「限定」と銘打たれた腕時計は、常に注目の的だ。市場には日々多くの限定モデルが登場し、稀少性や特別感をアピールしている。しかし、それらすべてが本当に価値ある逸品と言えるのだろうか? ボナムズ香港で時計部門を率いるシャロン・チャンは、「重要なのは“どれだけ珍しいか”ではなく、“なぜ珍しいのか”である」と語る。コレクターが注目すべきは、単なる生産本数の少なさではなく、技術、背景、そして物語の深さにある。限定腕時計の真価を見極めるために、いま必要なのは「数」ではなく「中身」を読む目だ。
Text by Sharon Chan(Bonhams Hong Kong)
[2025年8月13日掲載記事]
「限定モデル」は本当に価値があるのか?
時計業界では「限定モデル」がブランド戦略の常套手段となっている。年々その数は増え、さまざまな限定仕様のモデルが市場に登場している。だが、真のコレクターが注目するのは、その腕時計が一時的な話題で終わるか、それとも長期的に価値を持ち続けるかという点だ。
限定モデルに惹かれる理由は、生産本数の少なさだけではない。稀少性、すなわち市場にほとんど出回らない数であること。デザインと技術の面では、独創的なムーブメントや構造を備えていること。そしてブランドの歴史と文化が深く関わっていること。この3つの要素が、限定モデルの本質的な価値をかたちづくっている。
時の試練に耐え、資産価値を維持するモデルには、これらの要素が複合的に備わっているのだ。
ダニエル・ロート「クロノグラフ・モノプッシャー」という成功例
2025年5月、ボナムズ香港で開催された香港ウォッチオークションにおいて、ダニエル・ロートのクロノグラフ・モノプッシャーが10万香港ドル(約188万5000円、1香港ドル=18.85円、2025年8月13日現在、手数料込み、以下同)からスタートし、最終的に48万6400香港ドル(約916万9000円)で落札された。

手巻き(Cal.2220)。21石。18KYGケース(縦41.3×横38.4mm、厚さ11.8mm)。限定52本(18KYGモデルはそのうち36本)。48万6400香港ドル(約916万9000円)にて落札された。
この腕時計は、ケースの素材違いを含めると52本、そのうち18Kイエローゴールド製モデルは36本が製作された、極めて限定的なモデルである。1930年代の設計思想に起源を持つヌーヴェル・レマニア製の手巻きクロノグラフムーブメント、Cal.2220を搭載している。このムーブメントはコラムホイールを備えた非常に複雑な構造を持ち、製造難易度も高い。
さらに、ムーブメントの供給自体がすでに終了しており、その稀少性をいっそう高めている。1989〜1990年、ブランド創業初期に製作された本モデルは、ブレゲ在籍時に培った経験を基に、ダニエル・ロートの美学が最も色濃く表現された逸品と言える。
限定モデルに潜む「数のマジック」
近年では、「限定」と銘打ちながら数百本から1000本単位で生産されるモデルも多い。ダイアルの色違いやストラップの素材変更、ケースやブレスレットの素材の差異のみで「限定モデル」として展開される例も少なくない。こうしたモデルは、マーケティング色が濃く、必ずしもコレクションに値するとは言いがたい。
真に稀少な限定腕時計とは?
コレクターに求められるのは、限定モデルの「実態」を見抜く目である。カタログ上の限定数だけでなく、実際の市場流通量や配分先、製造背景までを把握することが重要だ。
好例として、オーデマ ピゲのロイヤル オーク シティ オブ セイルズが挙げられる。一般販売は300本限定だったが、そのほかに2000年のアメリカズカップに出場したビー・ハッピー号のクルーメンバー専用として、わずか25本のみ製造された特別仕様がある。まさに、限定の中の限定と呼ぶにふさわしい真の稀少品である。
このクルー向けエディションは、同じく2025年5月のボナムズ香港において約40万9600香港ドル(約772万1000円)で落札され、購入者はその将来的な価値向上に大きな期待を寄せていたという。

自動巻き(Cal.2385)。37石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約40時間。Tiケース(直径39mm)。限定25本(一般販売モデルは限定300本)。40万9600香港ドル(約772万1000円)にて落札された。
限定腕時計は文化と美意識の選択でもある
限定モデルの価値は、単なる投資リターンにとどまらない。それは、ある歴史への共感であり、ひとりの時計師の哲学への敬意であり、自分自身の美意識や価値観の反映でもある。
真に価値ある腕時計とは、時間を計るためのツールを超えた、物語を宿す芸術作品である。コレクターとは、そのストーリーを読み解き、次代へと受け継いでいく者なのだ。
著者「シャロン・チャン」プロフィール
シャロン・チャンは、アジアにおけるボナムズ時計部門のディレクターである。香港を拠点に、アジア太平洋地域の事務所と密接に連携し、同部門が年に10回開催するオークションの監督を務めている。

シャロン・チャンは、ボナムズに入社し、オークションビジネスに復帰する前の2017年から18年の間に、個人でウォッチディーラーとクライアントコンサルタントを行い、専門家としてのキャリアを築いた。その豊富な経験から、世界中のコレクターとの間に強力なコネクションを持ち、アジアの腕時計市場拡大において重要な役割を担っている。
これまで多くの国際的なオークションハウスでのジュエリーと時計のオークションビジネスにおいて、17年以上の経験を積み、2011年から16年にかけては、香港で時計オークションを指揮。売り上げを年々拡大し、13年にはアジアでの時計販売で最高額を達成した。また、世界最大級のプライベートウォッチコレクションの監督責任者を務め、15年のオークションで600万USドルという新記録を打ち立てた。