オーストリア・ウィーンのホーフブルク宮殿の向かい、ミヒャエル広場には、建築史上有名なアドルフ・ロースによるロースハウスが存在する。そのロースハウスに、地元ウィーンのシュリン宝石店の腕時計販売部門が居を構えることになった。この店舗を訪れる人は、アドルフ・ロースによる特別な雰囲気を体感することになるだろう。
ウィーン名所ロースハウスに時計店が入居
オーストリアの首都、ウィーンを訪れる予定のある人は、シュリン宝石店の腕時計部門のブティックを見逃すわけにはいかない。店の中に一歩足を踏み入れるや否や、圧倒的なインテリアデザインに心を奪われるのだ。歴史の重みに裏打ちされた、重厚な雰囲気がありつつもモダンな雰囲気のインテリアデザインの空間の中には、ロレックス、ブライトリング、ゼニスなどのブランドの腕時計が多数ディスプレイされている。
ウィーンではミヒャエル広場の建物と知られているこの建物は、1870年にモラヴィア(現チェコ共和国東部)で生まれたアドルフ・ロースによって設計されたものなのだ。アドルフ・ロースはウィーンのモダニズム運動の中で最も有名な建築家である。
ロースハウス
現在ロースハウスと呼ばれているこの建築は、アドルフ・ロースの主要な作品のひとつである。ロースは先見の明があり、自分のアイデアは自らの生きる時代を数年先取りしていることに気が付いていた。
ロースハウスは1911年の竣工時には、特に議論の的となった。それは周辺の装飾の多い建物と異なり、機能的ですっきりしたモダンな意匠が周辺をいらだたせたのだ。この建物が目に入る広場の反対側にある、ホーフブルク宮殿に住んでいたオーストリア皇帝、フランツ・ヨーゼフ1世は、装飾がほとんどないロースハウスの正面を嫌っていた。
アドルフ・ロースは妥協することに気が進まなかったが、最終的に(全体的ではなく)正面の一部の窓近くに鉢植えを設置することを受け入れ、現在もその状況は変わっていない。
腕時計を探しに来た人たちはわざわざその鉢植えを探すために、窓を見上げる必要はない。正面の雰囲気は圧倒的で、4本の大理石の柱が並んだ背後にはカーブした大きなウィンドウガラスが見える。そこには前述の3ブランドに加え、ウブロ、パルミジャーニ・フルリエ、チューダーも展示されており、内部にはベル&ロス、エベラール、フレデリック・コンスタントなどのブランドが展示されているのだ。
現代性の高級感あるエレガンス
建物内部は外観と同じくらい興味深い。現在シュリン宝石店が時計を販売しているこの建物には、20世紀初頭、ゴールドマン・ウント・ザラチュという紳士服の店が入っていた。そこのオーナー達はロースのアイデアを非常に気に入り、建物の建設とインテリア全体を依頼したのである。
その結果が、正面の玄関から入るたびに目の当たりにする、マホガニー製の豪華な壁面材と柱、そして鏡を巧みに配置した空間だ。1階に立ってみると、全体を支配するかのような幅の広い中央の階段が際立っている。ちなみに、シュリン宝石店のジュエリーブティックは、現在もウィーンのコールマルクトの角地にある。
そこから続く中二階では、リラックスした雰囲気の中、広々とした接客スペースが設けられている。マネージングディレクター達のオフィスもそこにあり、700㎡の空間を持つ中二階は、1階よりも400㎡も大きく、圧倒的な広さを感じる。現在別の場所を拠点としている時計師を、この建物へ移転させることは経営者一族のヘルベルト・シュリンとその妻、息子のルーカスやヨハネスにとって、重要な課題となっている。また、1階脇にある階段はロレックスのブティックへとつながるものだ。シュリン宝石店はスイス・ジュネーブに本拠地を置く、ロレックスの数十年来の取扱店なのである。
入念な修復
オリジナルの内装は、1938年の国家社会主義者によるオペル販売店の設置に始まり、過去数十年の間に破壊されてきた。ライファイゼン銀行が建物を取得した後の1970年代に、入念な修復が始まった。現在でも進行中の修復において、シュリン宝石店は歴史的建造物保護が求めるオリジナル状態の保全と、最先端の腕時計ディスプレイを設置するという、板挟みの問題に直面した。
この修復作業の中で注目に値する製作物は、カーブしたフロントガラスであろう。まずはそれを製作できる業者から探さねばならなかったが、その努力は報われている。今日、ミヒャエル広場の店舗に足を踏み入れる人は、エレガントかつ、歴史的芸術に彩られた素晴らしい環境の中で、腕時計を購入することができるのだから。
アドルフ・ロース
建築家であり建築批評家でもあるアドルフ・ロース(1870〜1933)は、機能主義の実践のパイオニアであり、1908年執筆の『装飾と犯罪』によって、現在でも広く知られている。アドルフ。ロースは華美な装飾を拒絶し、ミニマルな形状、色、素材を選択したが、それは極めて高品質なものを要求した。なお、彼は壁面パネルを好んで使用し、部屋を広く見せるために鏡を多用した。彼は自信に満ち、議論を好み、妥協を許さない人物だった。アドルフ・ロースの顧客は主にオーストリアや1918年に建国したチェコスロバキアの開進的な文化に理解を示すブルジョワジーであった。