30年以上にわたって時計業界を取材してきたジャーナリスト菅原茂氏による、webChronosでの連載「スイス時間旅行−追想の90年代」。第8回は、ゼニスから世界初の自動巻きクロノグラフのひとつとして誕生したエル・プリメロを、“手巻き”に改めたCal.420を取り上げる。このレアなムーブメントを搭載する「クラス エル・プリメロ HW」とともに、菅原氏が同社のブランディングの、試行錯誤の歴史を回顧する。
Photographs & Text by Shigeru Sugawara
[2025年7月3日公開記事]
伝説の手巻き「エル・プリメロ」
1990年代はスイスで時計ブランドの立て直しが盛んに行われていた時期だ。機械式が復活する中で高級時計のビッグネームから中堅、新進まで多くのブランドが、ブランディングで試行錯誤する姿を実際に目にした。当時のゼニスもそうだ。歴史と伝統を誇り、「エル・プリメロ」と「エリート」という優れた自社ムーブメントを持ちながら、魅力的なオリジナル製品をうまく発信できずにいたように思える。1996年のスイス・ジュネーブとバーゼルの時計見本市を特集した雑誌記者が「他社に供給するほどの名品キャリバーを製造し、時計通に知られる名門ゼニス。彼らにとってこの地位は中途半端で、そこからの脱却を模索中のようだ」(『GoodsPress』1996年7月号、徳間書店刊)と書いていたほどだ。「エル・プリメロ」と言えば、時計愛好家の間ではロレックス「デイトナ」のムーブメントとして有名だったのだから。
脱却のきっかけとなったのは、1997年に発表された「レインボー フライバック」だった。「エル・プリメロ」のクロノグラフにフライバック機能を追加したモデルだが、3万6000振動/時の自動巻きでフライバッククロノグラフ搭載というと、筆者が知る限り、当時これが唯一のモデルだった。また、フランス空軍やスイスの民間パイロットの協力を得て開発されたこともあり、ゼニスがこのクロノグラフに特別力を入れたのはまず間違いない。この「レインボー フライバック」は、ダイアルのデザインにも印象的な特徴があった。太く角張った力強い夜光アラビア数字だ。これは、2009年に「パイロット」コレクションで復活するあの数字に酷似している。それは1920年代にフランスの飛行家ルイ・ブレリオが所有したというゼニスの伝説的パイロットウォッチにルーツがある。


知る人ぞ知る伝説の「プライム」
さてここからが本題である。今回は手巻き「エル・プリメロ」にまつわる話だ。ご存知のように、「エル・プリメロ」は1969年に発表された世界初の自動巻きクロノグラフのひとつで、それまでの手巻きに代わる自動巻きに大きな意味があった。そんなゼニスにおいて、1990年代に「プライム(Prime)」という、知る人ぞ知る手巻きクロノグラフが存在していた。当時の雑誌記事(『Goods Press』1994年8月号)では「クロノグラフ プリマ」の名で紹介されていたが、このモデルがどのようなものだったかは、今ではネット検索で容易に参照できる。

搭載ムーブメントは、自動巻きのエル・プリメロCal.400を手巻きに改造したCal.420。モデル名の「プライム(Prime)」は、「エル・プリメロ(El Primero)」の「Primero」から末尾の「ro」を取った、つまりrotorを取り外したので「Prime」という言葉遊びに由来。デザインは、クラシカルなスタイルの「クロノマスター」とは違って、ゼニスがかつて作っていた1950年代や1960年代の軍用パイロットウォッチからインスピレーションを得ている。
自動巻きより手巻きクロノグラフがレア?
1990年代の機械式クロノグラフといえば、汎用のETA7750をアレンジした自動巻きムーブメントを搭載するモデルが大半を占め、手巻きとなると、レマニアを使ったオメガ「スピードマスター プロフェッショナル」くらいしか目ぼしいものはなく、あとはアンティーク市場で自動巻き以前のヴィンテージウォッチを探すしかないという状況だった。ゼニスがそうした状況の下、手巻きムーブメントとパイロットウォッチ風のヴィンテージルックを併せ持つ「プライム」を発表したのは1994年のバーゼル・フェアでのこと。手巻き愛好家たちの要望に応えるために製作したと伝えられている。
しかしそれから2年後の1996年には、「プライム」の人気を受けて、基本的に同じデザインを用いながら手巻きを自動巻きに戻した「エル・プリメロ」が登場する。自動巻だから「プライム」と名乗るわけにはいかない。外観は「プライム」で名称は「エル・プリメロ」というわけだ。こうした「エル・プリメロ」を本来の自動巻きから手巻きに改造したり、手巻きから自動巻きに戻したり、名前も変えたりは、筋が通っているように思えても、ユーザーにとっては混乱を招いたはずだ。良く言えば臨機応変、意地悪く言えば場当たり的な時計づくりも当時の試行錯誤を象徴するエピソードのひとつだった。ところで、その後の調べによると、「プライム」は1997年に製造中止になったそうだから、わずか3年で幕を閉じたことになる。
静かに復活したエル・プリメロCal.420
ゼニスは1999年にウォッチ&ジュエリー部門を創設したLVMHグループの傘下にタグ・ホイヤー、エベルとともに収まると、ブランド色を強く打ち出すためにプロダクトの改革に取りかかった。2002年にCEOに就任したティエリー・ナタフの下で力を注いだのは、「エル・プリメロ」の魅力をビジュアルでアピールする新たな戦略だ。ダイアルに設けた窓で3万6000振動/時のハイビートで鼓動する心臓部を見せ、“オープンハート”とうたった「クロノマスター オープン」は世界的に大ヒット。2000年代の代名詞になったほどだ。
斬新な「クロノマスター オープン」が脚光を浴びる前の2000年に、同年のバーゼル・フェアに登場したのが手巻きCal.420を搭載した「クラス エル・プリメロ HW」(当時名称)だ。一見して「プライム」の再来かと思った。それと同時に、1990年代後半から存在する38mmケースの自動巻き「クラス エル・プリメロ」のダイアル違いのようにも見える。実際この「クラス エル・プリメロ」は、「プライム」を自動巻きにした後継モデルだったのだろうか、ケースとダイアルがよく似ている。ともかく、またややこしいモデルが出てきたぞ、というのが第一印象だった。

手巻き愛好者の要望に再び応えるためなのか、あるいはブランド改革において1990年代のCal.420を使い切るためだったのか、事情はよく知らないが、「クラス エル・プリメロ HW」が自分好みの魅力的なモデルに思えたことだけは確かだった。ダイアルは「プライム」やそれに連なる「クラス エル・プリメロ」の特徴的なパイロットウォッチのスタイルよりも一段と力強く、夜光のアラビア数字については、後になって2009年に発表された「パイロット」にそっくりだ。また、5連のメタルブレスレットを組み合わせ、スポーティーでちょっとかっこいい、好印象のクロノグラフなのだった。
「クラス エル・プリメロ HW」は2000年の発表からどれほどの期間作られたのか調べていないが、「プライム」のように長くは続かなかったように思う。「オープン」で新機軸を打ち出すまでのつなぎだったのかもしれない。幸いにしてディスコンになる前に手に入れることができ、今までおよそ20年愛用してきた。2010年代のある日ゼニスのスイス人スタッフに見せたら、「自分は実物を見たことがない」と言ったので驚いた。ほんとうか? 良く言えば価値あるレアモデルなのかもしれない。それはさておき、この時計にはいつくもの良さがある。シースルーバックからCal.420の特徴的な設計が見て取れること、ヴィンテージルックとモダニティが調和したダイアルデザインが洗練されていること、ケース径は程よい約40mmで、厚さは手巻きゆえに約11mmとけっこう薄いことなどだ。たぶん三度目の手巻き「エル・プリメロ」はもうないだろう。今や希少な「クラス エル・プリメロ HW」もまた、自分にとって1990年代を回顧させる時計のひとつなのだった。
菅原茂のプロフィール

1954年生まれ。時計ジャーナリスト。1980年代にファッション誌やジュエリー専門誌でフランスやイタリアを取材。1990年代より時計に専念し、スイスで毎年開催されていた時計の見本市を25年以上にわたって取材。『クロノス日本版』などの時計専門誌や一般誌に多数の記事を執筆・発表。時計専門書の翻訳も手掛ける。