計を厚さ×幅×長さが持つ3次元の物質としてみると、時間・歴史・感情という精神的な別の次元が見えてきます。少し傷や変色があるかもしれませんし、えぐれもあるかもしれませんが、いつもその背景になにかしらのストーリーがあります。

 以前、時計の購入は特別な機会に行われました。結婚式のギフト、昇進、誕生日の記念などです。よくその時に入手できる一番高いモデルが選ばれました。こういった時計を、現在手にすると、元の所有者が誰なのか、なぜ持ち主が大切にしていたのかなどを知ることはできませんが、時に心を打たれるエピソードが刻まれた1本に出会える時もあります。

 例えば、私の涙を誘ったのは、あまり知られていない1945年のクリスマスのピースで、「長い時間が経ったけど、戻ってきてくれて本当に良かった。メリークリスマス」と刻印があるものです。こういったものを読むと、フルスピードで想像が巡り、その背景にあるストーリーに思いを馳せます。戦争からの帰還だったのか、外国への赴任だったのか、それとも隠されたラブストーリーなのかという具合です。

 この時計と対峙している間は、真新しいの時計からは得られない時間軸の中に、自分を見出すことになるのです。それに加え、これはあまり情緒的ではありませんが、何かの分野での世界初や、一度限りの製作など歴史的な観点から興味深いものもあります。例えば、政治・科学、そしてハリウッド関係の著名人所有であったものなどです。

自分にとっての大切な時計

WatchTime:ご自身のコレクションで特に大切にしていらっしゃる、特別な時計がありますか?

オーレル・バックス:自らを古典的な意味でのコレクターとは思っていません。そうあるためには、体系的だって物事を整理できる人間でなくてはならないのです。初期のエル・プリメロはプゾーの天文台クロノメーターを搭載した、50年代のブレゲと同じくらいの喜びを私に与えてくれます。

 ある種の時計を特に探すということはほとんどありませんが、まったく予期していない時に、「欲しい」と思わせる時計に出会うことがあります。ディスプレイケースや、友人の手首、アンティークショップなどです。見て、手に取って、何かカチッと音が鳴ると、同時に欲求が頭の中に湧き上がるのです。「こんな時計が1本欲しい」と。でもこの望みは稀少性や価格面などで、いつも叶えられるわけではありません。時に、望みを叶えるのに、何年もかかるときもあります。

 そのため、ウィキペディアで知識として定義されている、従来のコレクターに自分が該当するとは考えていません。特に金銭的価値のある時計や、重要なブランドの非常に意匠的に優れているものは所持していません。丹念に構成されたコレクションではなく、どちらかというと出会った時計たちのコレクションなのです。

 私の心に寄り添う時計は、私の人生において重要な瞬間を刻んでおり、多くは贈り物です。1984年、私の初めての腕時計は、キリスト教の堅信式の時に贈られたものでした。自分で購入した最初の時計は、16歳の時に自分で貯めたお金で購入したパテック フィリップで、当時、約2000ドイツマルクでした。両親が一部を補助してくれたので、あまりの嬉しさにおかしくなってしまうほどでした。

 誰か大切な人とお金を出し合う“分割購入”でその後も大切な時計を手に入れてきたのです。義母からの時計、そして2013年に夫婦そろって無計画に仕事を辞めた時に妻から贈られた時計などがあります。

A.ランゲ&ゾーネ

A.ランゲ&ゾーネ「ダトグラフ」Ref.403.035
このA.ランゲ&ゾーネのプラチナ製「ダトグラフ」は、2024年11月9日と10日に開催されたジュネーブ・ウォッチオークション XXに出品。6万960スイスフラン(約1047万2403円、1スイスフラン=171.79円、2025年1月29日現在)で落札された。手巻き(Cal.L951.1)。40石。1万8000振動/時。パワーリザーブ約36時間。Ptケース(直径39mm)。30m防水。

古い時計が与える情熱

WatchTime:ご自身の古い時計に対する情熱が、仕事に与える影響はどのようなものですか?

オーレル・バックス:仕事には、非常に深く影響を与えています。古い時計ほど、多くの感情を内に秘めていて、そこに科学のような決まった式はありません。どちらかというと絵画のようなものです。

 ひとつひとつが自らのストーリー、秘密、そしてある種のオーラを持っています。それは数字で捉えられるものではありません。しかし、その情動的部分に反して、実際には査定できるものではないのでしょう。ですが、私たちはその価値を図る必要があります。多くの感情と歴史を持った「プライスレス」なものに対して、どのような評価ができるでしょうか?

 そこでは、私が顧客と同じ、情熱という名の病に侵されていることが助けになります。時計を判断するとき、顧客が後にカタログで見た時に感じるものと同じときめきと情熱を感じることができるからです。

腕時計を通してポール・ニューマンを知る

WatchTime:貴方がオークションにかけた時計の背景にあるストーリーで特に心を打たれたものはなんでしょうか?

オーレル・バックス:1780万ドルという輝かしい栄光を打ち立てたロレックス「デイトナ」の“ポール・ニューマン モデル”は、私にとって非常に特別な経験でした。正直に申し上げて、私の予想は落札価格の4分の1くらいでしたが、これまでにない世界記録となりました。非常に感情に訴える経験であり、このことを忘れることはできないでしょう。

 よかったのは、この時計を1年半、自分の手元に置くことができたことでした。私に時計が委託された2016年7月から、アメリカ・ニューヨークでオークションが開催された2017年10月までの間に、ポール・ニューマンの家族、友人、知人に知り合うことができました。彼について多くのことを知り、それまで私にとって常に世界で「一番いい男」だった彼を、新しい視点からどのような人物であったのかを、このポール・ニューマンという時計も含めて見出すことができました。

 それが私に深い印象を与えました。彼がただの素晴らしい人から抜け出したのです。世界的名声に反し、ポール・ニューマンは常に地に足を付けた存在でした。妻のジョアン・ウッドワードとの結婚生活は半世紀以上に及び、スキャンダル・浮気・薬物過剰摂取などもありませんでした。ロサンジェルスの喧騒から遠く離れた東海岸に住み、子ども達をそこで育てました。スクリーンの外では、まさに「ご近所のいい人」であり、ボルボを運転して買い物に行き、多くの人の良き信頼できる友人であり、自身の基金を10億ドル以上にしています。

ロレックス コスモグラフ デイトナ Ref.6239

ロレックス「コスモグラフ デイトナ “ポール・ニューマン ジョン・プレイヤー・スペシャル”」Ref.6239
Ref.6239のうち、18Kイエローゴルド製ケースを採用したものは300個ほどだった。その中のほんの少しの個体のみが、ブラック文字盤のジョン・プレイヤー・スペシャル文字盤を備えている。2024年6月のフィリップス ニューヨーク ウォッチオークションにおいて95万2000米ドル(約1億4798万7601円、、1米ドル=155.37円、2025年1月29日時点)で落札された。手巻き(Cal.722)。17石。SSケース(直径37mm)手巻き(Cal.722-1)。17石。1万8000振動/時。18KYGケース(直径37mm)。

コレクション初心者への助言

WatchTime:ヴィンテージウォッチに興味を持ち始めたばかりの、収集を始めたい人に対してどのようなアドバイスをなさいますか?

オーレル・バックス:お分かりのように、私は比較をするのが好きです。ヴィンテージウォッチの購入は自分が楽しむためのものです。友人がなんと言おうと、インスタグラムで人気なのがなんであろうと、自分が好きなものを選ぶということです。

 近年市場は、成功した人達が、ラップスターやサッカープレイヤーと同じ時計を購入するということが、多く見受けられます。その人達はそういった道を進むものだと思っているからです。

 自分の好きなものを見つけてください。レクタンギュラー、それともラウンドの時計のどちらが好きですか? 一定のコンプリケーション、それともある時代のものに興味がありますか? 予算はどれくらいですか? 経験が少ない場合は、知識を得ることは大切です。本や記事、フォーラムのポストに目を通し、自分の道の前をすでに進んでいる周囲のひとに尋ねてみてください。

 それは特別なワインを探しているときに、ソムリエに意見を求めるのに似ています。時計の収集は、信頼によっています。そして自分の収集するものの方向性を考え、それに従ってプランを決めるのです。

 またもうひとつ大切なのは、コレクターのコミュニティとコンタクトを取ることです。これは信じられないほど重要です。多くの人が、「時計の話を求めて参加して、今はコミュニティのために参加を継続している」と言います。同じ気持ちを持つ友人を作り、オークションに参加し、他の愛好家・時計師、そして著名人にも会ってみて下さい。

 工房やブランドのヘリテージ部門とコンタクトを取ることも、役に立ちます。「机上のエキスパート」とならないために、時計に実際に触れ、体験することは基本ですから。読み物として仕入れた情報と、手に取ってみたものとの間に、大きな乖離があることはいくらでもあります。

 学習プロセスの一部ですから、失敗も許容されます。つまり、常に先を考え、自分のコレクションがどこへ向かうべきかを考えるべきなのです。どのモデル、どのブランドに興味があるか、予算上限とテーマをどこまで許容できるか?新しいことにも心を開きつつ、選択は常に懐疑的にあるべきなのです。

稀少な腕時計に見出される存在

WatchTime:これからオークションで目にしたい時計やブランドがありますか?

オーレル・バックス:私にはショッピングリストやウィッシュリストはありません。特定のモデルやブランドに関して言えることは、おそらく私にとって最高のピースはまだ知らない、存在すらわからないものであろうということです。

 これまでの人生で私が落札に関わった時計のなかで、もっとも興味深い10本は、それ以前誰にも知られていませんでした。私のオークショニアとしての人生は、まるでインディージョーンズのようなものです。予想もしていなかった冒険に飛び込む、そこが魅力なのです。

 なにも見つからなかった日もありますが、別の日にはミュージアム所蔵品となるものを発見することもあります。“ポール・ニューマン”はこういった夢のようなものでしたが、予想もしていないものでした。ある夕方電話が鳴り、手元に“ポール・ニューマン”があると、相手は言ったのです。つまり時計が私を見つけたのであり、私が時計を見出したのではないのです。

機械式腕時計以外に興味を持つもの

WatchTime:機械式時計と同じほど、貴方を魅了するものはありますか?

オーレル・バックス:さまざまなオークションハウスと付随するいろいろな分野における仕事の経験から、自らの興味の対象を広げてきました。例えばアートは、自身がエキスパートではないにしても、私の興味を大きくかきたて、同僚から学んだ絵画に隠された意味は、私に深い印象を残しました。これは、戦前のアールデコからミッドセンチュリーのデザインにわたる、20世紀のデザインについても同様です。

イームスチェア

5脚のチャールズ・イームスの「DAWチェア」。3556イギリスポンド(約68万6306円、1イギリスポンド=171.79円、2025年1月29日現在)で落札された。

 フリーマーケットでは、古いイームズチェアを探す私の姿を見かける人も多いでしょう。それに加え、私にはクラシックカーに対する情熱もあります。これは私の父譲りで、古い時計よりも多くの努力が、特にスペース、メンテナンス、精度について求められます。そして私は美味しい食事、良いワイン、旅が好きです。ただ、一番好きなのは友人達を含めた全体像です。スタイリッシュな車で別の都市へ移動し、そこでは食事と飲み物を楽しみ、フリーマーケットや美術館を訪ね、そして特別なヴィンテージウォッチが手首にはある。私にとってはこれが理想的な、情熱を注げる週末のイメージです。



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