時計専門誌『クロノス日本版』編集部が取材した、時計業界の新作見本市ウォッチズ&ワンダーズ2025。「ジュネーブで輝いた新作時計 キーワードは“カラー”と“小径”」として特集した本誌でのこの取材記事を、webChronosに転載する。今回は、創業270周年を迎えたヴァシュロン・コンスタンタンの新作時計を振り返る。
Photographs by Yu Mitamura, Ryotaro Horiuchi
鈴木裕之、広田雅将(本誌):取材・文
Text by Hiroyuki Suzuki, Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
Edited by Yuto Hosoda (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2025年7月号掲載記事]
ヴァシュロン・コンスタンタンの2025年新作時計

2005年の250周年時に発表された「サン・ジェルヴェ」(トゥールビヨンと永久カレンダーを搭載)をオマージュした新型ムーブメントを搭載。直接的なベースとなったのは、18年発表のCal.2160(ペリフェラルローターの自動巻きトゥールビヨン)で、ここに永久カレンダーモジュールを重ねている。自動巻き(Cal.2162 QP/270)。30石。1万8000振動/時。パワーリザーブ約72時間。Ptケース(直径42mm、厚さ11.1mm)。世界限定127本。
社内のデザインチームによって構築された、統一されたダイアルの意匠で、270周年の節目を祝ったヴァシュロン・コンスタンタン。メゾンを象徴するマルタ十字から着想を得た幾何学的な意匠に加え、周年記念モデルのムーブメントには、オールドピースから再現された「コート・ユニーク」仕上げも盛り込まれた。「レ・キャビノティエ」の超大作に代表される技術的なアドバンテージに加え、ディテールワークも抜かりない。
270周年で披露された圧倒的な技術とディテールワーク
創業270周年を迎えたヴァシュロン・コンスタンタン。それを高らかに謳い上げるW&WGのステージでは、マルタ十字を象った特別なデザインコードで統一された270周年記念モデルの数々に加え、2本の超大作がお披露目された。まずは前号でも先行公開した「レ・キャビノティエ・ソラリア・ウルトラ・グランドコンプリケーション −ラ・プルミエール−」。トゥールビヨンとウエストミンスターカリヨンによるミニッツリピーター、さらにスプリットセコンドを組み合わせたグランドコンプリケーションであるだけでなく、太陽の軌道に関する4機能と、バックケース側に星座盤を設けたセレスティアルウォッチでもある。新しいのは星座盤とスプリットセコンドを同位置に置くことで、特定の星の動きを追跡することまで可能としている。機構に関する詳細は他記事に譲るが、このモデルが今年の技術的なハイライトだ。
オープンワークのダイアル造形とレトログラード機構を組み合わせた「トラディショナル・オープンフェイス」3部作の1本。ダイアル上面に170度のレトログラード・デイトを配し、サファイアディスクによる日、月、閏年表示を添える。自動巻き(Cal.2460 QPR31/270)。27石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約40時間。Ptケース(直径41mm、厚さ10.94mm)。3気圧防水。世界限定370本。
ダイアルのオープンワークをさらに楽しめるのはコンプリートカレンダーだろう。曜日表示と月表示のディスクが12時側にオフセットされているため、より開口部が増やされている。ムーンディスクを隠す部分も、フロスト状のトランスパレント仕様に。自動巻き(Cal.2460 QCL/270)。27石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約40時間。Ptケース(直径41mm、厚さ11.05mm)。3気圧防水。世界限定370本。
対してアートピースとしてのハイライトは同じくレ・キャビノティエから発表された「トゥール・ド・リルへ敬意を表して」の3部作だ。それぞれ細密彫金、エナメル細密画、そしてフィギュラティブ・ギヨシェとエナメル細密画の組み合わせでジュネーブ旧市街のケ・ド・リルに建つ時計塔を描く。ケースはハンターバック仕様で、何より針の造作が素晴らしい。同社は意識的にフラットな造形の時分針を好んで使うが、本作の針は、手作業で磨き出された、色香に溢れる造形を持つ。
さて、いよいよ今年の主役たちとなる270周年モデルだ。ハイコンプリケーションからレディースの2針モデルまで多岐にわたるが、その全てにマルタ十字を象った特別なダイアルが搭載されている。幾何学的な印象を与えるデザインは社内チームの手によるもので、精巧なストレートギヨシェで仕上げられている。
レトログラード式のポインターデイトとムーンフェイズ表示を組み合わせた270周年モデル。ダイアルには他と同様の意匠が盛り込まれるが、パトリモニーのみエンボス加工で再現。自動巻き(Cal.2460 R 31L/270)。27石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約40時間。18KPGケース(直径42.5mm、厚さ9.7mm)。3気圧防水。世界限定270本。
「パトリモニー」と「トラディショナル」の幾何学模様がエンボス加工となるが、曲面にプレスを施すことも、なかなかに難しい技術だ。レディースの「トラディショナル」にはMOPダイアルが採用されるが、ここにマシンエングレービングを加えるのも同社初の挑戦だという。
270周年モデルでのもうひとつの試みは「トラディショナル・オープンフェイス」の3本に施された特殊なムーブメント装飾だ。何枚かが隣り合う、高さの等しい受けの表面に、ラッピングフィルムを用いて大きな円弧状のラインを刻みつけている(2層に施す場合もある)。全ての受けに対して2ストロークの手作業が施されるのだが、隣り合うラインの連続性が大きな魅力となっている。同社ではこれを「コート・ユニーク」と呼んでいるが、新たに命名されたものではなく、1920年代に使われていたものだ。
マルタ十字に着想を得た幾何学模様を最も楽しめるのはスモールセコンド仕様のトラディショナルだ。次の100周年を祝うという願いを込めて、限定数は370本に。手巻き(Cal.4400 AS/270)。21石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約65時間。Ptケース(直径38mm、厚さ7.77mm)。3気圧防水。世界限定370本。
立体感とともに記念ダイアルの造形を楽しみたいなら、3針のパトリモニーがベストな選択肢となるだろう。エンボスのため、陰影のニュアンスがより柔らかくなることも魅力だ。自動巻き(Cal.2450Q6/270)。27石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約40時間。18KWGケース(直径40mm、厚さ8.65mm)。3気圧防水。世界限定370本。
というのもこの技術は、同社のレストレーション部門が2021年に、「アメリカン1921 ユニークピース」を復刻製造した際に再発見した技術に由来するからだ。コート・ド・ジュネーブの本来的な意図と同様、精度があまり高くなかった当時のエボーシュパーツを一度組み上げ、表面を切削でさらうことで高さを揃えるための手法(そのため切削痕に連続性が生まれる)だったと考えられるが、今回の270周年モデルでは受け単体に装飾を施してから組み上げているという。だとしたらなおのこと、現代的な加工技術の精度と、熟達した手仕上げの確かさに、改めて驚かされるのだ。



サンドリン・ドンガイをインタビュー
今年、創業270周年を迎えたヴァシュロン・コンスタンタン。ユニークピース「ソラリア」を筆頭とするクラシックコレクションに優れた装飾とディテールをもたらしたのが、プロダクトマーケティング・アンド・イノベーションディレクターのサンドリン・ドンガイだ。

フランス生まれ。グルノーブル エコール デ マネジメント(GEM)を卒業後、香水メーカーを経てボーム&メルシエに入社。マーケティングとコミュニケーションのディレクターを務めた後、ヴァシュロン・コンスタンタンに転籍。プロダクトとマーケティングのディレクターに任命され、2022年からこれらとメティエダールの部門を統括する。マーケティング出身としては珍しく、プロダクトも知悉する人物だ。
270周年モデルに非凡なデザインをもたらした手腕
「デザインの観点で言うと、今回は伝統をベースにしながらも、そこに現代的なタッチと遊び心を加えました。1880年からメゾンの象徴となったマルタ十字を文字盤に合わせたのです。そしてコート・ユニーク。加えて各モデルに、個別に彫金でナンバリングしている点も重要です。これは伝統的でありながらも、現代的な試みでもあるのです。そしてディテール」。意外だったのは文字盤の仕上げだ。マルタ十字をグラフィカルに再現した文字盤は、ベーシックなモデルがエンボス、そしてハイエンドは手動のギヨシェと、価格に応じて使い分けている。エンボスも同社にとって極めて珍しい試みにもかかわらず、仕上げは少なくとも、ギヨシェに遜色ない。
「文字盤に施されたエンボス加工は、スイスでは比較的新しい技術かもしれませんが、我々は完璧さを追求したのです。デザイン面で他社と私たちの違いを挙げるなら、外装のレベルですね。今回も挑戦を課しました。デザインスケッチから始まり、少しずつ試作を重ねて完成させたのです」。彼女は説明を続ける。「そもそもこれは先のCEOの主導で進化を遂げました。彼は多くのものを見直しましたが、そのひとつが、それぞれのモデルに傑出したものを与えるということでした」。ムーブメントの受けに施されたコート・ユニークなる仕上げも面白い。
「全面に筋目を施す手法は、1921年製の36mmモデルを復刻した際に見つけたデザインです。70年代までは存在していたものですね」。ヴァシュロン・コンスタンタンらしいのはすべての受けを一括ではなく、一部品単位で仕上げたこと。完成度は上がるが、筋目模様はそろいにくくなる。
「担当するのはひとりの職人ですね。各ブリッジの仕上げがしっかりそろっていなければならないので、セッティングはムーブメントごとに行われています。習得し応用するには約500時間を費やしましたよ」。彼女は普通に語るが、この入念さこそが、ヴァシュロン・コンスタンタンなのだろう。加えて、ムーブメントはロジウムではなく、なんと昔懐かしいニッケル仕上げだ。「理由は、仕上げのコントラストが良くなるから。ロジウムも試しましたが、深みが出なかったのです」。
しかし、どのモデルを見ても、ディテールに引きずられないデザインの良さは、ちょっと類を見ない。「メゾンはエレガントですが遊び心も忘れません。でもデザインは時代を超えつつも、現代性を入れなければならない。幸いにも、私たちは職人とデザイナーが一緒にいるため、創造性が広がるのです」。



