現代におけるパイロットウォッチの在り方を再考する。そんな『クロノス日本版』Vol.98「パイロットウォッチ礼賛」特集を、webChronosに転載。今回は掲載当時、『OCEANS』編集長を務めていた江部寿貴と『クロノス日本版』編集長の広田雅将が、ミリタリーテイストのパイロットウォッチの誕生や今後について、ファッションと腕時計それぞれの視点から分析する。
Edited by Chronos-Japan (Yukiya Suzuki, Yuto Hosoda)
[クロノス日本版 2022年1月号掲載記事]
『OCEANS』×『クロノス日本版』がミリタリーパイロットウォッチ新時代について語る
ファッショントレンドに呼応するかのように急増したミリタリーテイストのパイロットウォッチ。果たして、それはダイバーズウォッチに次ぐスポーツウォッチのメインストリームになり得るのか?『OCEANS』と『クロノス日本版』の両編集長が、ファッションと腕時計それぞれのトレンドを振り返りつつ、ミリタリーパイロットウォッチという新たな潮流が生まれた背景と、今後の展開を探る。
〝エディット〞によって生まれたパイロットウォッチの新しい姿
ーー本題である現代パイロットウォッチの新潮流についてお話しいただく前に、まずうかがいたいのですが、1990年代に人気を博したミリタリーテイストのファッションが近年、再びトレンドになっているのはなぜだとお考えですか?
江部寿貴(OCEANS編集長、2022年1月号発売当時):まず、2000年代以降のファッションは、さまざまな服を編集することで新しいものを生み出す「エディット」の時代に、本格的に突入していったんです。ファッションには芸術的なスタイルを構築していく「モード」というキーワードが存在する一方で、ミリタリーやワーク、スポーツといった男装の基本である「ユニフォーム」がありますが、そもそもユニフォームってファッションではなく実用品。つまり、軍人用の服という実用品をエディットしてファッションに落とし込んだものが1990年代のミリタリースタイルで、ここからエディットファッションがスタートし、2000年代に入るとモードとユニフォームが融合した新しいスタイルの提案が増えていくわけです。

1977年、東京都生まれ。2000年、世界文化社入社。『Menʼs Ex』編集部『Begin』編集部を経て2006年退社。『OCEANS』創刊に参画。2019年より『OCEANS』編集長に就任。趣味はサーフィン。
では、なぜ今、ミリタリーファッションが人気なのかというと、エディットの手法が継続する一方で、2010年代後半から、1990年代のファッションが評価され出したから。ミリタリーは1990年代のトピックのひとつで、街の若い人たちの発想や着こなしから生まれたストリートファッションですが、そうしたカルチャーやスタイルが今、再評価、再注目されたことが要因でしょうね。
広田雅将(本誌編集長):なるほど。ちなみにエディットされたーーつまり、モードと融合した新しいミリタリーファッションとは、具体的にどういったアイテムになるのでしょうか?

1974年、大阪府生まれ。2005年、時計ジャーナリストとして活動開始。『クロノス日本版』創刊2号より主筆として参画し、精力的にスイス取材を敢行。2016年より現職。
江部:とりわけシンボリックなのは、ユニクロの「+J」。2021年秋冬のコレクションにラインナップされているのがミリタリー……具体的にはMA-1なんです。それに〝モッズコート〞と呼ばれているM-51も現在、ファッションアイテムとして再注目されていて、古着の価格もどんどん高騰しています。基本的にアイテム自体は昔と変わらなくて、同じものが評価されている傾向ですね。
広田:すでにあるものをエディットしていく流れは、時計のトレンドとまったく同じですね。おそらくパイロットウォッチも、そうした流れの中でミリタリーファッションと同じように評価されてきたんじゃないかと思います。例えば、ダイバーズウォッチだと本格的すぎるけれど、ラグジュアリースポーツならカジュアルに使えるし、パイロットウォッチもダイバーズほど特定のセグメントに寄っているわけではないから汎用性は高い。つまり、ユニフォーム性を残しつつも、ファッションアイテムとして使えるものになっている気がしますね。
江部:SUVを街で乗ったりアウトドアウェアを街で着たりするのと同じ。ミリタリーウォッチがラグジュアリーウォッチの一角を成している感じですよね。
現在のミリタリー人気を支えるラグジュアリーの新しい概念
広田:時計のトレンドって、長らくファッションのトレンドとは関係のないところで進んでいたんですが、2010年代以降、急激にシンクロするようになった印象があるんです。代表的なのがラグジュアリースポーツで、今後はパイロットウォッチにもそうした傾向が見られそうな気がしているのですが……。
江部:同感です。一例として今、ルイ・ヴィトンはヴァージル・アブローという42歳のアフリカ系アメリカ人をデザイナーに迎えていますが、彼は日本のストリートカルチャーが好きで、普段は軍パンにナイキのバッシュを合わせているような人なんですよ。初めは、なぜラグジュアリーブランドがストリートカルチャーとつながろうとしているのか、理解できなかったんですが、調べていくと、旅する人たちのために製品を作るルイ・ヴィトンの姿勢が、今もなお続いているからだと分かったんです。
つまり、昔は旅をするのが主に貴族だったから貴族のために製品を作り、やがて2000年頃になると、世界を飛び回るビジネスパーソンのためにスーツなどを作るようになった。そして2020年代に最も旅をしているのは、マルチクリエイターやストリートアーティスト、DJといった人たち。彼らが現代の富裕層として、ストリートファッションで世界を旅しながらメイクマネーしているのであれば、そうした服がラグジュアリーなものとして求められるし、当然、ハイブランドもストリートファッションを手掛けるようになる。だから時計メーカーも同じように、彼らの嗜好にフィットするものを作っているんだろうなって思うんです。
広田:それは考えられますね。しかも、ミリタリーウォッチだと軍用のイメージが強すぎるけど、パイロットウォッチは落としどころとしてはちょうどいい。だからこれまで、IWCはマニア向けのパイロットウォッチしか作ってこなかったけれど、最近はセラミックスを使ってカラーをミリタリー調にした「モハーヴェ・デザート」のようなモデルも展開し始めた。そう考えると、今後はこのようなテイストの時計が増えていきそうですね。
江部:ラグジュアリーの概念が変わっていったんですよね。現在のミリオネアが若い頃、ストリートファッションにどっぷりと浸かって、年齢を重ねた今でも昔と変わらずにGジャンやMA-1を着ている。そんな彼らに多くのフォロワーがついたことで、ミリタリーが揺るぎないファッションになり、ラグジュアリーアイテムになっていったんだと思います。
広田:それはいつ頃からですか?
江部:1990年代にベースができて、2000年代には確立していたと思います。
広田:たしかに、それまでのスタイルがあるものとは明らかに違いますよね。だからなのか、ラグジュアリースポーツウォッチとパイロットウォッチに関しては、ブランド主導というよりは、ストリートファッションの隆盛とともに盛り上がりつつあるような感じがするんです。
江部:特にストリートファッションが盛り上がってきたのは2010年代半ば。スニーカーブームが再燃して、それとともにストリートファッションも注目を集めるようになったんです。もともとは中国や香港、台湾などのアジア市場で火がつき、逆輸入的に日本でも盛り上がるようになりましたが、もはや、ひとつの大きな文化になっている気はしますね。
記号性を大切にしているからこそファッション志向でも支持される
ーーところで、ミリタリーテイストのファッションは昔からある潮流のひとつですが、2020年代に再びトレンドになったことで、ファッション的に変わった部分はあるのでしょうか?
江部:+Jを見ても分かるように、デザインの思想や概念、ベースは変わっていないし、変えないんでしょうね。
広田:別の言い方をすると、記号性みたいなものでしょうか?
江部:そうですね。そこが変わってしまうと、ミリタリーという以前にユニフォームとしての価値がなくなってくるんです。では、+JのMA-1は本物の軍用品と何が違うのかというと、中綿がダウンなんです。それに軍用品は裏地がオレンジ色ですが、そこも変えている。つまり様相を変えたり、違う素材にしたりすることでアップデートしているんです。
広田:これを踏まえると「ビッグ・パイロット・ウォッチ・トップガン〝モハーヴェ・デザート〞」はうまくアップトゥデイトしていますよね? 記号性を保ちつつも、現代に合わせて変えている。
江部:ある種のターゲットとなる人たちが満足できる要素を盛り込んでいますよね。中綿をダウンにすることで着心地を良くしたり、元は化繊だった素材をカシミアに変えたりしているのに、ルックスはいつものMA-1として成立しているのは、記号によってアイデンティティーを持たせているからなんです。MA-1も左袖のポケットがなくなったら意味がなくなるじゃないですか? IWCのパイロット・ウォッチも「リュウズが大きいのは実用的に意味がないから小さくしよう」となったらアイデンティティが削がれてしまう。それと同じことですよね。
ルーツを持ったブランドに感じるエディット力と今後の可能性
ーー編集部では今後、ミリタリーテイストを取り入れたパイロットウォッチの人気がより高まるだろうと予想しているのですが、そうしたパイロットウォッチの色使いやカモフラージュ柄の使い方にはどのような特徴があると思いますか?
江部:厳密なデザインコードや記号性を担保しながらも、カモフラージュ柄の使い方でマーケットニーズに合わせたり、新しい発想を取り入れたりしているように見えますよね。
広田:つまり、エディットの能力が露骨に出てくる感じでもあるわけですね。
江部:センスとかエディット力という、数値化できない部分が特徴になってくる気はしますね。
広田:個人的に、ラグジュアリースポーツというジャンルは記号性に乏しいと思っているんですが、それに比べるとパイロットウォッチは記号性が保ちやすい。まさにMA-1に近いと感じました。
江部:使用目的に明確な出自がありますからね。ラグジュアリースポーツは「スポーツ」という言葉でぼんやりしているところがあるけれど、パイロットウォッチは用途が明確になっている分、エディットもしやすいし、面白みも出しやすい。そうなるとIWCやブライトリングといった、ルーツを持ったブランドは強いでしょうね。
例えば、アウトドアブランドのザ・ノース・フェイスはグッチやシュプリームとコラボしましたが、それはエクストリームな環境と縁のないファッションブランドがアウトドアウェアを作っても説得力がないから。であれば、アウトドアブランドとコラボした方が説得力があるし、いいものを作れるということなんです。つまりIWCやブライトリングも、パイロットウォッチという財産を持っているからこそ彼ら自体が媒体になれる。仮にファッションブランドとコラボしても、IWCやブライトリングのままでいられると思うんです。
広田:言われてみるとたしかに、IWCもブライトリングもそうなり得る可能性はありますね。
江部:ひとつを突き詰めているがゆえに重宝されるけれど、どこと組んでも揺るがない。IWCがモハーヴェ・デザートの文字盤にダイヤをセットしたとしても成立しちゃう気がするんですよ。ベースがしっかりしているからエディットしやすいだろうなぁって。