一大ブームとなったラグジュアリースポーツウォッチが定番化した後、新たなトレンドとして注目されているのがドレスウォッチだ。かつては使いにくいところもあったこの定番ジャンルは、現在は実用性を伴って、劇的に進化している。そんな新時代のドレスウォッチを、『クロノス日本版』2024年1月号(Vol.110)で再考した。その特集記事をwebChronosに転載。今回からは具体的なモデルをケーススタディーに、このジャンルをひもといていく。ひとつめは、パテック フィリップの「カラトラバ」である。
Photographs by Eiichi Okuyama
広田雅将(本誌):取材・文
Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
Edited by Tomoshige Kase, Yukiya Suzuki (Chronos-Japan), Yuto Hosoda (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2024年1月号掲載記事]
ケーススタディー①パテック フィリップ

今時珍しい、スモールセコンド付きの手巻きムーブメントを搭載する。直径39mmとケースは大きくなったが、スモールセコンドの位置は適切だ。ケースサイズに比して幅の広いストラップや、下方に湾曲したラグはいかにもカラトラバだ。手巻き(Cal.30-255 PS)。27石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約65時間。18KRGケース(直径39mm、厚さ8.08mm)。3気圧防水。
2021年に発表されたパテック フィリップの「カラトラバ 6119」は、同社の考えるこれからのドレスウォッチを形にしたモデル、と言える。手巻きの薄型ケースに、スモールセコンドという組み合わせは、ドレスウォッチの「王道」だ。しかし、ディテールに目を凝らすと、パテック フィリップの考える新しい時代のドレスウォッチ像が見て取れる。
パテック フィリップ「カラトラバ 6119」
ケースに融合されたラグを持つ「カラトラバ」(1932年)は、ドレスウォッチという枠に留まらず、腕時計のデザインを完成させた傑作だった。対して各社は、カラトラバとは異なる意匠を求めて、ラグやケースの造形に工夫を凝らした。そんな「王道」カラトラバで注目のモデルが、2021年の「カラトラバ 6119」である。これは1985年に発表された「3919」とその後継機である「5119」、そして32年の96の流れを汲む「5196」を融合させた直系のカラトラバと言える。クル・ド・パリ装飾のベゼルは前者から、そしてケースに融合したラグとバーインデックスは後者からの引用だ。
本作が搭載するのは自動巻きではなく、なんと手巻きムーブメントのCal.30-255 PS。これも5119と5196が搭載していたCal.215 PSの後継機である。ちなみに、パテック フィリップは長年、手巻きの基幹キャリバーに215 PSを採用してきた。これは今なお傑作中の傑作だが、直径21.9mmというサイズは、大きなケースには似合わなかった。同社はスモールセコンドに十字のインデックスを取り入れるなど、工夫を凝らして文字盤中央に寄ったスモールセコンドの見た目の改善に努めたが、お世辞にも成功したとは言いがたい。

対してパテック フィリップは、新しい6119に、新規設計のCal.30-255PSを与えた。厚さは215 PSに同じ2.55mm。しかし直径は31mmに拡大され、パワーリザーブも約44時間から約65時間へと大きく延びた。手巻きムーブメントの需要がほとんどないにもかかわらず、新規設計に踏み切れた理由は、コンプリケーションに転用することを前提としたためだ。今や、複雑時計のベースに使われるのは薄型の自動巻きだが、パテック フィリップは、薄さを優先するため、あえてローターのない手巻きを選んだのである。その余慶として30-255 PSは、薄型手巻きらしからぬ高い基礎体力と、ついに適切な位置のスモールセコンドを手に入れた。加えて、愛好家にとっては喜ばしいことに、ペルラージュが施されたムーブメントスペーサーもなくなった。ちなみに、ヒゲゼンマイはシリコン製。耐磁性が高く、ショックにも強いため、実用性はかなり改善されるはずだ。

外装は、今のパテック フィリップの考えるこれからのドレスウォッチ像が見て取れる。ベゼルにクル・ド・パリ模様を刻むのは、3919からの伝統だ。しかし、風防の外周に設けられた立ち上がりは抑えられ、一方、風防の飛び出しはさらに強まった。ベゼルの厚みを抑えて、ミドルケースを薄く見せるためだろう。併せて、ラグ側面の絞りが抑えられ、真正面から見た造形がストレートに近くなった。デザインコード自体は古典的なカラトラバだが、真正面から見た際に、直線を強く感じさせるところに、今までとは違う方向性が見て取れる。中心に十字を配したスモールセコンドダイアルや、18Kホワイトゴールドケース版が採用した筋目の強いチャコールグレー文字盤、上面にもう一面を加えた時分針も、やはり「直線」を打ち出す試みである。
現在のドレスウォッチは、その多くが薄さと立体感の両立に取り組んでいる。パテック フィリップも例外ではない。しかし本作では、「5227」などに見られる、ややもすると過剰な立体感から距離が置かれた。その一方で、6119は直線というエレメントに軸足を置くことで、立体感とは異なる方法論で、モダンさを盛り込むことに成功した。その手腕は、さすがに老舗というほかない。