時計愛好家の生活 S.T.さん「結局、3針、ドレス、シースルーバック、手巻きに行きつきました」

2025.07.18

長らく男性のものと思われてきた時計趣味。しかし、時計に魅せられる女性は確実に増えてきた。そのひとりが東京在住のS.T.さんだ。大学時代に時計に興味を持つようになった彼女は、自分のテイストを貫くことで、厳選されたコレクションを築き上げてきた。「時計を宝石で輝かせる理由はない。中身が良かったらいいのです」と明快に語るSさん。そのブレない時計選びが示すのは、彼女の時計趣味に対する真摯な姿勢だ。

S.T.さん
東京生まれ。大学時代に時計に興味を持つようになった彼女は、一般企業に就職後、時計趣味を加速させるようになる。自動巻きの腕時計は巻き上げがイマイチ、という理由で、今の好みは「3針、ドレス、シースルーバック、そして手巻き」。時計以外の趣味は洋蘭の栽培と着物、そしてピアス集めとのこと。
三田村優:写真
Photographs by Yu Mitamura
広田雅将(本誌):取材・文
Text by Masayuki Hirota (Chronos Japan)
Edited by Chronos Japan (Yukiya Suzuki, Yuto Hosoda)
[クロノス日本版 2024年3月号掲載記事]


「時計は中身が良かったらいい。宝石で時計を輝かせる理由はありません」

取材現場に、着物姿で現れたS.T.さん。友人の結婚式のために着慣れるべくトライして、ずっと着続けるようになった、とのこと。着物は鮫小紋、腕時計はオフィオンの傑作「ベロス 738」である。ストラップは松下庵製のオーダー品。「裏地に凝る着物の影響を受けて、ストラップは裏側のほうが派手なんです」。

 東京在住のS.T.さんとお会いした時のことを、筆者はよく覚えている。時計が好きと語る彼女が見せてくれたのは、なんとIWCの懐中時計だった。普通のモデルでさえ驚きなのに、Sさんが所有するのは、1970年代にクルト・クラウスが設計した、トリプルカレンダームーンフェイズのリファレンス5500だったのである。重度のコレクターでさえ持っていないようなレアピースを、なぜSさんは所有しているのだろうか?

「時計は、大学時代に趣味として目覚めたのです。もっとも、小学生時代には時計を着ける習慣はありました。そして、高校の卒業祝いとして、1963年製の手巻きのセイコー『バーディー』を母からもらいました。これは祖母が母に贈った時計ですね。これがきっかけでした」

セイコー「バーディー」

1ブランド1本と決めているSさん。しかしセイコー「バーディー」は2本ある。右は1963年製の個体。祖母がSさんの母親に贈ったものだ。左は実家から出てきた金張りの個体である。「傷が付いていたので、ファイアーキッズに修理を依頼しました。売れるレベルで直せる店なら安心でしょうから。風防が傷んでいたので、交換用をメルカリで買いました」とのこと。

 初めての機械式時計を手にしたSさんは、手ずから主ゼンマイを巻き上げたり、定期的にオーバーホールに出したりと、手間をかけ、世話をするのがいいと感じたそうだ。洋蘭を育てるのが趣味の彼女にとっては、胡蝶蘭も機械式時計も、同じようなものだったのかもしれない。

 その後、チタン製で電波ソーラーの腕時計がいいと考えたSさんは、コストパフォーマンスに優れるシチズンのエクシードを購入した。「ひとつのブランドで時計はひとつと決めたのです。セイコーは持っていましたから、シチズンを選びました」。機械式時計が欲しくなった彼女は、後に、オリエントスターも手にした。「国産の機械式時計は1本欲しいと思ったのです。当時のシチズンには機械式がなかった。ミナセもまだなかったですね。セイコーかオリエントスターしか選択肢がなかったのです。オリエントスターは小さくて装着感が良く、えんじ色のベルトも好みでしたね」。

シチズン「エクシード」、オリエントスター「クラシックセミスケルトン」

学生時代に買った2本。左はシチズンの「エクシード」。チタンケースに電波ソーラーを採用したモデルである。「普段使いと考えれば、コストパフォーマンスが高いモノを選ぶでしょう」。右は国産の機械式が欲しくて選んだオリエントスター「クラシックセミスケルトン」。上に見えるのは、Sさんが愛してやまない漆器である。使い捨ては好まないと語る彼女らしいアイテムだ。

 年に1本、心残りがないように買っていく、と語るSさんの時計選びは、驚くほど真摯だ。「学生の時に時計を調べるようになったのです。山田五郎さんの本は面白かったですね。それでハマっていったのです。ファッションとして選ぶと、時計は多い方が選択肢が増えるじゃないですか」。大学院を出た後に就職した彼女は、母親にロレックスのデイトジャストを譲ってもらった。そして、一月も経たないうちに、貯めたアルバイト代をはたいて、ジャガー・ルクルトの「レベルソ・デュエット」とカルティエの「サントス ガルベ」を手に入れたという。

「サントスは初の市販された腕時計じゃないですか。所有するというのが目標だったのです。でも新品にこだわることはなかったので中古ですよ」。サントスを手にして時計の見方が変わったとSさんは語る。「サントスのブレスレットは隙間がないんです。ですから夏に使うと暑いんですよね」。

ロレックス「オイスター パーペチュアル デイト」、ジャガー・ルクルトの「レベルソ・デュエット」

Sさんが就職して手にしたのが、ロレックスの「オイスター パーペチュアル デイト」と、ジャガー・ルクルトの「レベルソ・デュエット」である。前者は母親から譲り受けたもの。きちんとものを使うSさんらしく、手に入れた後、日本ロレックスで修理をしたという。「レベルソ・デュエットはデザインで選びました。今度、『レベルソ女子会』をやるんですよ」とのこと。

 就職したSさんは、懐中時計を購入して、卓上時計として使うようになった。それまで使っていた卓上時計が壊れ、だったら、懐中時計なら楽しいだろうと思った、と語るが、いきなりタバンの懐中時計を買う人もいないだろう。そんな彼女は、ムーンフェイズとカレンダー付きの時計が欲しいと思ったという。「でも、女性用の腕時計にムーンフェイズ表示とカレンダーが付いたモデルはほとんどないのです。あったとしても文字が小さくて見えない。だったら懐中時計でいいじゃないかと思ったのです」。

 その結果が冒頭のIWC製の懐中時計だ。

「トリプルカレンダー、ムーンフェイズ表示、そして12時位置のリュウズというデザインが気に入って、このIWC製の懐中時計を選びました。購入した後、スイス・シャフハウゼンのIWC本社に送ってオーバーホールをしてもらいました。大きい時計はいいなと思いましたね」

IWC「Ref.5500」、アンリ・キャプトの女性用ミニッツリピーター

Sさんのとっておきが、このふたつの懐中時計だ。左はIWCのトリプルカレンダームーンフェイズであるRef.5500、右はアンリ・キャプトの女性用ミニッツリピーターである。前者はIWCで、後者はマサズ パスタイムで完全なオーバーホールを受けた個体。「時計は使い捨てではないから、ちゃんと直します」と、その理由を語る。上に見えるのは、祖母からもらった漆の箱。丁寧な扱われ方に、Sさん一家のモノに対するスタンスがうかがえる。
アンリ・キャプトの女性用ミニッツリピーター

ジュネーブの名門であるアンリ・キャプトの手掛けた女性用の懐中ミニッツリピーター。製造年は不明だが、おそらくは1900年代製。直径33mmのケースに、31石のリピータームーブメントを搭載する。「鳴り物は憧れです。懐中なら比較的安くて好みのものがあるんじゃないかと思って探しました」。とはいえ、この時計に飛躍するのはすごい。
IWC「Ref.5500」

筆者の中で、Sさんといえばこの時計だ。IWCの歴史に燦然と輝く懐中時計である。かのクルト・クラウスが設計したトリプルカレンダーモジュールを、傑作Cal.972に重ねている。筆者は長らくのIWCファンだが、本機の実物を見たのは初めて。「普通の店にはないだろうということで、Chrono24で購入しました」とのこと。

 彼女は無邪気に笑うが、卓上時計として使っていた懐中時計からIWCのレアモデルへの飛躍はただ事ではない。

 その次に購入したのは、なんとオフィオンの「ベロス」である。言うまでもなく傑作だが、普通この時計は選ばない。「オフィオンはいいよと言われて、銀座のクロノセオリーに見に行ったのです。普通の文字盤は、すでに持っている時計と使用シーンが被ってしまうので12時のインデックスが赤いシンガポール限定モデルを選びました」。

オフィオン「ベロス 738」

Sさんの時計趣味を決定付けた「ベロス 738」は審美性の高いムーブメントを搭載する。「オフィオンを買うタイミングでいわゆるラグスポなども見たけれど、結局、オフィオンに目が留まってしまうんですね」。ケースの印字とストラップの裏地の色を合わせるセンスには脱帽だ。時計は、その日の服装に合わせて選ぶという。「寒色の時はエクシード、暖色の時はパテック フィリップ、中間がオフィオンです」。

 オフィオンを手にした彼女は、自分の趣味を明確に把握したという。「結局、3針、ドレス、シースルーバック、手巻きに行きつきました。それ以前は自動巻きが多かったのですが、ロレックスは巻き上げ効率が良かったけれども、他のモデルは巻きがイマイチ。でも、自動巻きは手巻きすると良くないでしょう。その点、手巻きは安心して使えますね、そしてシースルーバック仕様だったら、ムーブメントがよく見えます」。

 社会人になって使えるお金が増えた結果、時計趣味が加速したと笑うSさん。続いて手にしたのは、パテック フィリップの「カラトラバ 5096」と、なんとアンリ・キャプトのミニッツリピーターだった。「パテック フィリップはオフ会で勧めてもらったもの。今のカラトラバは華やかじゃないですか。こちらは控えめですよね。値段は高かったけれど、これ以上の個体はなかったのです」。キャプトを選んだ理由も振るっている。「鳴り物は憧れだけれども、現行品はメンズしかないですね。価格も手が届かない。自分が使わない機能を持つ時計は使わない。求めてない機能を載せていない、懐中時計なら安くて好みのものがあるんじゃないかということで、マサズ パスタイムで入手しました」。

「好きを突き詰めていきたいし、実用品の中で良いモノを見ていきたいのです」と語るSさん。これほどの女性コレクターが生まれた日本の市場は、今後ますます面白くなっていくに違いない。

パテック フィリップ「カラトラバ 5096」

2023年6月に購入したのが、パテック フィリップの「カラトラバ 5096」である。3796よりも少し大きなケースを持つ本作は、いまなお多くのコレクターが探す傑作だ。「バースイヤーの時計が欲しくて一通り見たのですが、この5096以上の個体がなかったのです。高価だったので、かなり悩みました」とのこと。ストラップの裏地のカラーリングにも注目。

パテック フィリップ「カラトラバ 5096」

時計趣味を続ける中で、「結局、3針、ドレス、シースルーバック、手巻きに行きつきました」というSさんの時計趣味を象徴するのが、バースイヤーの時計として探し求めたこのパテック フィリップの「カラトラバ 5096」。シースルーバック仕様のため、裏側からサファイアクリスタルを通して、パテック フィリップ・シールになる前のジュネーブ・シール時代のCal.215 PSを鑑賞することができる。


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